2013年09月26日
バイクで美術館巡り 2
観音崎・横須賀美術館裏の公園を少し探検した後に、次の目的地である神奈川県立近代美術館の葉山館に向かう。本館は鎌倉にある。横須賀美術館と同じく、葉山館も2003年にオープンした割と新しい美術館である。
観音崎から葉山へは三浦半島を縦断している県道27号が最短距離だが、のんびりと134号線で三浦海岸を眺めながらツーリング。海岸沿いを走った後、内陸部に入った134号線は26号線との交差点で北に進路を変えて湘南方面に向かう。ところで北向きに曲がったとたん私と逆方向、つまり南に向かう26号線の車線はビッシリと長蛇の列だった。ノロノロ運転じゃなくて、ほとんどクルマが動いていない。たぶん三崎に向かうマグロ渋滞かな。ちょうど正午頃だったけど、あんな渋滞じゃマグロを食べるのは夕ご飯になっちゃうよ(^^ゞ
その後、三浦半島の西海岸沿いに降りて、秋谷や長者ヶ崎など見慣れた湘南の海岸を横目に見て葉山に到着。葉山館は葉山御用邸の隣の隣くらいの場所にある。
神奈川県立近代美術館・葉山館
駐車場はあまり広くない。
出た! 宿敵インスタレーション(^^ゞ
「作品には手を触れないでください」と書いてある。どちらかといえば蹴っ飛ばしたい。やっぱりこれも「アート」として「購入」したものなんだろうな。私もモダンアートのアーティストになれば楽して稼げたかも。
エントランス。
建物はコンクリート(石張り)とガラスを組み合わせた、いわゆるシンプルでモダンなデザインという奴。どこへ行ってもこんなデザインばっかりだ。日本の建築家には個性とか創造性とかはないのか。あるいは発注側にセンスがなかったり無難志向だとこうなるのかな。とりあえず写真にでも撮っておかないと、次の日にはどんな建物だったか思い出せなくなる。
中庭。
シンプルで素敵ですね、何も考えずとも出来上がっちゃいますね(^^ゞ
左側の建物はレストランと売店。
横須賀美術館もここも売店はあまり充実していなかった。
この葉山館は常設展はなく企画展のみ。現在開催されているのは「戦争/美術 1940-1950」。副題に「モダニズムの連鎖と変容」という美術業界っぽい言葉が並ぶ。
まあ今回は見たい展示会だから来たのではなく、ツーリングの目的地というか余興として2つの美術館を選んだといういきさつ。つまり展示会の選り好みはしていない。しかし「戦争の悲惨さを描いた、暗かったり悲しかったりグロテスクな絵ばっかりだったらイヤだなあ」と現地に着いてから心配になる。
結論から言うと戦争をテーマとした展示会ではなく、いろんな画家の1940年から50年に描かれた作品を見て、戦中と戦後のその時代(真珠湾攻撃が1941年、終戦が1945年)が絵や画家に与えた影響を読み取りましょうというような趣旨らしい。結果的に戦争がらみの作品も含まれるけれど、その割合はタイトルからイメージするほど多くはなかった。
松本竣介 「建物」
特にヒネリもなく、線を引いて色を塗っただけのような絵。小学生でも描けそうなのだが不思議なオーラがあった。ところでこの絵の制作は1935年。この美術館はタイトルにはあまりこだわらないらしい。
松本竣介 「立てる像」
描かれているのは本人だから自画像ともいえる。「すくっと立つ」というのはこういうことかと思うリキミのなさ。松本竣介の作品は他にも5〜6点展示されていた。全体的に少し暗いというか重めの画風であるがなかなか気に入った。
ところでこの作品、本人が着ている上着はどうもGジャンっぽい。ブログに貼った写真ではわかりにくいと思うが、生地はジーンズっぽい色だったし、白いステッチやメタルの大きなボタンもGジャンのスタイルである。
この作品の制作は1942年で戦中。Gパンは戦後に進駐軍によってもたらされたと聞かされていたし、Gジャンなんてものはもっと後にできたものと思っていた。一般的には白州次郎がはじめてGパンを履いた日本人ということになっている。しかし、それも戦後の話。この絵のズボンがGパンかどうかは上着ほどハッキリは見て取れない。でもGジャンを着たならGパンも履いたでしょう。ということで松本竣介を初めてジーンズを着こなした日本人と称することにしよう。
藤田嗣治(つぐはる) 「ソロモン海域に於ける米兵の末路」
ここに貼り付けたものより実際の絵はもっと暗い。かなり大きな絵だが、近づいてみるまで何が書いてあるかわからなかった。いわゆる軍が戦争プロパガンダのために描かせた戦争画。でもそんな背景を抜きにして眺めれば、藤田嗣治の力量を感じさせる絵でもある。箱根で見た彼の作品とはまったく違う。でも描かれているのがあまり米兵には見えないのはナゼ?
