2014年07月09日

ワールドカップ雑感 その3

前2回のエントリーでは、Jリーグが始まった当時、日本の選手は考えてプレーしているのに対して、海外強豪国の選手は状況に応じて身体が反応しているように感じたということが話のベースになっている。ただしそれはあくまで私の印象。書きながら思い出したのが当時よくサッカーの話をした知人のこと。彼はサッカー部だった高校時代に全国大会でそこそこのレベルまで進んでいる。つまり、私よりサッカーを観る目ははるかに肥えている。

その元サッカー部員いわく
  「日本のサッカーは何も考えずに走り回っているだけだから弱い」

つまり私とは180度違う見解(^^ゞ
どちらが正しいのかわからないが、スタートがこのレベルのあやふやさだから長々と書いているサッカーの話も、もちろんあまたあるサッカー与太話の1つである。


よくサッカーはポジションを崩すゲームだといわれる。言い換えればスペースを作るゲーム。ボールをキープしていれば守備の選手が寄ってくる。特にゴールの近くだと複数の選手が寄ってくる。そうするとどこかに守備の選手が手薄なスペースができるから、そこに味方が走り込んでパスが通ればチャンスが生まれるというような意味。

ところで、そんな解説をテレビで見たことがあると思うけれど、試合の時はそこまで気が回らない人のほうが多いと思う。私もそう。しかし、そういうことはテレビではなくグラウンドで観戦すると特に意識しなくても察知できる。オフサイドもテレビだとオフサイドの判定があって初めてそういう状況だったのかと気付くが、グランドだと何となく事前にわかるから不思議。もっとも私は学生の練習試合のようなものしか観たことがないのだが。


話を戻すと
ボールをキープしたら次にどうするかの選択肢は無数にある。ボールの位置、味方と相手の位置と相対関係、それぞれの選手の能力や動き方の特徴。基本的な要素だけでもこれくらいになる。それにパスをしたら次がシュートではなく、シュートはその数手先の場合のほうが多いから、それも読まなければいけない。もちろんスペース作りだけが選択肢ではない。最適解を探すのはスーパーコンピューターでも大変そうである。でもそれを瞬時に行えるのが一流のサッカー選手だと思う。

つまりプレーを続けながら相手のプレッシャーもある状況で、正しい判断ができるかどうかがセンスの有無である。試合が終わってから解説するのなら、私でも1ヶ月ほどサッカーの勉強をすればできる。また相手も状況を読んでいるわけだから、その裏をかくトリッキーな選択も必要になってくる。いわゆるクリエイティブなサッカーができるかどうか。

前回からの流れでいうと、サッカーの情報・知識がDNA的遺伝的蓄積によって身体に刷り込まれて3世代後には身体がもっと反応するようになる。サッカーのセンスもその延長線上にあるのは確かだとしても、それとは別の個人の属人的才能に負う部分も大きい。日本人なら誰でも着物を上手に着こなせるわけではないのだ。


長々と書いてきたセンスの話しも、そろそろまとめないと飽きてきた(^^ゞ
身体能力とメンタルの話も残っているのに。
ではセンスを養うためにはどうすればいいのかを次回に。

wassho at 08:08│Comments(0) ノンジャンル 

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