2014年01月13日
浅草 正月見物
いや〜1月3日の話を引っ張って引っ張って、このエントリーでなんと8回目。これが最後で何とか松の内には収まった。
ところで松の内とは正月飾りをしておく、あるいはしておいてよい期間で、門松が飾りの代表だから松の内という。もっとも松の内がいつまでかは諸説あって、1月3日、1月7日、1月15日、1月20日と地方によっても違う。一般的にはだんだんと短くなる傾向で1月7日くらいが今は平均値かもしれない。でも成人の日(昔は1月15日だった)もあるし、なんとなくその日くらいまでは正月気分でいたいのが私の感覚。そういえば子供の頃、松の内を「幕の内!」といって正月に集まった親戚一同の前で恥をかいたっけ(^^ゞ
正月3日の浅草のメインストリート雷門通り。
5月の三社祭の時と同じく大勢の人出。
商店街も奥の方までぎっしり。
どら焼きの有名店があるらしい。
これは電気ブランというカクテルで有名な神谷バー。
創業は明治13年(1880年)で、住所は浅草1丁目1番地1号と浅草の生き字引みたいなお店。創業当時の電気ブランはアルコール度数45度とキツイお酒で、口の中がしびれたから電気ブランらしい。ブランはブランデーベースのカクテルだから。そのうち話のネタにいってみましょう。
DJポリス発見!
何をしているかというと浅草寺(なぜかアサクサデラではなくセンソウジと呼ぶ)に向かう初詣客の整理。雷門通りは東西に延びている。浅草寺に向かうには、雷門通りから仲見世という参道代わりの商店街を北に上がっていく。つまり雷門通りとは直角に交差している。浅草寺に参拝する人は多いので仲見世に入りきらない。そこで雷門通りより南側に初詣客を並ばせて、時々雷門通りの東西の往来を止めて、順番に南側に並んだ人々を仲見世に入れるという仕組み。言葉じゃわかりづらいかな? 来年初詣に来てみて(^^ゞ
雷門通りの南側には数百メートル人が並んでいた。そして仲見世に入った列もまったく進んでいない。仲見世は250メートルの長さがある。というわけで浅草寺に行くのはいったん取りやめ。
話は変わるが浅草の名物である人力車。
吾妻橋のたもとが乗り場のようになっているが、雷門通りにもたくさん人力車の客引きが出張っていて、けっこうウザイ。
別に意味はないけど、ここから写真をモノクロにしてみた。
道端であれこれ売っている。
浅草寺の西側はわりとディープな浅草エリアなので、そちらのほうに行ってみる。それと浅草寺の入り口は何カ所もあるので、仲見世を通る必要がある正面以外からも入ることができる。
浅草公会堂。
たくさんあるノボリは
浅草歌舞伎のノボリ。
浅草歌舞伎って普通の歌舞伎とは違うのか? 歌舞伎についてはほとんど何も知らない。よく考えれば普通の歌舞伎というものもわかっていない。
浅草公会堂の前には芸能人の手形があった。写真中央は美空ひばりの手形。現在296名分あって、毎年5名ほど新たに増えているらしい。
これだけはカラーじゃないと伝わらないので。
前から正月になると気になっていたこの飾りを調べてみると、餅花(もちばな)と呼ばれるものだった。昔は餅や団子で造っていたらしい。私は門松よりこの餅花が正月の華やいだイメージがあって好き。
東洋館。
昔の浅草芸人の話に必ず出てくるフランス座の現在が東洋館である。以前はストリップ劇場と演芸ホールの2つが入っていた。渥美清、コント55号、ビートたけしなどがフランス座出身として有名。2000年にストリップ劇場を閉鎖し、現在は演芸ホールだけの営業。
ロック座。
有名なストリップ劇場。ストリップ業界で最大手とのこと。創業は1947年(昭和22年)だから、終戦2年後に開業したことになる。それは驚かないが名前のロックって音楽のロック? それとも単に岩? 昭和22年にロックという音楽は生まれていなかったし、ストリップに岩じゃおかしいし。と思って調べてみたら、当時このあたりは浅草六区という地名だったらしい。隣はパチンコ店でロック座の入り口は以外と小さかった。入ってないよ(^^ゞ
ジャグリング。
いわば西洋風お手玉。ボールじゃなくて、このボーリングのピンみたいなものはクラブと呼ばれる。この2人はあまり上手じゃなかった。
このあたりは軒先を伸ばしてビニールシートを垂らした飲み屋がたくさんある。家賃ゼロで客席を増やすアイデア。道路の不法占拠だと思うけどなあ。
浅草のあちこちの通りには名前がついている。とはいうものの浅草の地理に詳しいわけでもなく、現在位置がどこかもわからずブラブラ歩き回っていただけ。
花やしき通り。
これは知っている。花やしきというのは浅草の小さな遊園地で、浅草寺の隣にある。だから、この通りを行けば浅草寺につくはず。
遊園地入り口と書いてあるけれど、
入ってみると土産物屋?
