2016年05月07日

皇居 北の丸公園

昨年はラ・フォル・ジュルネのプログラムの空き時間に会場を抜け出し、皇居の外苑東御苑を見て回ってなかなか楽しめた。それで今年は3つある皇居の公園の残り1つである北の丸公園を訪れることに。それと北の丸公園に隣接する東御苑で昨年は見なかった場所にも足を運んできた。
皇居地図2

5月5日のラ・フォル・ジュルネで聴くプログラムは午後4時45分から。だから今回は皇居を回ってから会場に向かうという順序。


都営新宿線の九段下駅で降りる。少し歩けば北の丸公園である。道路を挟んで写真右側の木々は靖国神社の参道。
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公園入口の東側のお堀は牛ヶ淵(うしがふち)という。桜の名所である千鳥ヶ淵(ちどりがふち)は誰でも知ってと思うが、こちらの名前はかなりマイナー。牛ヶ淵も千鳥ヶ淵と同じように桜がたくさん咲くのに。
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公園の入口に入らず靖国通りをそのまま進むと、高燈篭(たかとうろう)あるいは常燈明台(じょうとうみょうだい)と呼ばれるものがある。灯台のような形をしているが、元々は明治4年(1871年)に造られ、靖国神社に祀られた霊のために明かりをともしていたもの。靖国神社の前に建てられていたが道路改修の都合で道を挟んだこの場所に移転したらしい。
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灯台のような形と書いたが、九段は小高い丘となっているので(九段の丘の下にあるのが九段下という地名)当時は品川沖の船から高燈篭の明かりが見えて、灯台の役割も果たしていたようである。


高燈篭と並んで建てられているのが品川弥二郎と大山巌の銅像。品川弥二郎は長州藩出身の幕末から明治にかけて活躍した政治家。大山巌(いわお)は薩摩出身の軍人。日清日露戦争を指揮し、死後は国葬が執り行われた。ちなみに日本で国葬となったのは今まで21名。
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大山巌は何となく知っていたが、品川弥二郎の名前は記憶にないなあ。銅像なんかを見て少し歴史を調べてみるのも都内散歩のおもしろさ。


銅像を過ぎると桜名所の千鳥ヶ淵。
桜のシーズンにはこんな風景あんな風景が見られる。


いよいよ北の丸公園に入る。入口は田安門。外側にある高麗門と内側の渡櫓門(わたりやぐらもん)のセットで田安門を構成している。
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敵に外側の門を突破されてもまっすぐ進入できないようにして、内側の櫓(やぐら)の上から攻撃するという構造。この仕組みを枡形門(ますがたもん)といい、多くの城で採用されている。ということは攻める側もこの構造を承知なわけで、どれだけの効果があったのかは疑問。もっとも江戸城は敵の攻撃にさらされたことはないはず。私が大砲のない時代の軍隊の指揮官なら、この構造物を焼き尽くしてから進入するかな。


この田安門は江戸城初期の頃から残る建物で重要文化財になっている。
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田安門というのは徳川御三卿(ごさんきょう)の1つである田安家が、この門の近くに屋敷を構えていたことに由来する名前。御三卿は田安・一橋・清水だけれど、同じく徳川の分家である尾張・紀州・水戸の御三家と較べると印象が薄いかな。それにしても御三家や御三卿というのは徳川の世を未来永劫存続させようという強い意志を感じるね。



田安門をくぐってすぐのところにあるのが日本武道館。広々とした敷地の中にあるからか、それほど大きな建物には感じない。
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運動禁止の立て札があちこちに。運動がどこまでの範囲を示すかわからないが、このあたりはジョギングしている人もいなかった。
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現在位置。この後は地図で左下45度方向へ進む。
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いい感じの芝生広場。
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芝生の隣が水辺になっている。
川というより敷地内部に張り巡らされたお堀というべきなんだろう。
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新緑と青空。まさに初夏。
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芝生広場を進むと日差しがまともに当たるので水辺沿いのコースを歩く。
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芝生広場を取り囲むように水辺が続き、先ほどとは反対方向から見た風景。
絵に描いたようなノンビリした風景。
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これは花びらに白い模様があるからカキツバタかな。
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公園の隅にあるこのクラシックな建物は、
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旧近衛師団指令部庁舎で、現在は東京国立近代美術館の工芸館。
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また銅像で北白川宮能久親王。能久は「よしひさ」と読む。皇族であり軍人。昔の皇族は数が多いので少し調べただけでは「誰なのか」ピンとこない。とりあえず明治天皇の義理の叔父に当たる人らしい。
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軍人あるいは武士の銅像はやっぱり馬に乗っているのが似合う。今の軍人を銅像にするなら制作者はポーズに悩むかも。



田安門からほぼまっすぐ南下しただけで、あちこちを歩き回らなかったので北の丸公園は30分くらいで通り抜けた。

北の丸公園と東御苑の間には道路が横切っている。ここには写っていないが首都高も通っている。北の丸〜東御苑〜外苑の3つは一般に開放されているとはいえ、お堀で囲まれたエリア全体が皇居というイメージが何となくあるので、東京に来て初めてこのあたりの道路を通った時は少し驚いた記憶がある。
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北の丸公園の南側出口に門はない。田安門は江戸城の出入り口であったから門が設けられているけれど、北の丸公園の南側は江戸城内部だからかな。

北の丸公園の南出口に面しているのが乾門。江戸城内部なのに門?
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調べてみると乾門は明治になってから作られた門。ここから先が天皇の宮殿・住居である本当の意味での皇居。大雑把にいうと徳川家は江戸城の東半分を主に使っていたのに対して、天皇家は西半分を使っている。そして余った東半分の北の丸〜東御苑〜外苑が一般に開放されたという歴史のいきさつ。

乾門に近づくと警官が手を振って「こっちに来るな」と合図する。カメラを構えるとちょっとオスマシ(^^ゞ 普段は立ち入り禁止だが、新年の一般参賀などではこの門から入る。


乾門から1〜2分離れたところの北桔橋門(きたはねばしもん)から東御苑に入る。
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また江戸城内部なのに門?であるが、東御苑は江戸城本丸(将軍の住居)だったところであるから、警戒厳重にその内部への出入りを監視していたということだろう。


北桔橋門の東側は平川壕というお堀。東御苑=本丸側の石垣はかなり高くて防御力を高めていることがわかる。赤い印がある建物は去年に片岡球子展を見た東京国立近代美術館。
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この出入り口では警官による持ち物チェックがある。
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これが極めて役所的な「キチンと仕事をしていますよ」アピールのためのパフォーマンス。とりあえずカバンの中を見るだけ。帰りに通った大手門ではチェックをしていないから、ここだけでやっても意味があるとは思えない(大手門はここよりはるかに人の出入りが多いので、荷物チェックするなら大仕事になる)。荷物しか見ないのでポケット入れた爆弾はお咎めなし。それに警察や軍隊で警備の仕事は二人一組が鉄則のはずだが、見ての通りお巡りさんはたった1人でのんびりと。とりあえず日本が平和の国でよかった.


ーーー続く

wassho at 22:40│Comments(0) イベント、旅行 

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