2014年04月19日
駒沢公園まで散歩
久しぶりに駒沢公園まで行ってきた。以前は毎週末にここで10キロほどジョギングしていたのに、最後に走ったのが何年前か思い出せない始末。一番の理由は公園まで徒歩10分ほどのところから引っ越して3倍以上の距離になったから。ウエストも限界を超えて随分になるのでそろそろ考えないと。でも天気のいい日はバイクに乗りたいしなあ。
とりあえず今年はゴールデンウイークに距離は関係なく1回は走るつもり。いきなり走るのはキツイから、その前に2回は長距離な散歩をしようと考えて本日はその1回目。歩いているだけじゃ退屈だからデジカメも持って出かけた。
正式名称は駒沢オリンピック公園。
元々は徳川家の所領だったという説もあるがあまり詳しくはわからない。
1913年(大正2年)に東京ゴルフ倶楽部という日本で3番目に古いゴルフ場ができたのが駒沢公園の前身。ちなみに東京ゴルフ倶楽部は1932年(昭和7年)に埼玉県に移転しているのに、現在も名称は「東京」ゴルフ倶楽部を名乗っている。
戦後プロ野球の球場だった時期もあって、1964年(昭和39年)の東京オリンピックの時にオリンピック第2会場としてほぼ現在の姿になる。東洋の魔女といわれた日本の女子バレーボールチームが金メダルを取ったのは駒沢公園の体育館である。
ツツジがビューティフル。
1週が2140メートルのジョギングコース。
この付近は両側がサクラで花見の名所でもある。
八重桜は満開だが数は多くない。
ユーフォルビアウルフェニーという黄色い花。ユーフォルビアだけだと和名は灯台草らしい。花の形も変わっているけれど葉っぱも特徴的。
この濃いピンクの花はベニハナトキワマンサク。漢字で書くと紅花常磐万作で常磐万作のレッドバージョン。常磐万作という人が見つけたということではないみたい。
花を咲かせながら一部の葉っぱが紅葉している。
駒沢公園は25年以上通っているから、隅から隅までとは言わないがだいたいのところはわかっている。ソメイヨシノを除けば、あまり花の多い公園じゃない。
本日見たかったのはこんな光景。
新緑のみずみずしい雰囲気、写真で伝わるかなあ〜。
これはハナミズキ、漢字なら花水木。
♪君とすきな人が百年続きますように〜 一青窈(ひとと・よう)の歌で有名。
明治45年に日米友好の印として東京市長がアメリカの首都ワシントンにサクラを送ったのは有名な話。そして3年後にその返礼として送られてきたのがハナミズキ。だから原産はアメリカの木である。
白とピンクの花ーーーに見えるが、
実はこれは花びらじゃない。
花びらに見えるのは苞(ほう)と呼ばれるツボミを包んでいた葉っぱが変形したもの。真ん中にプツプツとあるのが花。アジサイの場合は萼(ガク)という本来なら花を支えるヘタみたいなものが花のように変形してるが、それに似たようなもの。素直に花びらを作らずに、いろんなものを変形させて花びらのように見せる植物があるのが不思議。
もともとツボミを包んでいる部分だから、大きく開く前はこんな形になっている。
ハナミズキの花(苞)はわりと高いところに咲くので
写真は下からで後ろ姿になってしまう。
駒沢公園の中央広場。
右側に見えているのは陸上競技場。
駒沢公園の隣は都立大学の跡地だった。
写真左寄り奥に見えるのはそこに建ったマンション。全部で13棟あるから広い跡地だったことがわかる。
中央広場の片隅で縄跳びをやっている連中。
縄跳びで遊ぶ年齢とは思えないが、
ダブルダッチというらしい。(写真をクリックして拡大すればテントに書いてある)
縄跳びしながらヒップホップ系のダンスをしている人も。
ここにいたのはまだ初心者のようだが、
ダブルダッチは縄跳びを使ったダンスパフォーマンスみたい。
これは体育館。東京オリンピック・メモリアルギャラリーというのが併設されていて当時の映像などを見ることもできる。なぜに去年の看板が残っている?
一時は3人バスケットボールの聖地のようだったところ。
今はミニサッカーをしている人のほうが多いのかも。
駒沢通りを都心部方向を向いて。
屋外で50メーターという貴重な存在だった駒沢公園のプール。
残念ながら数年前に老朽化で閉鎖となった。前に見た時は単なる放置だったけれど、いよいよ取り壊し準備に入ったみたい。しかしこのプール閉鎖には東京都納税者として納得できない。無駄な事業は一杯あるのだから税金はプール改修に使うべきである。都民の健康をなんと心得ている。私がデブったのは長年通った愛すべき「駒プー」が閉鎖されたからだゾ! 誰か舛添さんと知り合いなら私のところへ来るように伝えといて。ところで彼は知事になってからニュースで見たことがないな。
ジョギングコースの右側に見える壁。
その向こうは東京都立のアイソトープ研究所だった。アイソトープは同位元素すべてのことだが、一般的には放射性同位元素を意味する。だから研究所(公園の隣の敷地)には放射能マークがあって「公園の隣になぜこんなものが」といつも思っていた。
それが駐車場になっていた!
ここに屋外屋内両方で50メートルプールを建設せよ!
