2014年08月06日
モディリアーニを探して〜アヴァンギャルドから古典主義へ
ブログのタイトルは展覧会のタイトル。普通は画家の名前を入れてナニナニ展、その後に説明的なコピーが続く場合が多いが、ポーラ美術館は前半部分にヒネリを入れるのが好きなのかもしれない。前回に訪れた時は「モネ 風景を見る眼 19世紀フランス風景画の革新」だった。
ポーラ美術館は今回で3回目。
2011年8月 レオナール・フジタ 藤田嗣治展
2013年11月 クロード・モネ展
は、どちらも楽しかった。この美術館の場合はバイクでヴオーンと走ってきて、シーンと静寂な空間で絵を眺めるという対比も楽しみのひとつ。美術愛好家の皆さん、ぜひバイクに乗りましょう!
さてモディリアーニ。この画家の名前は知らなくても絵を見れば「どこかで見たことがある」という人が多いと思う。それくらい個性的でインパクトがある画風。それでいてどこか哀愁があって魅せられるというか見飽きないというか。私もモディリアーニの名前を知らない時から彼の作品は好きだった。
「青いブラウスの婦人像」 モディリアーニ 1910年
これは今まで見たことのあるモディリアーニとはちょっと画風が違う。
比較的、初期の作品のようだ。といっても彼は35歳で亡くなっているのだけれど。
「婦人像 C.D.婦人」 モディリアーニ 1916年
このあたりから誰もが見たことがあるモディリアーニになる。
「ルネ」 モディリアーニ 1917年
ビートルズみたいなモディリアーニ。
彼の作品は目の瞳がかかれていないものが多い。
「髪をほどいた横たわる裸婦」 モディリアーニ 1917年
初めて開いた個展で、この絵がエロいと警察に没収されたらしい。
「若い農夫」 モディリアーニ 1918年
これはブリヂストン美術館で見たことがある。
「ルニア・チェホフスカの肖像」 モディリアーニ 1917年
モディリアーニの絵を細かく解説してもあまり意味はない。何か主張があるわけでもないし、よく見ればなるほどと唸らされるテクニックが隠されていたりはしない。彼の絵は、ひたすらひたすらその画風を楽しむべき絵である。ただし展覧会でしか味わえない楽しみが1つある。モディリアーニは陰影を描き分けたり筆のタッチで何かを表現したりもしない。いってみれば塗り絵的な絵。しかし表現が難しいのだが、そのペターっと塗られている絵の具がなぜかキレイなのである。色がキレイなのではなくて、キレイにキャンバスが塗られているというかーーー。上手く伝えられないので気になる人は見に行ってください。
日本人的には何となくフランスぽい絵のように思えるがモディリアーニはイタリア人。1884年(明治17年)生まれだから日本では文明開化真っ盛りの頃。ちなみに鹿鳴館ができたのが1883年。美術史的にはエコール・ド・パリのメンバーに数えられる。
エコール・ド・パリは直訳すれば「パリ派」で1920年代前後にパリで活躍した画家をまとめてそう呼ぶことになっている。主義主張や画風で選別されたものではなく、印象派のようにグループとしての活動があったわけでもない。以前にも書いたが「エンタの神様にでていた芸人」みたいなくくり。モディリアーニ以外ではシャガール、ユトリロ、マリー・ローランサン、藤田嗣治あたりの知名度が高いかな。ピカソもこの時代からパリで絵を描いていたが、あまりに偉大だからかエコール・ド・パリのメンバーには入れないみたい。ただしモディリアーニとピカソは交流が深かった。ついでに書くとモディリアーニを日本に紹介したのは藤田嗣治。
エコール・ド・パリと重なるが、1918年の第1次世界大戦終結を受けて1920年代のパリは狂騒の時代とか熱狂の時代とか呼ばれる時を迎える。いわゆる「古き良きパリ、パリがもっとも輝いていた、パリが一番パリらしかった時代(らしい)」である。モディリアーニがパリにやってきたのは21歳の1906年、亡くなったのが35歳の1920年だから、残念ながらその時代はほとんど過ごしていないことになる。
しかしイケメンでモンパルナスのプリンスと呼ばれたモディリアーニは、その狂騒の時代を先取りしたような人生を送った。もっとも女、酒、麻薬そして病弱に貧乏と破滅型だったみたいだが(>_<) でもそんな人生には何となく憧れる。そういう気持ちを持つ人は多いからだろうか、モディリアーニをテーマとした映画が2本撮られている。
モンパルナスの灯 1958年
モディリアーニ 真実の愛 2004年
そのうちレンタルしてみよう。
モンパルナスの灯はずいぶん古い映画だからツタヤにあるかなあ。
ーーー続く
ポーラ美術館は今回で3回目。
2011年8月 レオナール・フジタ 藤田嗣治展
2013年11月 クロード・モネ展
は、どちらも楽しかった。この美術館の場合はバイクでヴオーンと走ってきて、シーンと静寂な空間で絵を眺めるという対比も楽しみのひとつ。美術愛好家の皆さん、ぜひバイクに乗りましょう!
