2014年07月11日
ワールドカップ雑感 その4 IDサッカーの提案
サッカーの戦術の話が盛んである。
「自分たちのサッカー」というのも戦術論のことかと思う。前に「自分たちのサッカー」についての考えも書いたが、今回は少し別の観点で。
戦略、戦術という言葉は日常的によく使われている。特に具体的な定義はないが、戦略がより大局的で戦術はもう少し細かなことというような解釈が一般的。戦略とは何かとか、何をもって戦略と呼ぶかなどの抽象的な神学論争はたくさんあるが、ここでは立ち入らない。
ところで戦略・戦術は「戦う」という言葉からわかるように、元々は軍事用語である。ビジネスやマーケティングで軍事用語からの転用は結構多い。最近は社長のことをCEOというのがお約束になっているが、CEO=チーフ・エグゼクティブ・オフィサーのオフィサーも元々は将校の意味である。
さて戦略、戦術の2つがよく使われるが、本家の軍事用語では
戦略/作戦/戦術/兵站
戦略/戦術/戦闘
などと区別されたりする。興味のある人は自分で調べてね。ここでは後者の戦略/戦術/戦闘をベースに話を進める。3つの言葉の定義は特に気にしなくていい。とりあえずは、だんだん話が細部のことになるといった程度の区切り。
例の自分たちのサッカーというのは、もちろん公式の定義があるわけではない。ネットで好き勝手に解説されているものの最大公約数は
比較的短いパスでボールをつなぐ
そして速いペースで攻め上がって
そのパスで相手のポジションを崩して攻撃する
といったところか。逆の見方をすれば
ドリブルで運ぶテクニックがない
相手の中央を突破する力量がない
ゴール前でロングパスを競り合う体格がない
ことをカバーする考え方かと思う。それが正しいかどうかは私にはわからない。ワールドカップで通用しなかったから間違っていたともいえるし、他と較べてそれでも最善だったのかもしれない。
それで「自分たちのサッカー」は戦術だとされている。上の考え方を見ればわかるように、これは試合の進め方の粗筋が書いてあるだけで点を取るための具体策ではない。つまり戦闘論が欠けている。前回に書いたようにセンスがあれば自然と正しく戦闘できるのだが、センスが充分でない現状で戦闘論を抜きにサッカーを考えても戦術は絵に描いた餅になる。
テレビでサッカー解説を見ていると「この選手が守備の選手を引きつけて、それで空いた裏のスペースにーーー」というようなことがよくいわれている。話はわかる気がするけれど、あまりにも感覚的すぎる。
そこで提案したいのはID野球の考え方を取り入れること。
ID野球とは野村克也監督が始めたといわれている、勘や経験に頼らずにデータ分析を重視した野球。具体的にはバッター攻略法を指す。例えばある打者が「どのコースのどの球種なら何%の確率でヒットを打っている、あるいは打っていない」というようなデータを元にピッチャーの配球を組み立てる(らしい)。彼は名捕手だったが自身は凡才で天才キャッチャーがもっているようなセンスはなかったのかもしれない。また名監督でもあったがセンスを備えた選手があまりいない球団を率いてきた。だからデータ重視という発想が生まれたのだと思う。
ちなみにID野球はindex(インデックスは索引=すぐに必要な情報を探せるようにデータをまとめてある)の略だとずっと思っていたが、今回調べてみたらimportant data(大事なデータ)の略だった。どれだけ細かな状況までデータ分析をしていたかは知らないが、この方法はサッカーでも使えるはず。つまりセンスのなさをデータ分析でカバーする発想。
ただしバッターだけを攻略すればいい野球と較べて、サッカーははるかに人数が多くまた選手同士の動きが複雑である。だからスーパーコンピューターまで必要かどうかは別として、IDサッカーはコンピューターによる分析やシミュレーションが中心になる。試合中の選手とボールの動きをすべて記録して、どのポジションの選手がどう動けば他の選手がどう反応して、どのようなポジショニング状況が発生しているかを解析していく。イメージとしてはサッカー解説で言われているようなことをもっと科学的・統計的に確かめるということ。
データの蓄積を重ねればいずれ得点できる動き方の法則が見つかるはずである。さらに分析を進めれば「ある状況でこういう風に動けば、相手は何%の確率でこう動いて、その結果として、このようなポジション・スペースになる確率が何%になる」といったシミュレーションが可能になってくる。つまりAの結果が欲しければB、その次にCのプレーをしろという具体的な戦闘方法が導き出せる。いくつかは今までに経験でいわれてきたものと同じかもしれない。しかし思いもつかなかったものも見つかると期待している。そして当然、この戦闘方法をたくさん持っていほど強いチームになることは間違いない。
目指せ、サッカー四十八手の習得!
