2015年05月19日
ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン 2015(5)
最後に聴いた公演はCホールで、ここには初めて入る。東京国際フォーラムのホームページによれば座席数1502で「音楽ホールの理想の形を追求した」とあるから期待できる。1階席は24列までと常識的な数字。
私の席は11列目で2日のベルリオーズのようにオーケストラの迫力を楽しめるはず。ステージの後ろにある反響板もよく響きそうである。
【公演番号346】
曲名
シューベルト:「ロザムンデ」序曲 D644
シューマン:ピアノ協奏曲 イ短調 op.54
演奏
アジス・ショハキモフ (指揮)
デュッセルドルフ交響楽団
エカテリーナ・デルジャヴィナ (ピアノ)
(写真はラ・フォル・ジュルネのホームページより)
指揮者とオーケストラは初日にブラームスとベルリオーズを聴いたのと同じ組み合わせ。彼らがステージに上がってくると、2日で3回目なので妙な親近感を感じる。
ロザムンデ序曲は、まあ前座みたいなもの。このプログラムの本命はシューマンのピアノ協奏曲。この曲は割とよく聴く。出だしのピアノが印象的でドラマティックな曲である。
ピアノの演奏はちょっと固かったかな。演奏の善し悪しはわからないけれど、それでも好き嫌いはある。でもCホールの11列目はAホールの7列目より大きな音でオーケストラを聴けたので、だんだんと細かなことより音楽に身を任せる快感の方がまさってくる。
オーケストラを生で聴いて楽しいのは、その音の厚みである。厚みというのは音色のことではなくて、響きというか音の伝わり方に厚みがあるということ。楽器が空気を振動させて、それが音となって耳に届く。オーディオの場合はスピーカーなわけだが、私には絵のように2次元の平面上に音が展開しているように思える。しかも耳に届くというより、こちらからスピーカーの音を聴きにいっている感じ。それが生オーケストラの場合、平面ではなくステージの奥行きが加わって立方体になって届いた音の中に頭を突っ込んでいるように感じる。この説明が論理的でないのは承知している。でも、そう聞こえるのだから仕方がないし、それが聴きたくて演奏会に出かけているところもある。
何はともあれ、クラシック音楽ってこんなに楽しかったっけと音楽と音に酔いしれた。よく知っている曲なので、演奏がどのあたりまで進んでいるのかがわかる。できたら途中で「戻る」ボタンを押したかったね(^^ゞ
さてシューマンのピアノ協奏曲が素晴らしかったと、どれだけ書いても「そんな曲は知らん」という人のほうが多いだろう。しか〜しである。もしあなたが私の同世代のオッサン・オバハンなら子供の頃に聴いたことがある可能性は高い。ひょっとしたら涙を流しながら聴いていたかも知れない。
なぜならウルトラセブンの最終回、ダンがアンヌに「僕は人間じゃないんだ。M78星雲から来たウルトラセブンなんだ!」と告白する印象的なシーンで使われていたのがシューマンのピアノ協奏曲だからである。
「ウルトラセブンなんだ!」の次のピアノの連打からがシューマンのピアノ協奏曲。
はい、10回見ましたか?
