2013年12月18日
ターナー展
この秋に始まった絵の展示会で見に行きたかったのは、横浜美術館の横山大観展と、この東京都美術館のターナー展。興味を持った理由はどちらも同じで、横山大観もターナーも何となく知ってはいるけれど、まとまった数の作品を見たことがなかったから。残念ながら横山大観展は見に行けずじまい。まあ日本の画家だから今後も機会はいくらでもあるだろう。
一方のターナーの大規模な展示会は日本で過去2回しか行われておらず、今回を見逃すと次はいつになるかわからない。というわけで、気がつけば会期終了まで残すところ1週間ほどとなった先週に慌てて出かけてきた次第。
ターナーはイギリスを代表する画家で風景画を専門とする。1775年生まれ1851年没だから、日本では江戸時代後期の人(明治維新が1868年)。美術史的には印象派の前のロマン主義という時代に属する。ロマン主義についてはあまり詳しくないので説明はやめておく。
ダ・ヴィンチ、ラファエロ、ルノワール、ゴッホなど、しょっちゅう展示会が開催されている画家と較べたらターナーの知名度は低いと思う。でもなぜか昔からその存在だけは知っていた。しかし「イギリス人の風景画家」なんてのにはまったく興味が湧かず。これはある種のブランドイメージの影響。イギリスという国にはあまり美術系のイメージがない。それに風景画というのも何となくそそらない。
とはいえイギリスでは序列第1位の画家(たぶん)だから、たまに何かで紹介される。いつ頃からかは忘れたが、やがて多少は気になる存在に。そして1年前の同じく東京都美術館で開催されたメトロポリタン美術館展。そこで見たターナーの「ヴェネツィア、サンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会の柱廊から望む」という作品にけっこうグラッと来た。というわけで、今回の展示会はかなり楽しみにしていたのである。その割に訪れたのは会期終了間際になってしまったが。
イチョウがきれいな上野公園。
ここでポスターを撮るのは毎回のお約束。
ターナー展なんてコケてるんじゃないかと心配していたが、平日の昼間に行ったのにけっこうな混雑。かつて私が食わず嫌いだっただけで、ターナーは日本でも人気があるみたい。
今回の展示会は「英国最高の巨匠、待望の大回顧展!」というキャッチフレーズがついている。回顧展というのは画家の生涯にわたる作品傾向を追っていくような構成の展示会。つまりターナーとはどんな画家かを理解するには便利な展示会。
なんだけどーーー
ある程度予想していたとはいえ初期の風景画はつまらなかった。
「ダーウェントウォーターとロウドアの滝、バロウデイル渓谷をカーフクローズ湾の岬より望む」
事細かに場所を説明したタイトルであるが、どこのことかさっぱり? 絵の横に地図も必要かな。玄人ならいろいろ鑑賞のポイントがあるのだろうが、私にはごくごくフツーの絵にしか見えなかった。でも細部まで丁寧に描いてあることに驚く。
「ディドとアエネアス」
これは現実の風景ではなく、古代ローマの詩人ウェルギリウスの作品をモチーフに描かれている。カルタゴの女王とトロイの王子の悲恋の物語。この絵もホテルならロビー正面ではなく、エレベーターホール当たりに飾られていそうな地味な絵である。
しかし細部の描き込みは非常に細かく、遠くの建物のディティールまでしっかり描かれている。ターナーはかなり几帳面な人だったように思える。一瞥しただけでは何とも思わない作品なのに、細部を観察しているうちに、だんだんといい絵に思えてくるから不思議。
「スカボロー:色彩の習作」
透明感というキーワードが頭に浮かんだ印象的な作品。スカボローというのはイギリスの地名。こういった習作(練習のために描いたもの)はたくさん展示されていたが、そのほとんどがA4サイズくらいの小さなもの。列に並ばない私の鑑賞方法では並んでいる人の頭に遮られ、じっくり見られなかったのが残念。
ターナーは44歳の時に最初のイタリア旅行をしている。それは彼の画風に大きな影響を与えたようで、俄然として絵がおもしろくなってくる。
「ヴァティカンから望むローマ、ラ・フォルナリーナを伴って回廊装飾のための絵を準備するラファエロ」