土産物屋の奥に入場ゲートがあった。珍しい造りだと思う
土産物屋を出て再び花やしき通りを歩くと昭和な遊戯屋さん。
お姐さん、表情に年期入ってます(^^ゞ
少し先に遊園地の普通の入り口があった。
このバラック小屋(作り物)の隙間をジェットコースターがすり抜ける。
モノクロ写真も飽きたので普通に戻す。
もっとも撮影は全部普通にカラーで、画像ソフトで色を抜いただけ。
花やしき通りをまっすぐ行くと浅草寺に西側から入れる。こちらは入るのに並ぶことはない。本堂の西裏手にある影向堂(ようごうどう)。
おみくじを買う人々。
私は占いの類にはまったく興味がない。でも仏教とも神道ともなんの関係もない占いを、神仏に関連づけて売りさばくマーケティング手法はうやまっている(^^ゞ
初詣というのは何となく神社に出かけるイメージがある。でも宗教的に特にそういう決まりはないらしい。初詣の人出ベストテンに成田山新勝寺と浅草寺はいつも名前を連ねている。逆にいえば残り8箇所は神社だから、やっぱり神社に行く人のほうが多いと思われる。
ところで正月三が日の初詣人出ランキングでは明治神宮が300万人、伏見稲荷が250万人などと言われるが、あの数字はまったくデタラメ。実際にはその1〜3割程度と思われる。例えば1日100万人も明治神宮に入らないし、100万人をあの場所に輸送することも不可能。データを見ると日本で一番乗降者数が多い新宿駅でも1日に74万人、明治神宮最寄りの原宿駅は7万人である。
初詣の人出は2009年度までは警察庁が人数を発表して、それがランキングとして報道されていたが、それ以降は取りやめになった。あれは警察が人数を調べていたのではなく、警察が各寺社に問い合わせて、それをとりまとめていたもの。もちろん各寺社はよそに負けじと適当に人数をでっち上げていただけ。警察発表として最後となった2009年で、すべての寺社の初詣客人数を合計すると9939万人!。さすがに警察もそんな数字を発表するわけにもいかなくなったんだろう。ちなみ今年は靖国神社の初詣客が例年の8倍になったというデマがネットで流れている。
これは本堂の東側面。ここと西側面は出口専用。
どういうことかというと本堂の横から正面の途中にはフェンスがあって回り込めない。つまり仲見世から辛抱強く並んだ人のみが本堂に南側から上がって、東西から降りる仕組み。もっともこれは雷門通りで並ぶのを諦めた時点で想定していた。そうじゃなければ並ぶ意味がないから。
本堂の裏手あたり。
私はお参りじゃなく、こういう風景を見たかった。
こんなに人が一杯いるのに晴れ着を着た女性は3名しか見かけなかったのが残念。京都あたりだったらもっといるのかな。
浅草寺の東側から出て雷門通り=駅の方向に向かう。この日はトータルで5〜6キロは歩いたと思う。いい運動になったが疲れた。
長かった1月3日物語もようやくオシマイ。
8回のエントリーすべてを読んでくれた人は、
今年きっといいことがあるよ(^^ゞ
ところで松の内とは正月飾りをしておく、あるいはしておいてよい期間で、門松が飾りの代表だから松の内という。もっとも松の内がいつまでかは諸説あって、1月3日、1月7日、1月15日、1月20日と地方によっても違う。一般的にはだんだんと短くなる傾向で1月7日くらいが今は平均値かもしれない。でも成人の日(昔は1月15日だった)もあるし、なんとなくその日くらいまでは正月気分でいたいのが私の感覚。そういえば子供の頃、松の内を「幕の内!」といって正月に集まった親戚一同の前で恥をかいたっけ(^^ゞ
正月3日の浅草のメインストリート雷門通り。
5月の三社祭の時と同じく大勢の人出。
商店街も奥の方までぎっしり。
どら焼きの有名店があるらしい。
これは電気ブランというカクテルで有名な神谷バー。