ちなみに藤田嗣治の生涯を超簡単にまとめると
1913年にパリに渡り、1920年頃にはスーパースターとなる。
1935年頃日本に帰国。戦争画をたくさん描く。
戦後に戦争画を描いたことを批判され、パリに戻りフランス国籍を取得し永住。
となる。
内田巌(いわお) 「裸婦」
どこがよかったのか説明するのは難しいが、何となくよかった。
この内田巌は戦争画の件で藤田嗣治を批判した代表的人物。そんな二人の絵を同じ展示会で眺められるなんて平和で幸せである。
この展示会は1940年から50年に描かれた作品を見ていろいろ考えよう、感じようということである。でも本当は、単にその時代の絵を集めただけでテーマは後から考えたんじゃないかという気もする。だから唐突にこんな絵も展示されている↓↓↓
横山大観 「日本心神(富士山)」
この展示会の中で一番有名な画家の作品ではあるが、なんとなく浮いていた感は否めない。展示する必然性があったのか疑問。
朝井閑右衛門(かんうえもん) 「丘の上」
変態っぽくて素敵(^^ゞ
朝井閑右衛門は横須賀美術館でもたくさん展示されていた。大阪生まれだが横須賀や鎌倉に住んでいた時代が長いから、このあたりの地元の画家的存在なのだろう。どの絵もおもしろかった。絵に共通する作風はなく、好きな時に描きたいものを描いたという感じ。才能と技量が両立していないと、それは難しいはず。また「朝から閑(ひま)」だから閑右衛門と名乗ったらしく、シャレもわかる人だったようである。
内田巌(いわお) 「母の像」
今回、一番印象に残ったのがこの作品である。絵の善し悪しというよりも、こういう作品は日本人にしか描けない〜欧米に持っていったらウケルに違いないーーーという職業柄のさもしい発想から。畳の日本間に掛けられていたら遺影にしか見えなが、ヨーロッパの古い大邸宅の暖炉の上にでもあれば、そこだけ異空間になりそうである。
靉光(あいみつ) 「畠山雅介氏の像」
何となく名前も画風も中国っぽいが、本名は石村日郎(にちろう)という日本人の作品。目を引いたのは上の絵と同じような理由。眺めているうちにけっこう引き込まれる。繊細さの極地のような絵。それにしてもシャツがブカブカだ。
展示作品数はかなり多い。途中で述べたようにまとまりのない展示会で、逆にいえばいろんなタイプの絵を見られるから飽きない。人もあまりいないから、ゆったりと眺められる。それと横須賀美術館もそうだったが、展示室内が明るくて気持ちいい。なぜか都内の大型美術館はやたら薄暗いところが多いのである。湘南なんて行き飽きたという人も、たまにはどうぞ。
ーーー続く
観音崎から葉山へは三浦半島を縦断している県道27号が最短距離だが、のんびりと134号線で三浦海岸を眺めながらツーリング。海岸沿いを走った後、内陸部に入った134号線は26号線との交差点で北に進路を変えて湘南方面に向かう。ところで北向きに曲がったとたん私と逆方向、つまり南に向かう26号線の車線はビッシリと長蛇の列だった。ノロノロ運転じゃなくて、ほとんどクルマが動いていない。たぶん三崎に向かうマグロ渋滞かな。ちょうど正午頃だったけど、あんな渋滞じゃマグロを食べるのは夕ご飯になっちゃうよ(^^ゞ
その後、三浦半島の西海岸沿いに降りて、秋谷や長者ヶ崎など見慣れた湘南の海岸を横目に見て葉山に到着。葉山館は葉山御用邸の隣の隣くらいの場所にある。
神奈川県立近代美術館・葉山館
駐車場はあまり広くない。
出た! 宿敵インスタレーション(^^ゞ
「作品には手を触れないでください」と書いてある。どちらかといえば蹴っ飛ばしたい。やっぱりこれも「アート」として「購入」したものなんだろうな。私もモダンアートのアーティストになれば楽して稼げたかも。
エントランス。
建物はコンクリート(石張り)とガラスを組み合わせた、いわゆるシンプルでモダンなデザインという奴。どこへ行ってもこんなデザインばっかりだ。日本の建築家には個性とか創造性とかはないのか。あるいは発注側にセンスがなかったり無難志向だとこうなるのかな。とりあえず写真にでも撮っておかないと、次の日にはどんな建物だったか思い出せなくなる。
中庭。
シンプルで素敵ですね、何も考えずとも出来上がっちゃいますね(^^ゞ
左側の建物はレストランと売店。
横須賀美術館もここも売店はあまり充実していなかった。
この葉山館は常設展はなく企画展のみ。現在開催されているのは「戦争/美術 1940-1950」。副題に「モダニズムの連鎖と変容」という美術業界っぽい言葉が並ぶ。
まあ今回は見たい展示会だから来たのではなく、ツーリングの目的地というか余興として2つの美術館を選んだといういきさつ。つまり展示会の選り好みはしていない。しかし「戦争の悲惨さを描いた、暗かったり悲しかったりグロテスクな絵ばっかりだったらイヤだなあ」と現地に着いてから心配になる。