ターナーの几帳面さはタイトルの長さにも表れているのか? 300年前の画家であるラファエロまで登場させて「イタリア、よかったで〜」という感激があらわれているような作品。イギリスの風景と違って空もスカッと水色である。
「チャイルド・ハロルドの巡礼―イタリア」
イギリスの詩人バイロンの作品をモチーフにした絵。私はこの風景を見てイタリアらしさを感じることはできないが(ヨーロッパ人なら見分けがつくのかな?)、目を引いたのは画面に大きく描かれている木。どうやら松らしいのだが、こんなキノコみたいな形の樹木は見たことがない。こんな松がイタリアにはあるのか、あるいはこれはターナーの創作なのか。それがやたら気になった作品。
「レグルス」
この絵には見入ってしまった。見てわかるとおり遠くの方から強烈な光が差し込んでいる。その光景の不思議さ、そして明るい方を見てしまうという動物としての習性もこの絵のインパクトに一役買っていると思うが、それにしてもオーラのある絵である。
いちおう解説しておくとレグルスというのは古代ローマの将軍。敵国カルタゴに捕らえられ罰として瞼(まぶた)を切り取られ暗い牢獄に閉じ込められる(眠らさないということだと思う)。そしてある時、牢から出され太陽を見て失明する。この絵はレグルスが見た最後の光景を描いたらしい。
レグルス将軍のエピソード抜きでも、この絵の素晴らしさは変わらない。ブログに貼った写真ではわからないが、強烈な日差しのところは白い絵の具が幾重にも塗り重ねられていて、それがとても「いい感じの表現」になっている。それと200年近く前の絵画だから、その絵の具が少し汚れていたり黄ばんでいたり、さらにはひび割れたりしているのもいい雰囲気に一役買っている。
この絵は評判がよかったらしい。後で述べるが、それでどうもターナーは白い絵の具を塗り重ねる表現に味を占めたらしいのである?(←学説ではありません)
「ヴェネツィア、嘆きの橋」
タイトルにベネチアとなくとも、ベネチアなんだろうなと想像できるわかりやすい作品。ただし左側のゴンドラは普通だが、右側の船のようなものは水面に映る影を一体にして表現しているのか、何が描かれているかがどうもよくわからない。船の上に小人が集まっているようにも見える。背景の建物はまだ細かく描かれているが、作風がだんだんとラフなタッチに変わっていることを感じる。昔なら橋の奥にある建物もしっかり描き込んだはずだ。
そして晩年のターナーは風景を描いてはいても、
ほとんど抽象画みたいな作風に変貌する。
「ヴェネツィア―総督と海との結婚の儀式、サン・マルコ小広場」
これがあの描写の細かな風景画を描いていた同じ人物の作品とは思えない。でも配色がキレイでいい感じ。ラフなタッチによる幻想的さもちょうどいいくらい。レグルスはちょっとヘヴィー過ぎるから部屋のインテリアに1枚くれるなら、この絵がいいかも。
「フランス国王ルイ=フィリップのポーツマス到着、1844年10月8日」
だんだんと過激になってくる。
もはやタイトルなしに理解不能。
やっぱり白い絵の具を塗り重ねるのに味を占めたか(^^ゞ
「湖に沈む太陽」
そして極めつけがこれ。
もっともこの絵は貼り付けた写真から想像するのは難しいかも知れないが、会場ではレグルス以上に存在感があって、じっくり眺めている人が多かった作品。
でも冷静に考えれば、ターナーの作品を初期のものから順番に鑑賞して、そして湖に沈む太陽というタイトルがあったからこそ理解できたというか納得感があった絵のようにも思える。ある日突然この1枚だけを見せられたら「こんな絵の具を塗っただけの絵なら私でも描ける」と思ったかも知れない。イギリスの宝とも呼ばれる巨匠の作品を鑑賞しながら、プレゼン・テクニックのヒントを得てメモメモしていたのは内緒である(^^ゞ
ターナーの作風の変遷が勉強にもなったし、かなり作風が変化していった画家だからバラエティに富んだ展示で楽しかった。ただしターナーは風景の中でも海あるいは船を描いた作品が多いことで知られるが、今回は海や船の絵でいいものがなかったのが少し残念。東京は本日までで、来年は神戸で開催される。
美術館を出て上野公園のイエローオータム。
写真の左上は私の指m(_ _)m iPhoneはレンズがボディの隅にあるのでつい。
公園の地図と美術館・博物館の案内看板。
上野公園は文化の森である。
