2014年10月19日

三浦半島のマイナースポット巡り

きっかけは富士山初冠雪のニュース。雪化粧を始めた富士山を見にツーリングするのも悪くない。富士五湖まで行けばよいのだが、この日は何となく遠出をする気になれず。そこで以前に訪れた、三浦半島の東側なのに東京湾越しに富士山が見えるという不思議な場所である破崎(やぶれざき)に行くことにした。

でもまあ、もっと冬にならないと破崎から富士山が見える確率は高くない。他の目的地も考えておかないと、破崎到着の1分後に帰路につくハメになりかねない。すぐそばには横須賀美術館と観音崎がある。残念ながら今やっている展覧会は私の好みじゃなかった。また観音崎はお気に入りの場所のひとつとはいえ、そこだけで帰るとほとんど高速道路しか走らないツーリングになってしまう。

実は三浦半島にはあまり知られていないマイナーなスポットがたくさんある。それで今回はマイナースポット巡りに決定。本当のディープなマイナースポットは内陸側にあるらしいが、マイナースポット初心者としてはプライベートビーチのような海岸といわれているところをいくつか回ることにした。破崎もマイナースポットに入れてもいいと思う。

地図1

午前10時前出発。気温は18度からたまに20度を示している。高速道路だと少しヒンヤリする。第三京浜〜横浜新道〜横浜横須賀道路の終点の馬堀までと走り慣れたルート。ところで横浜横須賀道路を走っている時に大きな虫がヘルメットのシールド(顔の前を覆っている透明な部分)を直撃。一瞬、顔が45度ほど横を向くほどの衝撃だった。シールドのないヘルメットなら怪我をしたんじゃないかと思う。シールドには虫の残骸はなかったが茶色い体液みたいなものが直径3センチくらいに広がる。途中のパーキングエリアでシールドを洗ったが、ネバネバしていてなかなか落とせなかった(>_<)


破崎到着。
前に来た時は気付かなかったが、ここは破崎緑地という名前。
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富士山頂に夕日が沈むことをダイヤモンド冨士というらしい。
ダイヤモンドのように美しいという意味かな。
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このウッドデッキから馬堀(まほり)海岸方向を眺めると、
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はい、きれいな海だけが見えました(^^ゞ
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写真中央のやや左側にかすかに白くて三角形なものが写っているが、あれは雲。ここからの富士山は写真の右側に見える。

富士山の代わりにススキでも撮ってみる。
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確率は1割以下だと考えていたので、落胆することなく観音崎へ向かう。
ここからは2〜3分の距離。




いつもの光景。
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毎回写真を撮る謎の構造物には「危険 立ち入り禁止」の文字が書かれていた。
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バーベキューを楽しむ人。
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何かを採ろうとしている人。サザエでもいるのか。
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奥へ進む。
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観音崎は整備された公園ではあるが、海岸線は手つかずの自然が残っている。
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前回のツーリングで「右カーブ曲がれない病」を発症中と書いたが、何と今回は「ボケ」を発症してしまった(/o\) 

公園を少し奥まで進んで戻ってくるつもりの途中で「何度も観音崎に来ているが、まだ灯台に登っていなかったから今日は灯台に行こう」と思いつく。破崎のリンク先である3月16日のエントリーを読んでくれた人ならわかるように、その日に灯台に登っているのだが、そんな記憶はまったくなかった(>_<)


灯台の道案内。
3月16日にも同じ写真を撮ってブログに載せていたのが情けない。
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前にも同じ階段を上ったのにまったく気付かず。
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このチェーンはとても太いので見覚えがあった。しかし観音崎の坂の手すりは、どこもこんなチェーンを使っているんだろうと気にも留めず。
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観音崎灯台。
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灯台に着いて初めて「あれ?来たことあるかも」と思う。灯台の形を覚えていたというより、灯台とその横にある建物の配置と建物の屋根の色が記憶を呼び起こしたみたい。しかし人間の心理は不思議なもので、脳の記憶は確かにこの場所に来たと告げているのに「灯台に来たことがないから今日は登ってきたわけで、だから過去に来たはずがない」という自己正当化の気持ちが葛藤する。自分可愛さに何となく記憶違いだっだような気もしてくる。


    真実を知る方法は1つしかない。


灯台の真下でiPhoneを使って「晴れ時々マーケティング 観音崎灯台」と検索して自分のブログを確かめた!


しかしヤバいなあ〜。
本当に灯台に登っていたことを100%忘れていた。


トボトボと登ってきた道を下る。
ボケ始めたのかという恐怖を海の景色が癒やしてくれる(^^ゞ
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きれいな花を見たら凹んだ気持ちも和らぐゼ。
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まっ、ボケではなく、突発性の記憶喪失ということにしておこう。



さていよいよマイナースポット巡り。
第1弾は観音崎から15分ほど走ったところにある燈明崎(とうみょうざき)。
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燈明堂という日本で最初の和式灯台が、江戸幕府によって設置されていたから燈明崎という地名。建設されたのは1648年と366年も昔。ちなみに江戸幕府が始まったのが1603年。明治5年(1872年)に廃止されるまで224年も東京湾を照らしていたことになる。廃止されたのは日本最初の洋式灯台である観音崎灯台が完成したから。


同時にここは浦賀奉行所の処刑場=首切り場でもあったとされ、供養塔のようなものが建てられている。ただし浦賀奉行所は死刑執行の権限があるレベルの奉行所ではなく、海で遭難した人を供養していたのが、いつのまにか首切り場と呼ばれるようになったという説もある。


石柱の表には「南無妙法蓮華経」。
少し離れてお地蔵さん。
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裏は「衆罪如霜露 惠日能消除」。
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これは「多くの罪は霜や露のようなものであり、あたかも太陽の光が万物を均等に照らし、霜や露を消し去るように(仏の知恵は すべてにわたって、広く一切の生物の上に行きわたり、その生物 が犯した全ての罪を消滅する)」という意味らしい。ヨカッタと思ってしまうのはナゼ?


小さな岬の先に歩いて行く。
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これが燈明堂。
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1989年(平成元年)に復元されたもの。もちろん244年間の間に何度も建て替えられているが、オリジナル最後の燈明堂は明治28年頃に壊れてなくなったとのこと。ただし台座の石垣のほとんどは江戸時代に造られたもののままらしい。石垣の技術があったのに、火を使う施設も日本はやはり木造だったのね。

燈明とはお皿に油を入れて、そこに浸した芯に火をつけるもの。それの巨大なものが燈明堂内部に設置されていた。ちなみに液体の油だとこぼれたりするので、固形に改良したのがロウソク。

燈明堂はそれほど大きくない。4.5メートル四方で高さは7メートルくらい。つまり10畳ほどの広さの2階建ての建造物。その規模で菜種油を燃やした燈明の光で、つまりはタイマツ程度の明るさで灯台の役目を果たせたのかという疑問が湧く。しかし当時は照明というものがない時代。つまり夜は真っ暗。燈明堂の光りは対岸の房総半島からも見えたらしいから驚く。


この燈明堂は昔の灯台の姿を知るには興味深い。
しかしここには、これを目的に来たわけではないのである。


ーーー続く

wassho at 23:29│Comments(0)   *ツーリング 

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