2016年05月08日
皇居 東御苑
北の丸公園を抜けて東御苑へ。
北桔橋門(きたはねばしもん)の先の受付で、例によって入園票を受け取ると、目の前に現れる石垣。これは昨年も見た天守台=天守閣が建っていた土台部分。
巨大な天守台の横を抜けて、
芝生広場に。このあたりは大奥があったところ。去年も書いたが、ここに家康や家光がいたのかと思うと歴史と今とのつながりを感じる。
今年歩いたのはマップに赤く塗ったエリア。マップの7の芝生広場から15へ抜ける道は現地の案内看板には書いてなかった?ので、いったん入口のほうに戻る。
このモダンな建物は、
宮内庁書陵部。
書陵部というのは皇室関連の文書と陵墓(天皇の墓)を管理してて、両方の漢字をくっつけた造語。それにしても言葉の響きと建物のイメージが合わない。
書陵部の先の坂道には、
梅が植えられている。
梅の実がたくさんなっていた。
坂を下りると石垣。本丸を守るためのものと思う。
上の写真の左側、東方向に降りていくと二の丸エリア。
本丸や二の丸というのは城の中のエリアの呼び名。城は曲輪(くるわ)または郭(くるわ)と呼ばれるいくつかのブロックで構成される。その中で重要なブロックには「丸」の名前がつく。
最も重要な曲輪が本丸。基本的には大名の執務・居住エリア。その次に重要なのが二の丸で三の丸がそれに続く。なぜか本丸を一の丸とは呼ばないし、数字を使うのは三の丸までが習わしで四の丸や五の丸というのはない。三の丸以降の重要ブロックは北の丸や西の丸といった東西南北、あるいはその他固有の名前がつけられる。
ちなみに今年のNHK大河ドラマは真田丸。それは真田信繁(幸村)が大阪冬の陣で築いた陣地の名前で、丸がつくのはそこが重要ブロックだから(と思う)。ついでに船名に丸をつけるのが城の丸に由来しているのかどうかはわかっていない。
今の二の丸エリアは雑木林になっている。
土地に何も手を入れないと雑木林になる。公園部分もそうだが皇居本体もできるだけ雑木林を残すように造園されているらしい。皇居がなかったら都心のヒートアイランド現象はもっと激しいかも。
都道府県の木が植えられている一画があった。
この宮崎県産のフェニックスは反則かなあ。目立ちすぎる(^^ゞ
諏訪の茶屋。
数奇屋風の書院茶室様式らしい。茶室とは四畳半ほどの大きさだし、虚飾を廃したシンプルな造り。書院造りは基本的に格式ばったもの。この2つがどうして合体するのか建築には詳しくないのでよくわからない。
二の丸庭園。
松は立派で形もいいのだが、背景が雑木林だから眺めとしては映えない。庭園美と自然との共生は意外と難しいのかも。
雑木林の中の遊歩道を歩く。
東京駅から歩いてこられる場所で森林浴ができるのは素晴らしい。
大手門のほうへ降りていく。見覚えのある100人番屋。江戸時代を背景に高層ビル群が見える光景がシュール(超現実的)。
大手門を出た橋の上から。ここを境に北側にあるお堀が大手濠で、南側が桔梗濠(ききょう)と呼ばれる。
皇居のお堀は20程のエリア別にそれぞれ名前がついているが、そのほとんどが濠(ごう)で淵がつくのは千鳥ヶ淵と牛ヶ渕だけ。江戸城の場合、濠というのは基本的に掘って造ったか窪地に水を溜めたもの。淵は小さな川をダムでせき止めて水面を広げたものという違いらしい。
お堀には明治の中頃まで玉川上水(多摩川の上流で取水して江戸市中に水を供給していた水道)が流れ込んでいたが、玉川上水廃止後は新宿にあった浄水場の余った水だけを使うようになり、それも1965年頃に廃止されて(その跡地が都庁などがある新宿副都心)、現在は雨水と地下水だけがお堀の水源。大雨が降れば下水の水も流れ込む。浄化設備による取り組みはいろいろ行われているようだが、今のところ皇居のお堀といえばグリーンという印象なのが残念。
中央分離帯のところで信号が赤になってしまったついでに内堀通りを撮影。
東御苑を出たのが午後4時。この日のラ・フォル・ジュルネは4時45分スタートのプログラムから。歩いて東京フォーラムに向かっても間に合う時刻であるが、屋台村でビールを飲んで休憩したかったのでタクシーで移動。