テニスコート。
高齢化が著しいと言われるテニス。観察してみるとオッサン・オバハン・ジイチャン・バアチャンがほとんど。一番若い人でも40代中頃くらいだった。なんでそうなっちゃったのかね。
グランドでは小学生がサッカーの試合をやっていたーーー
が、金網にピントがあってほとんど写っていなかった。
ジョギングコース1週プラスうろうろして久しぶりの駒沢公園を後にする。
午後2時に自宅を出て5時に戻ってきたから3時間の散歩。人が歩くスピードはだいたい時速4キロだから12キロ歩いたことになる。脚は平気だったが足の裏が少し痛い。やっぱり身体を鍛え直さないと。
とりあえず今年はゴールデンウイークに距離は関係なく1回は走るつもり。いきなり走るのはキツイから、その前に2回は長距離な散歩をしようと考えて本日はその1回目。歩いているだけじゃ退屈だからデジカメも持って出かけた。
正式名称は駒沢オリンピック公園。
元々は徳川家の所領だったという説もあるがあまり詳しくはわからない。
1913年(大正2年)に東京ゴルフ倶楽部という日本で3番目に古いゴルフ場ができたのが駒沢公園の前身。ちなみに東京ゴルフ倶楽部は1932年(昭和7年)に埼玉県に移転しているのに、現在も名称は「東京」ゴルフ倶楽部を名乗っている。
戦後プロ野球の球場だった時期もあって、1964年(昭和39年)の東京オリンピックの時にオリンピック第2会場としてほぼ現在の姿になる。東洋の魔女といわれた日本の女子バレーボールチームが金メダルを取ったのは駒沢公園の体育館である。
ツツジがビューティフル。
1週が2140メートルのジョギングコース。
この付近は両側がサクラで花見の名所でもある。
八重桜は満開だが数は多くない。
ユーフォルビアウルフェニーという黄色い花。ユーフォルビアだけだと和名は灯台草らしい。花の形も変わっているけれど葉っぱも特徴的。
この濃いピンクの花はベニハナトキワマンサク。漢字で書くと紅花常磐万作で常磐万作のレッドバージョン。常磐万作という人が見つけたということではないみたい。
花を咲かせながら一部の葉っぱが紅葉している。
駒沢公園は25年以上通っているから、隅から隅までとは言わないがだいたいのところはわかっている。ソメイヨシノを除けば、あまり花の多い公園じゃない。
本日見たかったのはこんな光景。
新緑のみずみずしい雰囲気、写真で伝わるかなあ〜。
これはハナミズキ、漢字なら花水木。
♪君とすきな人が百年続きますように〜 一青窈(ひとと・よう)の歌で有名。
明治45年に日米友好の印として東京市長がアメリカの首都ワシントンにサクラを送ったのは有名な話。そして3年後にその返礼として送られてきたのがハナミズキ。だから原産はアメリカの木である。
白とピンクの花ーーーに見えるが、
実はこれは花びらじゃない。
花びらに見えるのは苞(ほう)と呼ばれるツボミを包んでいた葉っぱが変形したもの。真ん中にプツプツとあるのが花。アジサイの場合は萼(ガク)という本来なら花を支えるヘタみたいなものが花のように変形してるが、それに似たようなもの。素直に花びらを作らずに、いろんなものを変形させて花びらのように見せる植物があるのが不思議。
もともとツボミを包んでいる部分だから、大きく開く前はこんな形になっている。
ハナミズキの花(苞)はわりと高いところに咲くので
写真は下からで後ろ姿になってしまう。
駒沢公園の中央広場。
右側に見えているのは陸上競技場。
駒沢公園の隣は都立大学の跡地だった。
写真左寄り奥に見えるのはそこに建ったマンション。全部で13棟あるから広い跡地だったことがわかる。
中央広場の片隅で縄跳びをやっている連中。
縄跳びで遊ぶ年齢とは思えないが、
ダブルダッチというらしい。(写真をクリックして拡大すればテントに書いてある)
縄跳びしながらヒップホップ系のダンスをしている人も。
ここにいたのはまだ初心者のようだが、
ダブルダッチは縄跳びを使ったダンスパフォーマンスみたい。
これは体育館。東京オリンピック・メモリアルギャラリーというのが併設されていて当時の映像などを見ることもできる。なぜに去年の看板が残っている?
一時は3人バスケットボールの聖地のようだったところ。
今はミニサッカーをしている人のほうが多いのかも。
駒沢通りを都心部方向を向いて。
屋外で50メーターという貴重な存在だった駒沢公園のプール。
残念ながら数年前に老朽化で閉鎖となった。前に見た時は単なる放置だったけれど、いよいよ取り壊し準備に入ったみたい。しかしこのプール閉鎖には東京都納税者として納得できない。無駄な事業は一杯あるのだから税金はプール改修に使うべきである。都民の健康をなんと心得ている。私がデブったのは長年通った愛すべき「駒プー」が閉鎖されたからだゾ! 誰か舛添さんと知り合いなら私のところへ来るように伝えといて。ところで彼は知事になってからニュースで見たことがないな。
ジョギングコースの右側に見える壁。
その向こうは東京都立のアイソトープ研究所だった。アイソトープは同位元素すべてのことだが、一般的には放射性同位元素を意味する。だから研究所(公園の隣の敷地)には放射能マークがあって「公園の隣になぜこんなものが」といつも思っていた。
それが駐車場になっていた!
ここに屋外屋内両方で50メートルプールを建設せよ!
テニスコート。
高齢化が著しいと言われるテニス。観察してみるとオッサン・オバハン・ジイチャン・バアチャンがほとんど。一番若い人でも40代中頃くらいだった。なんでそうなっちゃったのかね。
グランドでは小学生がサッカーの試合をやっていたーーー
が、金網にピントがあってほとんど写っていなかった。
ジョギングコース1週プラスうろうろして久しぶりの駒沢公園を後にする。
午後2時に自宅を出て5時に戻ってきたから3時間の散歩。人が歩くスピードはだいたい時速4キロだから12キロ歩いたことになる。脚は平気だったが足の裏が少し痛い。やっぱり身体を鍛え直さないと。