2014年07月04日

ワールドカップ雑感 その2

日本とヨーロッパや南米のサッカーは違うなあと気付いた時に、
なぜか思い出した大学生の頃の出来事とはーーー


それは、とある待合室。テレビがあって高校野球が映されていた。
バアさんが3名いた。彼女たちはおしゃべりをしながらテレビを観ている。私はテレビは観ずに雑誌か新聞を読んでいたと思う。
obaasan

そのバアさん達の会話が聞こえてきた。

  バアさんA「3塁まで進んだから、次はスクイズかしら?」
  バアさんB「そうよね」
  バアさんC「前進守備をしないといけませんね」

実際はこんな上品な言葉ではなかったが(^^ゞ
そんな会話をなぜ覚えているかというと、決して野球や高校野球のファンではなさそうな、たまたまおしゃべりの場所に高校野球が放映されていたバアさん達が、おしゃべりのついでにテレビを眺めていただけなのに、ランナーが3塁に進塁したら次にどういう状況が予想されるかというレベルの高い発言をしたから。

ちなみにバアさん達はずっと他愛のないおしゃべりをしていて、上の会話はその一瞬に挟み込まれたもの。話が途切れた時、たまたま3塁にランナーがいたから口からそんな言葉が出たという感じ。


その時は、こんなバアさん達でもそれなりに野球のことを知っているんだなあと少し意外に思った程度だった。たぶん1時間後には彼女たちの会話のことも忘れたと思うが、それから15年ほど経って海外のサッカーを観た時に、なぜかその会話が記憶の中からよみがえってきたのである。

脳というのは実は認識したすべてを記憶しているんじゃないかと感じることがある。すべての記憶が意識の中にあると処理しきれず混乱するから、必要のない記憶は無意識記憶の領域に移されて普段は忘れているけれど、その無意識記憶もしっかり活動しており(でも意識の外だから気がつかない)、何かのインプットで「この記憶が必要かも」と判断する機能が働いて、そうしたら意識の記憶領域に戻されるーーー。時々、どうしてそんなことを思い出したんだろうとビックリすることがあるから、何となくそんな気がしている。


話をバアさん達に戻すと
前回のエントリーで当時の日本のサッカー選手は考えて動いていた、海外強豪国の選手は身体が反応していると書いた。高校野球を観ていたバアさん達はまさに身体が反応したのだ。もちろん彼女たちは野球をしたことはないだろうし別に興味も持っていない。でも日本では野球が古くからおこなわれており、興味はなくても馴染みがあって、その積み重ねがあったからこそのスクイズ警戒である。

そしてまったく医学的とはいえない考え方だが、彼女たちが持っている感覚はDNAに刻み込まれ、遺伝して世代を重ねるごとに濃縮される。伝統のある国が強いというのはそういう理由もあると思う。今のプロ野球選手は、あのバアさん達のひ孫世代。バアさん達が若い頃、日本のプロ野球は親善試合にやってきたアメリカの大リーグ(昔はメジャーリーグとはいわなかった)に歯が立たなかった。それが今や野球のワールドカップであるベースボールクラシックは2連覇したし、オリンピックでも常に優勝を争える位置にいた。やはりそれはDNAの濃縮効果、それに加えて野球をしなくてもわかっている人がたくさんいることよって実現する「全体のレベルが底上げされた」という状態なのだと考えている。


そうなって=あるレベル以上になって初めて、サッカーでも状況に応じて身体が反応するレベルの選手が出てくるように思う。逆にいえばJリーグの第1世代がどんなに努力しても、そのレベルには達しなかった(と思っている)。「日本が世界のトップチームに追いつくのはカズの孫の世代かなあ」というのはそういう意味。日本がワールドカップで優勝を争うようになるのは、バアさん連中がおしゃべりをしながらサッカー中継を観て

   「もっと左サイド上がらんかい!」

とか叫ぶ日が来るまでお預けである(^^ゞ


最初のテーマであるセンスから話がそれたように思われるかもしれないが、センスというのはあるレベル以上なってから問われるもの。頭で考えて動く、つまりセオリーや台本を下敷きにしたサッカーならセンスを発揮する余地もない。「カズの孫の世代かなあ」と感じてから20年ほど経った。まだ誕生していない孫の世代がサッカー選手になるまであと30年はかかる計算である。その頃には身体が反応するレベルの選手が多く揃っているかもしれない。

ふ〜30年先かと思いやられるが、ハードルはもっと高い。身体が反応するレベルに達したからといってセンスも向上しているとは限らないのである。

ーーー続く

wassho at 23:31│Comments(0) ノンジャンル 

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