さてモディリアーニ。この画家の名前は知らなくても絵を見れば「どこかで見たことがある」という人が多いと思う。それくらい個性的でインパクトがある画風。それでいてどこか哀愁があって魅せられるというか見飽きないというか。私もモディリアーニの名前を知らない時から彼の作品は好きだった。
「青いブラウスの婦人像」 モディリアーニ 1910年
これは今まで見たことのあるモディリアーニとはちょっと画風が違う。
比較的、初期の作品のようだ。といっても彼は35歳で亡くなっているのだけれど。
「婦人像 C.D.婦人」 モディリアーニ 1916年
このあたりから誰もが見たことがあるモディリアーニになる。
「ルネ」 モディリアーニ 1917年
ビートルズみたいなモディリアーニ。
彼の作品は目の瞳がかかれていないものが多い。
「髪をほどいた横たわる裸婦」 モディリアーニ 1917年
初めて開いた個展で、この絵がエロいと警察に没収されたらしい。
「若い農夫」 モディリアーニ 1918年
これはブリヂストン美術館で見たことがある。
「ルニア・チェホフスカの肖像」 モディリアーニ 1917年
モディリアーニの絵を細かく解説してもあまり意味はない。何か主張があるわけでもないし、よく見ればなるほどと唸らされるテクニックが隠されていたりはしない。彼の絵は、ひたすらひたすらその画風を楽しむべき絵である。ただし展覧会でしか味わえない楽しみが1つある。モディリアーニは陰影を描き分けたり筆のタッチで何かを表現したりもしない。いってみれば塗り絵的な絵。しかし表現が難しいのだが、そのペターっと塗られている絵の具がなぜかキレイなのである。色がキレイなのではなくて、キレイにキャンバスが塗られているというかーーー。上手く伝えられないので気になる人は見に行ってください。
日本人的には何となくフランスぽい絵のように思えるがモディリアーニはイタリア人。1884年(明治17年)生まれだから日本では文明開化真っ盛りの頃。ちなみに鹿鳴館ができたのが1883年。美術史的にはエコール・ド・パリのメンバーに数えられる。
エコール・ド・パリは直訳すれば「パリ派」で1920年代前後にパリで活躍した画家をまとめてそう呼ぶことになっている。主義主張や画風で選別されたものではなく、印象派のようにグループとしての活動があったわけでもない。以前にも書いたが「エンタの神様にでていた芸人」みたいなくくり。モディリアーニ以外ではシャガール、ユトリロ、マリー・ローランサン、藤田嗣治あたりの知名度が高いかな。ピカソもこの時代からパリで絵を描いていたが、あまりに偉大だからかエコール・ド・パリのメンバーには入れないみたい。ただしモディリアーニとピカソは交流が深かった。ついでに書くとモディリアーニを日本に紹介したのは藤田嗣治。
エコール・ド・パリと重なるが、1918年の第1次世界大戦終結を受けて1920年代のパリは狂騒の時代とか熱狂の時代とか呼ばれる時を迎える。いわゆる「古き良きパリ、パリがもっとも輝いていた、パリが一番パリらしかった時代(らしい)」である。モディリアーニがパリにやってきたのは21歳の1906年、亡くなったのが35歳の1920年だから、残念ながらその時代はほとんど過ごしていないことになる。
しかしイケメンでモンパルナスのプリンスと呼ばれたモディリアーニは、その狂騒の時代を先取りしたような人生を送った。もっとも女、酒、麻薬そして病弱に貧乏と破滅型だったみたいだが(>_<) でもそんな人生には何となく憧れる。そういう気持ちを持つ人は多いからだろうか、モディリアーニをテーマとした映画が2本撮られている。
モンパルナスの灯 1958年
モディリアーニ 真実の愛 2004年
そのうちレンタルしてみよう。
モンパルナスの灯はずいぶん古い映画だからツタヤにあるかなあ。
ーーー続く
wassho at 07:37│Comments(0)│
│美術展