結論から言うと戦争をテーマとした展示会ではなく、いろんな画家の1940年から50年に描かれた作品を見て、戦中と戦後のその時代(真珠湾攻撃が1941年、終戦が1945年)が絵や画家に与えた影響を読み取りましょうというような趣旨らしい。結果的に戦争がらみの作品も含まれるけれど、その割合はタイトルからイメージするほど多くはなかった。
松本竣介 「建物」
特にヒネリもなく、線を引いて色を塗っただけのような絵。小学生でも描けそうなのだが不思議なオーラがあった。ところでこの絵の制作は1935年。この美術館はタイトルにはあまりこだわらないらしい。
松本竣介 「立てる像」
描かれているのは本人だから自画像ともいえる。「すくっと立つ」というのはこういうことかと思うリキミのなさ。松本竣介の作品は他にも5〜6点展示されていた。全体的に少し暗いというか重めの画風であるがなかなか気に入った。
ところでこの作品、本人が着ている上着はどうもGジャンっぽい。ブログに貼った写真ではわかりにくいと思うが、生地はジーンズっぽい色だったし、白いステッチやメタルの大きなボタンもGジャンのスタイルである。
この作品の制作は1942年で戦中。Gパンは戦後に進駐軍によってもたらされたと聞かされていたし、Gジャンなんてものはもっと後にできたものと思っていた。一般的には白州次郎がはじめてGパンを履いた日本人ということになっている。しかし、それも戦後の話。この絵のズボンがGパンかどうかは上着ほどハッキリは見て取れない。でもGジャンを着たならGパンも履いたでしょう。ということで松本竣介を初めてジーンズを着こなした日本人と称することにしよう。
藤田嗣治(つぐはる) 「ソロモン海域に於ける米兵の末路」
ここに貼り付けたものより実際の絵はもっと暗い。かなり大きな絵だが、近づいてみるまで何が書いてあるかわからなかった。いわゆる軍が戦争プロパガンダのために描かせた戦争画。でもそんな背景を抜きにして眺めれば、藤田嗣治の力量を感じさせる絵でもある。箱根で見た彼の作品とはまったく違う。でも描かれているのがあまり米兵には見えないのはナゼ?
ちなみに藤田嗣治の生涯を超簡単にまとめると
1913年にパリに渡り、1920年頃にはスーパースターとなる。
1935年頃日本に帰国。戦争画をたくさん描く。
戦後に戦争画を描いたことを批判され、パリに戻りフランス国籍を取得し永住。
となる。
内田巌(いわお) 「裸婦」
どこがよかったのか説明するのは難しいが、何となくよかった。
この内田巌は戦争画の件で藤田嗣治を批判した代表的人物。そんな二人の絵を同じ展示会で眺められるなんて平和で幸せである。
この展示会は1940年から50年に描かれた作品を見ていろいろ考えよう、感じようということである。でも本当は、単にその時代の絵を集めただけでテーマは後から考えたんじゃないかという気もする。だから唐突にこんな絵も展示されている↓↓↓
横山大観 「日本心神(富士山)」
この展示会の中で一番有名な画家の作品ではあるが、なんとなく浮いていた感は否めない。展示する必然性があったのか疑問。
朝井閑右衛門(かんうえもん) 「丘の上」
変態っぽくて素敵(^^ゞ
朝井閑右衛門は横須賀美術館でもたくさん展示されていた。大阪生まれだが横須賀や鎌倉に住んでいた時代が長いから、このあたりの地元の画家的存在なのだろう。どの絵もおもしろかった。絵に共通する作風はなく、好きな時に描きたいものを描いたという感じ。才能と技量が両立していないと、それは難しいはず。また「朝から閑(ひま)」だから閑右衛門と名乗ったらしく、シャレもわかる人だったようである。
内田巌(いわお) 「母の像」
今回、一番印象に残ったのがこの作品である。絵の善し悪しというよりも、こういう作品は日本人にしか描けない〜欧米に持っていったらウケルに違いないーーーという職業柄のさもしい発想から。畳の日本間に掛けられていたら遺影にしか見えなが、ヨーロッパの古い大邸宅の暖炉の上にでもあれば、そこだけ異空間になりそうである。
靉光(あいみつ) 「畠山雅介氏の像」
何となく名前も画風も中国っぽいが、本名は石村日郎(にちろう)という日本人の作品。目を引いたのは上の絵と同じような理由。眺めているうちにけっこう引き込まれる。繊細さの極地のような絵。それにしてもシャツがブカブカだ。
展示作品数はかなり多い。途中で述べたようにまとまりのない展示会で、逆にいえばいろんなタイプの絵を見られるから飽きない。人もあまりいないから、ゆったりと眺められる。それと横須賀美術館もそうだったが、展示室内が明るくて気持ちいい。なぜか都内の大型美術館はやたら薄暗いところが多いのである。湘南なんて行き飽きたという人も、たまにはどうぞ。
ーーー続く