2015年12月06日
さよならダーさん
私が大学生だった1970年代後半はサーフィンが大ムーブ。単にスポーツ・レジャーとして流行っていたというより、ファッションやライフスタイルを含めて社会的現象だったといっていい。サーフィンはしなくてもサーファー風の格好をした陸(おか)サーファーと呼ばれる連中もサーファー以上にたくさんいた。
そのブームに乗っかって私もサーフィンにドップリとはまった。春・夏・秋はほぼ毎週サーフィンに行っていたように思う。冬はペースが落ちたものの砂浜が波打ち際まで雪で真っ白になっているところで海に入った経験もある。何がそんなに楽しかったんだろうと今になっては思うが、当時はサーフィンに行くのが生活の一部になっていた。
やがて一緒によくサーフィンをしていた連中とサーフチームを作った。一番盛り上がったのは頻繁にやっていた合コンだが(^^ゞ、小さな大会を開いたたりもして、また毎年3月には九州で10日間ほどの合宿をした。社会人になってからは基本的に忘年会の組織になったものの、2年ほど前からまたサーフィンを始め出すメンバーが増え、去年の9月には超久々となるサーフィン旅行に私も参加した。
ダーさんはサーフチームの中心的存在だった。去年の旅行もそうだったし、何かをする時はたいてい彼が言い出して始まった。忘年会が35年以上ずっと続いてきたのも、いつも幹事役を買って出てくれていたおかげである。長い間チームのメンバーとは年に1回会うだけだったのに、彼がLINEでチームのグループを立ち上げてからは、まるで隣近所に住んでいるようにコミュニケーションも活発になった。
ダーさんから2年か3年前に大腸にガンが見つかったと告げられた。エ〜!と思ったけれど、その年の忘年会で変わったところはなかったしサーフィンも始めだしたので、ガンも早期発見ならそれほど心配する必要はないのだと思っていた。その後に手術をしたが去年の旅行で一番元気にはしゃいでいたのも彼だった。少し痩せていたのが気になっても、海に入って隣りでサーフィンをしている相手を病人だと思うことは難しい。
年末の忘年会でも普段通りのダーさんだった。膀胱にガンの疑いがあるとか見つかったとか言っていた記憶はあるが、もうあまり気にしていなかった。ガンを患いながら普通の生活を送っている人は多くいる。だから何となくダーさんもそういうものだと信じていた。
しかし今年の4月、なぜか本人ではなくメンバーの1人から「ダーさんが手術を無事に乗り越えた」との連絡がLINEに入った。膀胱を摘出する大手術だったらしい。ただし「5月にあるサザンオールスターズのライブに向けて療養中です」とのメッセージも添えられていた。彼は音楽好きでよくライブ(昔風に言うならコンサートね)に出かけていた。サザンのライブはステージと客席が一体になって盛り上がる祭りみたいなもの。それに行くつもりなのだからと、その時もそれほど心配はしていなかった。
でもそれからダーさんはLINEに出てこなくなった。抗がん剤を飲んだら何をするにも億劫になると聞いたことがある。だからそうなのかなと思っていた。6月か7月になってから、ダーさんからサザンのライブに行ったと報告のLINEがなかったことに気がついた。彼はライブに行くといつもメッセージを入れてきて、それをきっかけにメンバーの会話があれこれ盛り上がるのが常だった。少し心配になったが、その時はまだライブに行けないくらい「回復が遅いのか」程度の気持ちだった。
その後もずっとLINEに出てこないので、ダーさんと幼稚園から一緒のメンバーに尋ねてみると、かなり病状は進行しているようだった。しかしその彼から8月の終わりに「退院して自宅療養中」との連絡が入ったのでひと安心する。
それから再び入院したのは知らなかった。彼がLINEに出てこなくなった理由は、本人から聞いたわけではないが、メンバーに心配をかけないようにとの理由だったみたい。しかしそれは彼らしくなかった。去年か一昨年の忘年会で誰かが冗談で「60歳程度でポックリ逝きたいもんだ」というような発言をすると、ダーさんは「お前、よくそんな話をガン患者の前で言えるな!」と突っ込んでいた(^^ゞ そんな自虐ネタで皆を笑わせるくらい明るいキャラがダーさんだった。でも何度目かの手術の後、本人はそれなりにもう自分の死期を悟っていたのかも知れない。
11月20日、もう病院では手の施しようがないのでホスピスに移るらしいとの連絡が入る。例外はあるものの、そうなった場合の余命は長くて半年から1年くらいである。奥さんから1日単位で症状が悪化しているとの報告を受けて、何人かのメンバーが見舞いに行ったが本人の意志で面会は断られた。会えないくらい苦しんでいたのか、あるいはボロボロになった姿を見せたくなかったのかはわからない。何人かの末期ガンの人を見てきたが、最後はかなり凄絶な状況になるケースも多い。