が私の考える日本サッカー強化方法。
戦術を組み立てれば、最後は選手が最適なプレー(戦闘)をしてくれるというレベルにまだ日本は達していない。発展途上国は発展途上国なりの方法論が必要である。
ついでに工程表をイメージしてみる。
まず企画構想とプロジェクトチーム結成に1年はかかる。
次にデータ収集と、それをコンピュータープログラムにインプットするための方法論の確立も含めて準備に3〜4年。平行してに解析・シミュレーションプログラムも開発するとして、あれこれ迷走するだろうからそれ以上かかる。とりあえず5年としておく
分析もあーだ、こーだとなかなか進まず、最初の戦闘論を導き出すまでに3年。
それを選手に教育するカリキュラム開発に、これまた試行錯誤を含めて3年。
ここまでで12年。
とても先のことのように思えるが12年後は2028年。以前のエントリーを読んでくれた人ならわかるように、そろそろカズの孫の世代がボールを蹴って遊び始める頃である。彼らが少年サッカーを始める頃にはカリキュラムを習得したよき先輩や指導者に恵まれるはず。データ分析・シミュレーションを磨き上げて、サッカー四十八手がプロの世界で通用するまでに、もう10数年かかるだろう。その時はちょうど孫の世代が本格的にサッカーに取り組む年齢。
やがて解析・シミュレーションプログラムは対戦する選手ごとの最適値もはじき出すようになる。そして前々回に書いたように今から30年後に歓喜のワールドカップになる計算。先は長いが、それまでには初のベスト8、初のベスト4でも盛り上がれるから楽しみは取っておくべきでしょうとモーソーは膨らむ。
ところでこの工程表にはひとつ問題がある。
それはこの提案が採用されるまで何年かかるかを考慮していないところ(^^ゞ
ーーー次は身体能力へ続く
「自分たちのサッカー」というのも戦術論のことかと思う。前に「自分たちのサッカー」についての考えも書いたが、今回は少し別の観点で。
戦略、戦術という言葉は日常的によく使われている。特に具体的な定義はないが、戦略がより大局的で戦術はもう少し細かなことというような解釈が一般的。戦略とは何かとか、何をもって戦略と呼ぶかなどの抽象的な神学論争はたくさんあるが、ここでは立ち入らない。
ところで戦略・戦術は「戦う」という言葉からわかるように、元々は軍事用語である。ビジネスやマーケティングで軍事用語からの転用は結構多い。最近は社長のことをCEOというのがお約束になっているが、CEO=チーフ・エグゼクティブ・オフィサーのオフィサーも元々は将校の意味である。
さて戦略、戦術の2つがよく使われるが、本家の軍事用語では
戦略/作戦/戦術/兵站
戦略/戦術/戦闘
などと区別されたりする。興味のある人は自分で調べてね。ここでは後者の戦略/戦術/戦闘をベースに話を進める。3つの言葉の定義は特に気にしなくていい。とりあえずは、だんだん話が細部のことになるといった程度の区切り。
例の自分たちのサッカーというのは、もちろん公式の定義があるわけではない。ネットで好き勝手に解説されているものの最大公約数は
比較的短いパスでボールをつなぐ
そして速いペースで攻め上がって
そのパスで相手のポジションを崩して攻撃する
といったところか。逆の見方をすれば
ドリブルで運ぶテクニックがない
相手の中央を突破する力量がない
ゴール前でロングパスを競り合う体格がない
ことをカバーする考え方かと思う。それが正しいかどうかは私にはわからない。ワールドカップで通用しなかったから間違っていたともいえるし、他と較べてそれでも最善だったのかもしれない。
それで「自分たちのサッカー」は戦術だとされている。上の考え方を見ればわかるように、これは試合の進め方の粗筋が書いてあるだけで点を取るための具体策ではない。つまり戦闘論が欠けている。前回に書いたようにセンスがあれば自然と正しく戦闘できるのだが、センスが充分でない現状で戦闘論を抜きにサッカーを考えても戦術は絵に描いた餅になる。
テレビでサッカー解説を見ていると「この選手が守備の選手を引きつけて、それで空いた裏のスペースにーーー」というようなことがよくいわれている。話はわかる気がするけれど、あまりにも感覚的すぎる。
そこで提案したいのはID野球の考え方を取り入れること。
