2016年05月11日
ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン 2016(4)
アンコールのダンス・オブ・ファイヤの余韻さめやらぬまま広場に出る。広場は左右をホールの建物に取り込まれているし、背の高い木もたくさん植えられているので、午後6時過ぎのこの時刻でも少し薄暗い。
屋台は相変わらずの大賑わい。
次のプログラムは7時45分開演なので、
東京フォーラムからは1分の距離にある有楽町駅前に出てブラブラ。
とはいっても有楽町はオフィスからも近く、いってみれば生活圏内。だから特に見て回りたいようなところもなし。
というわけで開演1時間前に会場入り。
今年はプログラムとプログラムの間の空き時間が、中途半端な間隔になってしまったので用意周到に文庫本持参。
ホールとしては5列目だけれど端っこの席なので、前に座席はなく最前列気分。
心配していた音のバランスは、バイオリンが少し遠くで聞こえる感は否めない。しかしチェロやコントラバスの細かな旋律ががよく聞こえたので、それはそれで楽しめた。左右どちらかの隅っこを選ぶとしたら右のほうがいいかも。
5月5日の二番目に聴いたプログラムは
ヴィクトロワ:青龍
チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番 変ロ短調 op.23
チャイコフスキーのピアノ協奏曲は聞き慣れた曲。もう1つのヴィクトロワは今度こそ正真正銘まったく知らない作曲家。パンフレットによるとヴィクトロワはロシアで音楽活動をしている現役の作曲家。今年はAホールのプログラムしかチケットを取れなかったから偶然なのだが、本日は3公演とも知っている曲と知らない曲のカップリング。それ自体はいい組み合わせだった。
指揮はドミトリー・リス。
オーケストラがウラル・フィルハーモニー管弦楽団。
ドミトリー・リスはここの常任指揮者のようだ。
ピアノがルーカス・ゲニューシャス。
この写真にキュンとなった女子の皆さん。残念ながらこれは二十歳そこそこの頃の写真のようである。ゲニューシャスは1990年生まれだからまだ25か26歳のはずであるが、この日に見た彼はポッチャリと肉付きがよくなり(スーツが窮屈そうだった)写真の面影はあるものの、歳の割には老け顔の微妙な風体になっていた(/o\)
今回は指揮者もピアニストもロシア人。オーケストラもロシアのオーケストラ。ヴィクトロワはウクライナ生まれだがまあ似たようなもの。そしてチャイコフスキーはもちろんロシア人。というわけでオールロシアのプログラム。
まずはヴィクトロワの青龍から演奏が始まる。相撲の朝青龍と違って青龍は「せいりゅう」と読む。中国の伝説上の神獣・四神のひとつで東を守っているらしい。パンフレットによると、この曲は青龍をモチーフとして東西文化の融合を形にしたものとのこと。小難しい現代音楽は苦手なのだが、割とあっさり目でそんなに違和感なく聴けた。ただし東洋的な匂いが音楽に現れているとは感じず。珍しかったのは途中で打楽器のようにコントラバスやチェロが楽器を手で叩いて音を出したこと。バイオリンではそれはなかったが、何億円もするストラディバリウスだったらどうするんだろう?
演奏が終わって拍手が始まると、女性がひとり客席からステージ下にやってきた。指揮者が彼女に拍手というような素振りをしている。客席の中程にコーラス隊でもいたのかと思い振り返っても他には誰もいない。1人で唱ってたから聞こえなかった? あるいはダンサー? そんな風にも見えなかったけど。その時は彼女の正体がわからなかったが、公演が終わって会場を出る時に「あの女性は作曲者のヴィクトロワ」という会話が耳に入ってきた。せっかく作曲者本人が来ているなら、ちょっとトークでもしてくれればいいのに。
そしてゲニューシャス入場でチャイコフスキーのピアノ協奏曲1番。この曲の初めはかなりきらびやかなイメージ。でもピアノは派手でも、実はオーケストラ部分はチャイコフスキーらしい旋律になっているところが好き。チャイコフスキーらしい旋律って何という質問はなしということで(^^ゞ
ゲニューシャスはかなり素晴らしかった。チャイコフスキーのピアノ協奏曲1番はピアニストにとってかなり疲れる曲だと思うが、フォルテシモで連打するところも超早弾きところも、すべてを支配下に置いてまだ余裕があった感じ。オーケストラも最終日の公演なので少し疲れている印象は受けたが音はよかったと思う。
指揮者とピアニストがロシア人で、オーケストラもロシアで多くはロシア人だろうから、とてもロシアっぽい演奏かとも期待したが、それはそうでもなかった。考えてみれば当たり前でチャイコフスキーやラフマニノフにロシアやスラブの雰囲気を感じるところはあるけれど、ロシア人が演奏したからといって譜面通りやるわけだから、それがことさら増幅されるわけでもない。
それにロシア的スラブ的というのも外人がサムライとかゲイシャガールというのと同じで、日本人が思い込んでいる勝手な古典的イメージに過ぎない。演奏者も普段はスマホを持ってユニクロを着てナイキを履いている現代人である(←比喩的表現です)。ゲニューシャスにいたっては平成生まれの若者。ドストエフスキーやトルストイよりもゲームやSNSに馴染みがあるに違いない(←憶測です)。
とはいってもロシア・スラブ的な旋律が大好き(^^ゞ
ーーー続く