先日、箱根のポーラ美術館で見てきたモネ展が国立西洋美術館で開催中。ポーラ美術館と違って大混雑だと思う。
一方のターナーの大規模な展示会は日本で過去2回しか行われておらず、今回を見逃すと次はいつになるかわからない。というわけで、気がつけば会期終了まで残すところ1週間ほどとなった先週に慌てて出かけてきた次第。
ターナーはイギリスを代表する画家で風景画を専門とする。1775年生まれ1851年没だから、日本では江戸時代後期の人(明治維新が1868年)。美術史的には印象派の前のロマン主義という時代に属する。ロマン主義についてはあまり詳しくないので説明はやめておく。
ダ・ヴィンチ、ラファエロ、ルノワール、ゴッホなど、しょっちゅう展示会が開催されている画家と較べたらターナーの知名度は低いと思う。でもなぜか昔からその存在だけは知っていた。しかし「イギリス人の風景画家」なんてのにはまったく興味が湧かず。これはある種のブランドイメージの影響。イギリスという国にはあまり美術系のイメージがない。それに風景画というのも何となくそそらない。
とはいえイギリスでは序列第1位の画家(たぶん)だから、たまに何かで紹介される。いつ頃からかは忘れたが、やがて多少は気になる存在に。そして1年前の同じく東京都美術館で開催されたメトロポリタン美術館展。そこで見たターナーの「ヴェネツィア、サンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会の柱廊から望む」という作品にけっこうグラッと来た。というわけで、今回の展示会はかなり楽しみにしていたのである。その割に訪れたのは会期終了間際になってしまったが。
イチョウがきれいな上野公園。
ここでポスターを撮るのは毎回のお約束。
ターナー展なんてコケてるんじゃないかと心配していたが、平日の昼間に行ったのにけっこうな混雑。かつて私が食わず嫌いだっただけで、ターナーは日本でも人気があるみたい。
今回の展示会は「英国最高の巨匠、待望の大回顧展!」というキャッチフレーズがついている。回顧展というのは画家の生涯にわたる作品傾向を追っていくような構成の展示会。つまりターナーとはどんな画家かを理解するには便利な展示会。
なんだけどーーー
ある程度予想していたとはいえ初期の風景画はつまらなかった。
「ダーウェントウォーターとロウドアの滝、バロウデイル渓谷をカーフクローズ湾の岬より望む」
事細かに場所を説明したタイトルであるが、どこのことかさっぱり? 絵の横に地図も必要かな。玄人ならいろいろ鑑賞のポイントがあるのだろうが、私にはごくごくフツーの絵にしか見えなかった。でも細部まで丁寧に描いてあることに驚く。
「ディドとアエネアス」
これは現実の風景ではなく、古代ローマの詩人ウェルギリウスの作品をモチーフに描かれている。カルタゴの女王とトロイの王子の悲恋の物語。この絵もホテルならロビー正面ではなく、エレベーターホール当たりに飾られていそうな地味な絵である。
しかし細部の描き込みは非常に細かく、遠くの建物のディティールまでしっかり描かれている。ターナーはかなり几帳面な人だったように思える。一瞥しただけでは何とも思わない作品なのに、細部を観察しているうちに、だんだんといい絵に思えてくるから不思議。
「スカボロー:色彩の習作」
透明感というキーワードが頭に浮かんだ印象的な作品。スカボローというのはイギリスの地名。こういった習作(練習のために描いたもの)はたくさん展示されていたが、そのほとんどがA4サイズくらいの小さなもの。列に並ばない私の鑑賞方法では並んでいる人の頭に遮られ、じっくり見られなかったのが残念。
ターナーは44歳の時に最初のイタリア旅行をしている。それは彼の画風に大きな影響を与えたようで、俄然として絵がおもしろくなってくる。
「ヴァティカンから望むローマ、ラ・フォルナリーナを伴って回廊装飾のための絵を準備するラファエロ」
ターナーの几帳面さはタイトルの長さにも表れているのか? 300年前の画家であるラファエロまで登場させて「イタリア、よかったで〜」という感激があらわれているような作品。イギリスの風景と違って空もスカッと水色である。
「チャイルド・ハロルドの巡礼―イタリア」