創業は明治13年(1880年)で、住所は浅草1丁目1番地1号と浅草の生き字引みたいなお店。創業当時の電気ブランはアルコール度数45度とキツイお酒で、口の中がしびれたから電気ブランらしい。ブランはブランデーベースのカクテルだから。そのうち話のネタにいってみましょう。
DJポリス発見!
何をしているかというと浅草寺(なぜかアサクサデラではなくセンソウジと呼ぶ)に向かう初詣客の整理。雷門通りは東西に延びている。浅草寺に向かうには、雷門通りから仲見世という参道代わりの商店街を北に上がっていく。つまり雷門通りとは直角に交差している。浅草寺に参拝する人は多いので仲見世に入りきらない。そこで雷門通りより南側に初詣客を並ばせて、時々雷門通りの東西の往来を止めて、順番に南側に並んだ人々を仲見世に入れるという仕組み。言葉じゃわかりづらいかな? 来年初詣に来てみて(^^ゞ
雷門通りの南側には数百メートル人が並んでいた。そして仲見世に入った列もまったく進んでいない。仲見世は250メートルの長さがある。というわけで浅草寺に行くのはいったん取りやめ。
話は変わるが浅草の名物である人力車。
吾妻橋のたもとが乗り場のようになっているが、雷門通りにもたくさん人力車の客引きが出張っていて、けっこうウザイ。
別に意味はないけど、ここから写真をモノクロにしてみた。
道端であれこれ売っている。
浅草寺の西側はわりとディープな浅草エリアなので、そちらのほうに行ってみる。それと浅草寺の入り口は何カ所もあるので、仲見世を通る必要がある正面以外からも入ることができる。
浅草公会堂。
たくさんあるノボリは
浅草歌舞伎のノボリ。
浅草歌舞伎って普通の歌舞伎とは違うのか? 歌舞伎についてはほとんど何も知らない。よく考えれば普通の歌舞伎というものもわかっていない。
浅草公会堂の前には芸能人の手形があった。写真中央は美空ひばりの手形。現在296名分あって、毎年5名ほど新たに増えているらしい。
これだけはカラーじゃないと伝わらないので。
前から正月になると気になっていたこの飾りを調べてみると、餅花(もちばな)と呼ばれるものだった。昔は餅や団子で造っていたらしい。私は門松よりこの餅花が正月の華やいだイメージがあって好き。
東洋館。
昔の浅草芸人の話に必ず出てくるフランス座の現在が東洋館である。以前はストリップ劇場と演芸ホールの2つが入っていた。渥美清、コント55号、ビートたけしなどがフランス座出身として有名。2000年にストリップ劇場を閉鎖し、現在は演芸ホールだけの営業。
ロック座。
有名なストリップ劇場。ストリップ業界で最大手とのこと。創業は1947年(昭和22年)だから、終戦2年後に開業したことになる。それは驚かないが名前のロックって音楽のロック? それとも単に岩? 昭和22年にロックという音楽は生まれていなかったし、ストリップに岩じゃおかしいし。と思って調べてみたら、当時このあたりは浅草六区という地名だったらしい。隣はパチンコ店でロック座の入り口は以外と小さかった。入ってないよ(^^ゞ
ジャグリング。
いわば西洋風お手玉。ボールじゃなくて、このボーリングのピンみたいなものはクラブと呼ばれる。この2人はあまり上手じゃなかった。
このあたりは軒先を伸ばしてビニールシートを垂らした飲み屋がたくさんある。家賃ゼロで客席を増やすアイデア。道路の不法占拠だと思うけどなあ。
浅草のあちこちの通りには名前がついている。とはいうものの浅草の地理に詳しいわけでもなく、現在位置がどこかもわからずブラブラ歩き回っていただけ。
花やしき通り。
これは知っている。花やしきというのは浅草の小さな遊園地で、浅草寺の隣にある。だから、この通りを行けば浅草寺につくはず。
遊園地入り口と書いてあるけれど、
入ってみると土産物屋?
