2016年01月06日
背中に猿を背負うな
テニスの錦織圭が座右の銘にしている言葉とのこと。
正月に放送された「天才アスリート・勝利の言葉」という番組で知った。酔っぱらってうたた寝しながら見ていたので、あまり番組内容は覚えていない。しかし背中に猿を背負うなとは「何それっ?」と思う表現であるし、また今年は申年(さるどし)なのでこの言葉は印象に残った。
錦織圭によると意味しているのはシンプルで、試合で余計なことを考えたり、必要以上のプレッシャーを感じるなとの言葉のよう。ジュニア時代のコーチに言われたとかで、別に猿じゃなくてゴリラでも何でもいいらしい。つまり猿に深い意味はなく、余計なことを背負うと、それが重荷になって実力が出せないというようなニュアンスで番組は伝えていた。あくまでキモは猿ではなく背負うの部分。しかし猿知恵=浅はかを意味する表現もあるから、雑念や無駄なプレッシャーを猿レベルの役に立たない思考として、それに惑わされるなと諭しているような気もする。
テニスに限らず他のスポーツでもビジネスでも人生でも、猿に惑わされたら正確な状況認識ができない。それについて反論する人はいないだろう。ただし状況認識とは手段であって、その目的は正確な状況認識に基づいて合理的な判断をすることにあるはず。
しかし難しいんだなあ、これが。
感情という非合理的なものが判断に影響する。ありとあらゆる固定観念や慣習から逃れられない。合理的とはいえない規範や規律に取り囲まれている。合理性を超えた「事情」が常に存在する(^^ゞ
というわけで合理的でない判断を積み重ねて、積み重ねて「今日」がある。もうこうなると非合理の固まりである。合理的な判断を自分自身が受け入れられないことも多い。合理的な判断は(相手や周りに)通用しないからと諦める場合もある。
猿を背負っているとはあまり思っていないけれど、その先がサルだったら同じかと正月早々から反省(/o\) 今年は申年だから「頭に猿をのせるな」をテーマにしてみようかと考えている。
遅ればせながらHappy New Year!
正月に放送された「天才アスリート・勝利の言葉」という番組で知った。酔っぱらってうたた寝しながら見ていたので、あまり番組内容は覚えていない。しかし背中に猿を背負うなとは「何それっ?」と思う表現であるし、また今年は申年(さるどし)なのでこの言葉は印象に残った。
錦織圭によると意味しているのはシンプルで、試合で余計なことを考えたり、必要以上のプレッシャーを感じるなとの言葉のよう。ジュニア時代のコーチに言われたとかで、別に猿じゃなくてゴリラでも何でもいいらしい。つまり猿に深い意味はなく、余計なことを背負うと、それが重荷になって実力が出せないというようなニュアンスで番組は伝えていた。あくまでキモは猿ではなく背負うの部分。しかし猿知恵=浅はかを意味する表現もあるから、雑念や無駄なプレッシャーを猿レベルの役に立たない思考として、それに惑わされるなと諭しているような気もする。
テニスに限らず他のスポーツでもビジネスでも人生でも、猿に惑わされたら正確な状況認識ができない。それについて反論する人はいないだろう。ただし状況認識とは手段であって、その目的は正確な状況認識に基づいて合理的な判断をすることにあるはず。
しかし難しいんだなあ、これが。
感情という非合理的なものが判断に影響する。ありとあらゆる固定観念や慣習から逃れられない。合理的とはいえない規範や規律に取り囲まれている。合理性を超えた「事情」が常に存在する(^^ゞ
というわけで合理的でない判断を積み重ねて、積み重ねて「今日」がある。もうこうなると非合理の固まりである。合理的な判断を自分自身が受け入れられないことも多い。合理的な判断は(相手や周りに)通用しないからと諦める場合もある。
猿を背負っているとはあまり思っていないけれど、その先がサルだったら同じかと正月早々から反省(/o\) 今年は申年だから「頭に猿をのせるな」をテーマにしてみようかと考えている。
遅ればせながらHappy New Year!
wassho at 22:02│Comments(0)│
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