北桔橋門(きたはねばしもん)の先の受付で、例によって入園票を受け取ると、目の前に現れる石垣。これは昨年も見た天守台=天守閣が建っていた土台部分。
巨大な天守台の横を抜けて、
芝生広場に。このあたりは大奥があったところ。去年も書いたが、ここに家康や家光がいたのかと思うと歴史と今とのつながりを感じる。
今年歩いたのはマップに赤く塗ったエリア。マップの7の芝生広場から15へ抜ける道は現地の案内看板には書いてなかった?ので、いったん入口のほうに戻る。
このモダンな建物は、
宮内庁書陵部。
書陵部というのは皇室関連の文書と陵墓(天皇の墓)を管理してて、両方の漢字をくっつけた造語。それにしても言葉の響きと建物のイメージが合わない。
書陵部の先の坂道には、
梅が植えられている。
梅の実がたくさんなっていた。
坂を下りると石垣。本丸を守るためのものと思う。
上の写真の左側、東方向に降りていくと二の丸エリア。
本丸や二の丸というのは城の中のエリアの呼び名。城は曲輪(くるわ)または郭(くるわ)と呼ばれるいくつかのブロックで構成される。その中で重要なブロックには「丸」の名前がつく。
最も重要な曲輪が本丸。基本的には大名の執務・居住エリア。その次に重要なのが二の丸で三の丸がそれに続く。なぜか本丸を一の丸とは呼ばないし、数字を使うのは三の丸までが習わしで四の丸や五の丸というのはない。三の丸以降の重要ブロックは北の丸や西の丸といった東西南北、あるいはその他固有の名前がつけられる。
ちなみに今年のNHK大河ドラマは真田丸。それは真田信繁(幸村)が大阪冬の陣で築いた陣地の名前で、丸がつくのはそこが重要ブロックだから(と思う)。ついでに船名に丸をつけるのが城の丸に由来しているのかどうかはわかっていない。
今の二の丸エリアは雑木林になっている。
土地に何も手を入れないと雑木林になる。公園部分もそうだが皇居本体もできるだけ雑木林を残すように造園されているらしい。皇居がなかったら都心のヒートアイランド現象はもっと激しいかも。
都道府県の木が植えられている一画があった。
この宮崎県産のフェニックスは反則かなあ。目立ちすぎる(^^ゞ
諏訪の茶屋。
数奇屋風の書院茶室様式らしい。茶室とは四畳半ほどの大きさだし、虚飾を廃したシンプルな造り。書院造りは基本的に格式ばったもの。この2つがどうして合体するのか建築には詳しくないのでよくわからない。
二の丸庭園。
松は立派で形もいいのだが、背景が雑木林だから眺めとしては映えない。庭園美と自然との共生は意外と難しいのかも。
雑木林の中の遊歩道を歩く。
東京駅から歩いてこられる場所で森林浴ができるのは素晴らしい。
大手門のほうへ降りていく。見覚えのある100人番屋。江戸時代を背景に高層ビル群が見える光景がシュール(超現実的)。
大手門を出た橋の上から。ここを境に北側にあるお堀が大手濠で、南側が桔梗濠(ききょう)と呼ばれる。
皇居のお堀は20程のエリア別にそれぞれ名前がついているが、そのほとんどが濠(ごう)で淵がつくのは千鳥ヶ淵と牛ヶ渕だけ。江戸城の場合、濠というのは基本的に掘って造ったか窪地に水を溜めたもの。淵は小さな川をダムでせき止めて水面を広げたものという違いらしい。
お堀には明治の中頃まで玉川上水(多摩川の上流で取水して江戸市中に水を供給していた水道)が流れ込んでいたが、玉川上水廃止後は新宿にあった浄水場の余った水だけを使うようになり、それも1965年頃に廃止されて(その跡地が都庁などがある新宿副都心)、現在は雨水と地下水だけがお堀の水源。大雨が降れば下水の水も流れ込む。浄化設備による取り組みはいろいろ行われているようだが、今のところ皇居のお堀といえばグリーンという印象なのが残念。
中央分離帯のところで信号が赤になってしまったついでに内堀通りを撮影。
東御苑を出たのが午後4時。この日のラ・フォル・ジュルネは4時45分スタートのプログラムから。歩いて東京フォーラムに向かっても間に合う時刻であるが、屋台村でビールを飲んで休憩したかったのでタクシーで移動。
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