イギリスの詩人バイロンの作品をモチーフにした絵。私はこの風景を見てイタリアらしさを感じることはできないが(ヨーロッパ人なら見分けがつくのかな?)、目を引いたのは画面に大きく描かれている木。どうやら松らしいのだが、こんなキノコみたいな形の樹木は見たことがない。こんな松がイタリアにはあるのか、あるいはこれはターナーの創作なのか。それがやたら気になった作品。
「レグルス」
この絵には見入ってしまった。見てわかるとおり遠くの方から強烈な光が差し込んでいる。その光景の不思議さ、そして明るい方を見てしまうという動物としての習性もこの絵のインパクトに一役買っていると思うが、それにしてもオーラのある絵である。
いちおう解説しておくとレグルスというのは古代ローマの将軍。敵国カルタゴに捕らえられ罰として瞼(まぶた)を切り取られ暗い牢獄に閉じ込められる(眠らさないということだと思う)。そしてある時、牢から出され太陽を見て失明する。この絵はレグルスが見た最後の光景を描いたらしい。
レグルス将軍のエピソード抜きでも、この絵の素晴らしさは変わらない。ブログに貼った写真ではわからないが、強烈な日差しのところは白い絵の具が幾重にも塗り重ねられていて、それがとても「いい感じの表現」になっている。それと200年近く前の絵画だから、その絵の具が少し汚れていたり黄ばんでいたり、さらにはひび割れたりしているのもいい雰囲気に一役買っている。
この絵は評判がよかったらしい。後で述べるが、それでどうもターナーは白い絵の具を塗り重ねる表現に味を占めたらしいのである?(←学説ではありません)
「ヴェネツィア、嘆きの橋」
タイトルにベネチアとなくとも、ベネチアなんだろうなと想像できるわかりやすい作品。ただし左側のゴンドラは普通だが、右側の船のようなものは水面に映る影を一体にして表現しているのか、何が描かれているかがどうもよくわからない。船の上に小人が集まっているようにも見える。背景の建物はまだ細かく描かれているが、作風がだんだんとラフなタッチに変わっていることを感じる。昔なら橋の奥にある建物もしっかり描き込んだはずだ。
そして晩年のターナーは風景を描いてはいても、
ほとんど抽象画みたいな作風に変貌する。
「ヴェネツィア―総督と海との結婚の儀式、サン・マルコ小広場」
これがあの描写の細かな風景画を描いていた同じ人物の作品とは思えない。でも配色がキレイでいい感じ。ラフなタッチによる幻想的さもちょうどいいくらい。レグルスはちょっとヘヴィー過ぎるから部屋のインテリアに1枚くれるなら、この絵がいいかも。
「フランス国王ルイ=フィリップのポーツマス到着、1844年10月8日」
だんだんと過激になってくる。
もはやタイトルなしに理解不能。
やっぱり白い絵の具を塗り重ねるのに味を占めたか(^^ゞ
「湖に沈む太陽」
そして極めつけがこれ。
もっともこの絵は貼り付けた写真から想像するのは難しいかも知れないが、会場ではレグルス以上に存在感があって、じっくり眺めている人が多かった作品。
でも冷静に考えれば、ターナーの作品を初期のものから順番に鑑賞して、そして湖に沈む太陽というタイトルがあったからこそ理解できたというか納得感があった絵のようにも思える。ある日突然この1枚だけを見せられたら「こんな絵の具を塗っただけの絵なら私でも描ける」と思ったかも知れない。イギリスの宝とも呼ばれる巨匠の作品を鑑賞しながら、プレゼン・テクニックのヒントを得てメモメモしていたのは内緒である(^^ゞ
ターナーの作風の変遷が勉強にもなったし、かなり作風が変化していった画家だからバラエティに富んだ展示で楽しかった。ただしターナーは風景の中でも海あるいは船を描いた作品が多いことで知られるが、今回は海や船の絵でいいものがなかったのが少し残念。東京は本日までで、来年は神戸で開催される。
美術館を出て上野公園のイエローオータム。
写真の左上は私の指m(_ _)m iPhoneはレンズがボディの隅にあるのでつい。
公園の地図と美術館・博物館の案内看板。
上野公園は文化の森である。
先日、箱根のポーラ美術館で見てきたモネ展が国立西洋美術館で開催中。ポーラ美術館と違って大混雑だと思う。
wassho at 07:24│Comments(0)│
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