ID野球とは野村克也監督が始めたといわれている、勘や経験に頼らずにデータ分析を重視した野球。具体的にはバッター攻略法を指す。例えばある打者が「どのコースのどの球種なら何%の確率でヒットを打っている、あるいは打っていない」というようなデータを元にピッチャーの配球を組み立てる(らしい)。彼は名捕手だったが自身は凡才で天才キャッチャーがもっているようなセンスはなかったのかもしれない。また名監督でもあったがセンスを備えた選手があまりいない球団を率いてきた。だからデータ重視という発想が生まれたのだと思う。
ちなみにID野球はindex(インデックスは索引=すぐに必要な情報を探せるようにデータをまとめてある)の略だとずっと思っていたが、今回調べてみたらimportant data(大事なデータ)の略だった。どれだけ細かな状況までデータ分析をしていたかは知らないが、この方法はサッカーでも使えるはず。つまりセンスのなさをデータ分析でカバーする発想。
ただしバッターだけを攻略すればいい野球と較べて、サッカーははるかに人数が多くまた選手同士の動きが複雑である。だからスーパーコンピューターまで必要かどうかは別として、IDサッカーはコンピューターによる分析やシミュレーションが中心になる。試合中の選手とボールの動きをすべて記録して、どのポジションの選手がどう動けば他の選手がどう反応して、どのようなポジショニング状況が発生しているかを解析していく。イメージとしてはサッカー解説で言われているようなことをもっと科学的・統計的に確かめるということ。
データの蓄積を重ねればいずれ得点できる動き方の法則が見つかるはずである。さらに分析を進めれば「ある状況でこういう風に動けば、相手は何%の確率でこう動いて、その結果として、このようなポジション・スペースになる確率が何%になる」といったシミュレーションが可能になってくる。つまりAの結果が欲しければB、その次にCのプレーをしろという具体的な戦闘方法が導き出せる。いくつかは今までに経験でいわれてきたものと同じかもしれない。しかし思いもつかなかったものも見つかると期待している。そして当然、この戦闘方法をたくさん持っていほど強いチームになることは間違いない。
目指せ、サッカー四十八手の習得!
が私の考える日本サッカー強化方法。
戦術を組み立てれば、最後は選手が最適なプレー(戦闘)をしてくれるというレベルにまだ日本は達していない。発展途上国は発展途上国なりの方法論が必要である。
ついでに工程表をイメージしてみる。
まず企画構想とプロジェクトチーム結成に1年はかかる。
次にデータ収集と、それをコンピュータープログラムにインプットするための方法論の確立も含めて準備に3〜4年。平行してに解析・シミュレーションプログラムも開発するとして、あれこれ迷走するだろうからそれ以上かかる。とりあえず5年としておく
分析もあーだ、こーだとなかなか進まず、最初の戦闘論を導き出すまでに3年。
それを選手に教育するカリキュラム開発に、これまた試行錯誤を含めて3年。
ここまでで12年。
とても先のことのように思えるが12年後は2028年。以前のエントリーを読んでくれた人ならわかるように、そろそろカズの孫の世代がボールを蹴って遊び始める頃である。彼らが少年サッカーを始める頃にはカリキュラムを習得したよき先輩や指導者に恵まれるはず。データ分析・シミュレーションを磨き上げて、サッカー四十八手がプロの世界で通用するまでに、もう10数年かかるだろう。その時はちょうど孫の世代が本格的にサッカーに取り組む年齢。
やがて解析・シミュレーションプログラムは対戦する選手ごとの最適値もはじき出すようになる。そして前々回に書いたように今から30年後に歓喜のワールドカップになる計算。先は長いが、それまでには初のベスト8、初のベスト4でも盛り上がれるから楽しみは取っておくべきでしょうとモーソーは膨らむ。
ところでこの工程表にはひとつ問題がある。
それはこの提案が採用されるまで何年かかるかを考慮していないところ(^^ゞ
ーーー次は身体能力へ続く
wassho at 07:45│Comments(0)│
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