※アーティストの写真はホームページからの借用
http://www.lfj.jp/lfj_2016/performance/artist/artist_name.html
屋台は相変わらずの大賑わい。
次のプログラムは7時45分開演なので、
東京フォーラムからは1分の距離にある有楽町駅前に出てブラブラ。
とはいっても有楽町はオフィスからも近く、いってみれば生活圏内。だから特に見て回りたいようなところもなし。
というわけで開演1時間前に会場入り。
今年はプログラムとプログラムの間の空き時間が、中途半端な間隔になってしまったので用意周到に文庫本持参。
ホールとしては5列目だけれど端っこの席なので、前に座席はなく最前列気分。
心配していた音のバランスは、バイオリンが少し遠くで聞こえる感は否めない。しかしチェロやコントラバスの細かな旋律ががよく聞こえたので、それはそれで楽しめた。左右どちらかの隅っこを選ぶとしたら右のほうがいいかも。
5月5日の二番目に聴いたプログラムは
ヴィクトロワ:青龍
チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番 変ロ短調 op.23
チャイコフスキーのピアノ協奏曲は聞き慣れた曲。もう1つのヴィクトロワは今度こそ正真正銘まったく知らない作曲家。パンフレットによるとヴィクトロワはロシアで音楽活動をしている現役の作曲家。今年はAホールのプログラムしかチケットを取れなかったから偶然なのだが、本日は3公演とも知っている曲と知らない曲のカップリング。それ自体はいい組み合わせだった。
指揮はドミトリー・リス。
オーケストラがウラル・フィルハーモニー管弦楽団。
ドミトリー・リスはここの常任指揮者のようだ。
ピアノがルーカス・ゲニューシャス。
この写真にキュンとなった女子の皆さん。残念ながらこれは二十歳そこそこの頃の写真のようである。ゲニューシャスは1990年生まれだからまだ25か26歳のはずであるが、この日に見た彼はポッチャリと肉付きがよくなり(スーツが窮屈そうだった)写真の面影はあるものの、歳の割には老け顔の微妙な風体になっていた(/o\)
今回は指揮者もピアニストもロシア人。オーケストラもロシアのオーケストラ。ヴィクトロワはウクライナ生まれだがまあ似たようなもの。そしてチャイコフスキーはもちろんロシア人。というわけでオールロシアのプログラム。
まずはヴィクトロワの青龍から演奏が始まる。相撲の朝青龍と違って青龍は「せいりゅう」と読む。中国の伝説上の神獣・四神のひとつで東を守っているらしい。パンフレットによると、この曲は青龍をモチーフとして東西文化の融合を形にしたものとのこと。小難しい現代音楽は苦手なのだが、割とあっさり目でそんなに違和感なく聴けた。ただし東洋的な匂いが音楽に現れているとは感じず。珍しかったのは途中で打楽器のようにコントラバスやチェロが楽器を手で叩いて音を出したこと。バイオリンではそれはなかったが、何億円もするストラディバリウスだったらどうするんだろう?
演奏が終わって拍手が始まると、女性がひとり客席からステージ下にやってきた。指揮者が彼女に拍手というような素振りをしている。客席の中程にコーラス隊でもいたのかと思い振り返っても他には誰もいない。1人で唱ってたから聞こえなかった? あるいはダンサー? そんな風にも見えなかったけど。その時は彼女の正体がわからなかったが、公演が終わって会場を出る時に「あの女性は作曲者のヴィクトロワ」という会話が耳に入ってきた。せっかく作曲者本人が来ているなら、ちょっとトークでもしてくれればいいのに。
そしてゲニューシャス入場でチャイコフスキーのピアノ協奏曲1番。この曲の初めはかなりきらびやかなイメージ。でもピアノは派手でも、実はオーケストラ部分はチャイコフスキーらしい旋律になっているところが好き。チャイコフスキーらしい旋律って何という質問はなしということで(^^ゞ
ゲニューシャスはかなり素晴らしかった。チャイコフスキーのピアノ協奏曲1番はピアニストにとってかなり疲れる曲だと思うが、フォルテシモで連打するところも超早弾きところも、すべてを支配下に置いてまだ余裕があった感じ。オーケストラも最終日の公演なので少し疲れている印象は受けたが音はよかったと思う。
指揮者とピアニストがロシア人で、オーケストラもロシアで多くはロシア人だろうから、とてもロシアっぽい演奏かとも期待したが、それはそうでもなかった。考えてみれば当たり前でチャイコフスキーやラフマニノフにロシアやスラブの雰囲気を感じるところはあるけれど、ロシア人が演奏したからといって譜面通りやるわけだから、それがことさら増幅されるわけでもない。
それにロシア的スラブ的というのも外人がサムライとかゲイシャガールというのと同じで、日本人が思い込んでいる勝手な古典的イメージに過ぎない。演奏者も普段はスマホを持ってユニクロを着てナイキを履いている現代人である(←比喩的表現です)。ゲニューシャスにいたっては平成生まれの若者。ドストエフスキーやトルストイよりもゲームやSNSに馴染みがあるに違いない(←憶測です)。
とはいってもロシア・スラブ的な旋律が大好き(^^ゞ
ーーー続く
※アーティストの写真はホームページからの借用
http://www.lfj.jp/lfj_2016/performance/artist/artist_name.html