11月30日にダーさんは息を引き取った。覚悟はしていたとはいえ、あまりの急展開にやはり信じられない思いだった。旅行で一緒にサーフィンをしてから1年と2ヶ月しかたっていない。あの旅行での出来事はまだ全部思い出せる。既にガンだったとはいえ、あんなに元気だった人間がこんなに早く亡くなるという現実を受け入れるのは難しかった。
お通夜には行けなかったが葬儀には参列した。午前6時過ぎに自宅を出て大阪に向かう。まだ薄暗かったし、駅前の人もまばらな商店街はとても寂しい光景にこの日は感じた。棺の中のダーさんはびっくりするくらい痩せていて、まるで別人みたいだった。彼の身長は170センチ台後半である。でも体重は40キロ台になっていたように思えた。最後にいろいろ声をかけるつもりだったのに、その顔に驚き胸がつかえて何も言えなかった。
ダーさんはヤンチャで頑固な男だった。「あの人はいい人」とは言われないタイプである。だから気が合ったのかな。またドスケベで飛びきり下品だった。この歳になってもまだヒワイな放送禁止用語を連発していた。私が今までの人生で聞いた放送禁止用語の9割はダーさんの口から発せられたものである(^^ゞ 元々は大学の同級生M君の幼なじみとの縁で知り合った。だから長い付き合いだが冷静に考えると、サーフィンや合コンや忘年会など遊び以外では会ったことがない。それでも彼との思い出はつきないが、そのほとんどが家族に伝えるのをハバカラレル内容なのが残念である(^^ゞ
また彼はなぜか記憶力が抜群によく、いつどこで何があったかをよく覚えていた。まさにチームの生き字引的な存在で、それは同時に彼の前でヘマをするとそれをネタに何年もイジラレるのを意味する。意外にマメな面もあり、昔のフィルムだった頃の写真をスキャンしてメールで送ってくれたりもした。下の写真は手前がダーさんで奥が私である。いつどこで撮ったものかわからないが、ヘアスタイルがサーファーカットじゃないから、社会人1年か2年目だと思う。
この頃を最後にサーフィンに行かなくなった。そして去年が30何年か振りのサーフィン旅行だった。これからまた毎年一緒にサーフィンをして、エロトークで盛り上がるつもりだったのに残念でならない。
さよならダーさん
お見送りはしたから、
まだ先のつもりだけれど出迎えは忘れずに頼む。
合掌
そのブームに乗っかって私もサーフィンにドップリとはまった。春・夏・秋はほぼ毎週サーフィンに行っていたように思う。冬はペースが落ちたものの砂浜が波打ち際まで雪で真っ白になっているところで海に入った経験もある。何がそんなに楽しかったんだろうと今になっては思うが、当時はサーフィンに行くのが生活の一部になっていた。
やがて一緒によくサーフィンをしていた連中とサーフチームを作った。一番盛り上がったのは頻繁にやっていた合コンだが(^^ゞ、小さな大会を開いたたりもして、また毎年3月には九州で10日間ほどの合宿をした。社会人になってからは基本的に忘年会の組織になったものの、2年ほど前からまたサーフィンを始め出すメンバーが増え、去年の9月には超久々となるサーフィン旅行に私も参加した。
ダーさんはサーフチームの中心的存在だった。去年の旅行もそうだったし、何かをする時はたいてい彼が言い出して始まった。忘年会が35年以上ずっと続いてきたのも、いつも幹事役を買って出てくれていたおかげである。長い間チームのメンバーとは年に1回会うだけだったのに、彼がLINEでチームのグループを立ち上げてからは、まるで隣近所に住んでいるようにコミュニケーションも活発になった。
ダーさんから2年か3年前に大腸にガンが見つかったと告げられた。エ〜!と思ったけれど、その年の忘年会で変わったところはなかったしサーフィンも始めだしたので、ガンも早期発見ならそれほど心配する必要はないのだと思っていた。その後に手術をしたが去年の旅行で一番元気にはしゃいでいたのも彼だった。少し痩せていたのが気になっても、海に入って隣りでサーフィンをしている相手を病人だと思うことは難しい。
年末の忘年会でも普段通りのダーさんだった。膀胱にガンの疑いがあるとか見つかったとか言っていた記憶はあるが、もうあまり気にしていなかった。ガンを患いながら普通の生活を送っている人は多くいる。だから何となくダーさんもそういうものだと信じていた。