土産物屋の奥に入場ゲートがあった。珍しい造りだと思う
土産物屋を出て再び花やしき通りを歩くと昭和な遊戯屋さん。
お姐さん、表情に年期入ってます(^^ゞ
少し先に遊園地の普通の入り口があった。
このバラック小屋(作り物)の隙間をジェットコースターがすり抜ける。
モノクロ写真も飽きたので普通に戻す。
もっとも撮影は全部普通にカラーで、画像ソフトで色を抜いただけ。
花やしき通りをまっすぐ行くと浅草寺に西側から入れる。こちらは入るのに並ぶことはない。本堂の西裏手にある影向堂(ようごうどう)。
おみくじを買う人々。
私は占いの類にはまったく興味がない。でも仏教とも神道ともなんの関係もない占いを、神仏に関連づけて売りさばくマーケティング手法はうやまっている(^^ゞ
初詣というのは何となく神社に出かけるイメージがある。でも宗教的に特にそういう決まりはないらしい。初詣の人出ベストテンに成田山新勝寺と浅草寺はいつも名前を連ねている。逆にいえば残り8箇所は神社だから、やっぱり神社に行く人のほうが多いと思われる。
ところで正月三が日の初詣人出ランキングでは明治神宮が300万人、伏見稲荷が250万人などと言われるが、あの数字はまったくデタラメ。実際にはその1〜3割程度と思われる。例えば1日100万人も明治神宮に入らないし、100万人をあの場所に輸送することも不可能。データを見ると日本で一番乗降者数が多い新宿駅でも1日に74万人、明治神宮最寄りの原宿駅は7万人である。
初詣の人出は2009年度までは警察庁が人数を発表して、それがランキングとして報道されていたが、それ以降は取りやめになった。あれは警察が人数を調べていたのではなく、警察が各寺社に問い合わせて、それをとりまとめていたもの。もちろん各寺社はよそに負けじと適当に人数をでっち上げていただけ。警察発表として最後となった2009年で、すべての寺社の初詣客人数を合計すると9939万人!。さすがに警察もそんな数字を発表するわけにもいかなくなったんだろう。ちなみ今年は靖国神社の初詣客が例年の8倍になったというデマがネットで流れている。
これは本堂の東側面。ここと西側面は出口専用。
どういうことかというと本堂の横から正面の途中にはフェンスがあって回り込めない。つまり仲見世から辛抱強く並んだ人のみが本堂に南側から上がって、東西から降りる仕組み。もっともこれは雷門通りで並ぶのを諦めた時点で想定していた。そうじゃなければ並ぶ意味がないから。
本堂の裏手あたり。
私はお参りじゃなく、こういう風景を見たかった。
こんなに人が一杯いるのに晴れ着を着た女性は3名しか見かけなかったのが残念。京都あたりだったらもっといるのかな。
浅草寺の東側から出て雷門通り=駅の方向に向かう。この日はトータルで5〜6キロは歩いたと思う。いい運動になったが疲れた。
長かった1月3日物語もようやくオシマイ。
8回のエントリーすべてを読んでくれた人は、
今年きっといいことがあるよ(^^ゞ
wassho at 09:09│Comments(0)│
│イベント、旅行