もう涙は拭き終わりましたか(^^ゞ
ウルトラセブンを見ていた頃に、この曲の題名などを知っていたわけではない。しかし大人になって初めて聴いた時、出だしのピアノを聴いたとたんに、あのシルエットになったダンとアンヌのシーンが脳裏に蘇ったーーーというと大げさだが、何となくどこかで聴いた記憶があると思った。それだけあの最終回は子供心に衝撃的だったのだと思う。
まだネットなんかなかった頃の話で、ウルトラセブンで使われていたことを確認するのに時間がかかったが、それ以来「シューマン:ダンとアンヌのピアノ協奏曲 」とかってに曲名を変更している。
今年もラ・フォル・ジュルネを楽しめてよかった。書き忘れたがベルリオーズを聴いた時は、私の前の席に、このイベントの仕掛け人であるルネ・マルタンが座っているという珍しい体験もできた。去年もそうだったが生の演奏を聴いた後は、CDを聴いてもいつもより楽しいし、耳が敏感になるのかより細かなところまで聞こえる気がする。これほど大規模でなくても、気軽に出かけられるクラシック音楽祭がもっとあればいいのにと思う。
おしまい
私の席は11列目で2日のベルリオーズのようにオーケストラの迫力を楽しめるはず。ステージの後ろにある反響板もよく響きそうである。
【公演番号346】
曲名
シューベルト:「ロザムンデ」序曲 D644
シューマン:ピアノ協奏曲 イ短調 op.54
演奏
アジス・ショハキモフ (指揮)
デュッセルドルフ交響楽団
エカテリーナ・デルジャヴィナ (ピアノ)
(写真はラ・フォル・ジュルネのホームページより)
指揮者とオーケストラは初日にブラームスとベルリオーズを聴いたのと同じ組み合わせ。彼らがステージに上がってくると、2日で3回目なので妙な親近感を感じる。
ロザムンデ序曲は、まあ前座みたいなもの。このプログラムの本命はシューマンのピアノ協奏曲。この曲は割とよく聴く。出だしのピアノが印象的でドラマティックな曲である。
ピアノの演奏はちょっと固かったかな。演奏の善し悪しはわからないけれど、それでも好き嫌いはある。でもCホールの11列目はAホールの7列目より大きな音でオーケストラを聴けたので、だんだんと細かなことより音楽に身を任せる快感の方がまさってくる。
オーケストラを生で聴いて楽しいのは、その音の厚みである。厚みというのは音色のことではなくて、響きというか音の伝わり方に厚みがあるということ。楽器が空気を振動させて、それが音となって耳に届く。オーディオの場合はスピーカーなわけだが、私には絵のように2次元の平面上に音が展開しているように思える。しかも耳に届くというより、こちらからスピーカーの音を聴きにいっている感じ。それが生オーケストラの場合、平面ではなくステージの奥行きが加わって立方体になって届いた音の中に頭を突っ込んでいるように感じる。この説明が論理的でないのは承知している。でも、そう聞こえるのだから仕方がないし、それが聴きたくて演奏会に出かけているところもある。
何はともあれ、クラシック音楽ってこんなに楽しかったっけと音楽と音に酔いしれた。よく知っている曲なので、演奏がどのあたりまで進んでいるのかがわかる。できたら途中で「戻る」ボタンを押したかったね(^^ゞ
さてシューマンのピアノ協奏曲が素晴らしかったと、どれだけ書いても「そんな曲は知らん」という人のほうが多いだろう。しか〜しである。もしあなたが私の同世代のオッサン・オバハンなら子供の頃に聴いたことがある可能性は高い。ひょっとしたら涙を流しながら聴いていたかも知れない。
なぜならウルトラセブンの最終回、ダンがアンヌに「僕は人間じゃないんだ。M78星雲から来たウルトラセブンなんだ!」と告白する印象的なシーンで使われていたのがシューマンのピアノ協奏曲だからである。
「ウルトラセブンなんだ!」の次のピアノの連打からがシューマンのピアノ協奏曲。
はい、10回見ましたか?
もう涙は拭き終わりましたか(^^ゞ
ウルトラセブンを見ていた頃に、この曲の題名などを知っていたわけではない。しかし大人になって初めて聴いた時、出だしのピアノを聴いたとたんに、あのシルエットになったダンとアンヌのシーンが脳裏に蘇ったーーーというと大げさだが、何となくどこかで聴いた記憶があると思った。それだけあの最終回は子供心に衝撃的だったのだと思う。
まだネットなんかなかった頃の話で、ウルトラセブンで使われていたことを確認するのに時間がかかったが、それ以来「シューマン:ダンとアンヌのピアノ協奏曲 」とかってに曲名を変更している。
今年もラ・フォル・ジュルネを楽しめてよかった。書き忘れたがベルリオーズを聴いた時は、私の前の席に、このイベントの仕掛け人であるルネ・マルタンが座っているという珍しい体験もできた。去年もそうだったが生の演奏を聴いた後は、CDを聴いてもいつもより楽しいし、耳が敏感になるのかより細かなところまで聞こえる気がする。これほど大規模でなくても、気軽に出かけられるクラシック音楽祭がもっとあればいいのにと思う。
おしまい