しかし今年の4月、なぜか本人ではなくメンバーの1人から「ダーさんが手術を無事に乗り越えた」との連絡がLINEに入った。膀胱を摘出する大手術だったらしい。ただし「5月にあるサザンオールスターズのライブに向けて療養中です」とのメッセージも添えられていた。彼は音楽好きでよくライブ(昔風に言うならコンサートね)に出かけていた。サザンのライブはステージと客席が一体になって盛り上がる祭りみたいなもの。それに行くつもりなのだからと、その時もそれほど心配はしていなかった。
でもそれからダーさんはLINEに出てこなくなった。抗がん剤を飲んだら何をするにも億劫になると聞いたことがある。だからそうなのかなと思っていた。6月か7月になってから、ダーさんからサザンのライブに行ったと報告のLINEがなかったことに気がついた。彼はライブに行くといつもメッセージを入れてきて、それをきっかけにメンバーの会話があれこれ盛り上がるのが常だった。少し心配になったが、その時はまだライブに行けないくらい「回復が遅いのか」程度の気持ちだった。
その後もずっとLINEに出てこないので、ダーさんと幼稚園から一緒のメンバーに尋ねてみると、かなり病状は進行しているようだった。しかしその彼から8月の終わりに「退院して自宅療養中」との連絡が入ったのでひと安心する。
それから再び入院したのは知らなかった。彼がLINEに出てこなくなった理由は、本人から聞いたわけではないが、メンバーに心配をかけないようにとの理由だったみたい。しかしそれは彼らしくなかった。去年か一昨年の忘年会で誰かが冗談で「60歳程度でポックリ逝きたいもんだ」というような発言をすると、ダーさんは「お前、よくそんな話をガン患者の前で言えるな!」と突っ込んでいた(^^ゞ そんな自虐ネタで皆を笑わせるくらい明るいキャラがダーさんだった。でも何度目かの手術の後、本人はそれなりにもう自分の死期を悟っていたのかも知れない。
11月20日、もう病院では手の施しようがないのでホスピスに移るらしいとの連絡が入る。例外はあるものの、そうなった場合の余命は長くて半年から1年くらいである。奥さんから1日単位で症状が悪化しているとの報告を受けて、何人かのメンバーが見舞いに行ったが本人の意志で面会は断られた。会えないくらい苦しんでいたのか、あるいはボロボロになった姿を見せたくなかったのかはわからない。何人かの末期ガンの人を見てきたが、最後はかなり凄絶な状況になるケースも多い。
11月30日にダーさんは息を引き取った。覚悟はしていたとはいえ、あまりの急展開にやはり信じられない思いだった。旅行で一緒にサーフィンをしてから1年と2ヶ月しかたっていない。あの旅行での出来事はまだ全部思い出せる。既にガンだったとはいえ、あんなに元気だった人間がこんなに早く亡くなるという現実を受け入れるのは難しかった。
お通夜には行けなかったが葬儀には参列した。午前6時過ぎに自宅を出て大阪に向かう。まだ薄暗かったし、駅前の人もまばらな商店街はとても寂しい光景にこの日は感じた。棺の中のダーさんはびっくりするくらい痩せていて、まるで別人みたいだった。彼の身長は170センチ台後半である。でも体重は40キロ台になっていたように思えた。最後にいろいろ声をかけるつもりだったのに、その顔に驚き胸がつかえて何も言えなかった。
ダーさんはヤンチャで頑固な男だった。「あの人はいい人」とは言われないタイプである。だから気が合ったのかな。またドスケベで飛びきり下品だった。この歳になってもまだヒワイな放送禁止用語を連発していた。私が今までの人生で聞いた放送禁止用語の9割はダーさんの口から発せられたものである(^^ゞ 元々は大学の同級生M君の幼なじみとの縁で知り合った。だから長い付き合いだが冷静に考えると、サーフィンや合コンや忘年会など遊び以外では会ったことがない。それでも彼との思い出はつきないが、そのほとんどが家族に伝えるのをハバカラレル内容なのが残念である(^^ゞ
また彼はなぜか記憶力が抜群によく、いつどこで何があったかをよく覚えていた。まさにチームの生き字引的な存在で、それは同時に彼の前でヘマをするとそれをネタに何年もイジラレるのを意味する。意外にマメな面もあり、昔のフィルムだった頃の写真をスキャンしてメールで送ってくれたりもした。下の写真は手前がダーさんで奥が私である。いつどこで撮ったものかわからないが、ヘアスタイルがサーファーカットじゃないから、社会人1年か2年目だと思う。
この頃を最後にサーフィンに行かなくなった。そして去年が30何年か振りのサーフィン旅行だった。これからまた毎年一緒にサーフィンをして、エロトークで盛り上がるつもりだったのに残念でならない。
さよならダーさん
お見送りはしたから、
まだ先のつもりだけれど出迎えは忘れずに頼む。
合掌
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