2016年08月06日

ルノワール展 その2

「ブランコ」1876年
21ブランコ

どうしても人物に目が行くし、現在の我々がイメージするブランコがある場所とはまったく違うので、タイトルを見なければブランコが描かれた絵とは気付かなかったかも知れない。それにしても小さな女の子がいるのに、どうして大人がブランコを独占しているのだ?

ルノワール独特の光の表現が、かなりコントラストを高めに描かれている。写真をクリックして拡大し、画面から少し目を離して眺めると、そのことがよくわかるはず。前回のエントリーで書いた、昔、私が惹かれたルノワールの絵の幸せ感がこの絵にも溢れていると思う。



「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」1876年
22ムーラン

前回のエントリーで書いたように、死ぬまでには絶対に見たいと思っていた絵。どうしてそこまで気に入っているかというと、実は特に理由はない。何となく好きなだけ。絵なんてのはそんなものじゃないかな。念願かなって見られたわけだけれど、それで人生が変わったりもしない。それでも、もし日本で見られないなら、この絵が収蔵されているフランスのオルセー美術館に行ってでも見てやると思わせるのが絵の魔力かもしれない。

ムーラン・ド・ラ・ギャレットというのはパリのモンマルトルにあったダンスホール。描かれているのは屋外だから、これは中庭みたいな所なんだろうか。ルノワール独特の光の表現が見て取れる。一番手前の男性の背中にいくつか丸があって、それで木漏れ日みたいなものを表現しているが、何となく不自然とというかちょっとやり過ぎという印象をずっと持っていた。でも本物を見るとサイズがタテ131.5センチ×ヨコ176.5センチと大きいせいもあって、そういう細かなところは気にならない。とにかく柔らかい光に包まれていることが実感できる絵なのである。大げさではなく最初は絵にスポットライトが当たっているのかと思ったくらいである。(もちろん絵に照明は当てられているが、それが反射して光るということはない)。

ところで美術史に残るほとんどの有名な絵は本や雑誌やネットで見ることができる。以前にも書いた気がするが、その本物を見てもビックリするくらい新たに感動したり、まったく違う印象を受けるものではない。精神的な満足感をのぞいて何が違うかというと、

その1:生々しさ
これは絵にもよるのだが、何百年前の作品でも昨日に描き終えたんじゃないかと感じるものがある。何となく画家の息づかいが感じられるというか。私が展覧会に通う理由のひとつがそれである。

本やネットで見る絵は写真に撮られたものである。そして写真に撮る・印刷する、あるいはディスプレーに表示する段階で絵が持つ情報が欠落するのだと思う。現在のテクノロジーでもすべてを再現できているわけでは決してない。浮世絵を見るといつも思うのだが、いい浮世絵だなあと思っていても、同じ作者の描いた肉筆画が一緒に展示されていると、それを見た後は浮世絵がつまらない。浮世絵=版画=印刷で、しかも原始的な印刷だから情報量は少ない。浮世絵と肉筆画を較べるのは極端かもしれないが、まあ同じような理屈で本やネットでは生々しさに欠けるのだと思っている。


その2:迫力
これは単純にサイズの問題。本やネットで見た絵から受ける感動の質は、本物を見た時とそう変わらないかも知れないが、感動の量はやっぱりサイズに比例する気がする。


主にこの2点が今までの持論だったが、ムーラン・ド・ラ・ギャレットを見て、光の表現も本やネットでは感じ取れていなかったと気付いた。生々しさと同じく情報量の欠落が原因だろう。光の表現といっても、レンブラントやカラヴァッジョのようなコントラストのはっきりしたものは本物との差はない。ムーラン・ド・ラ・ギャレットは柔らかい光の表現だからそう感じるのかもしれない。このブログに貼った写真も、展覧会で見た印象とはやはり違う。

そういうわけで本物のムーラン・ド・ラ・ギャレットには光が満ちており、その光が絵からこぼれ落ちているように感じられて、それがとても気に入ったのだが意外な落とし穴が。当たり前だけど絵の中に光があるわけじゃない。そう錯覚するようにテクニックを駆使して描かれている。だからしばらく見ていると目が慣れて、絵からこぼれていた光を感じなくなってしまうのである(/o\)


絵に描かれているのは、ちょっとお洒落してやって来たパリの市民という感じで、これまたルノワールらしい幸せそうな絵である。でも実際のムーラン・ド・ラ・ギャレットはもっと場末的というか退廃感が漂うダンスホールだったらしい。モンマルトルも当時は低所得者層が住むエリアだった。「人生は辛いものだから、絵とは楽しく、きれいなものでなければならない」というのがルノワールのポリシー。だから我々が目にしているのはこぼれる陽光も含めてルノワール・マジックといえるのかもしれない。


ムーラン・ド・ラ・ギャレットは当時のいろんな画家が描いている。画風ではなく、画家の視点というか描きたかったものが、それぞれ違っていておもしろい。※これらの作品は展覧会とは無関係。

 ゴッホのムーラン・ド・ラ・ギャレット 1886年
ゴッホ

 ロートレックのムーラン・ド・ラ・ギャレット 1891年
ロートレック

 ピカソのムーラン・ド・ラ・ギャレット 1900年
ピカソ

 ユトリロのムーラン・ド・ラ・ギャレット 1931年
ユトリロ


ちなみにムーランは風車、ギャレットは日本ではガレットとも呼ぶ焼き菓子の一種。敷地に風車があって焼き菓子が名物だからムーラン・ド・ラ・ギャレットと呼ばれていたらしい。ムーラン・ルージュというキャバレーの名前もよく耳にするが、ルージュ=赤(転じて口紅)の意味で、そこに赤い風車があったから店名になった。ところで風車というとオランダを思い浮かべる。でも19世紀のパリには粉挽き用の風車がたくさんあったとのこと。

ムーラン・ド・ラ・ギャレットは、ダンスホールからレストランになって今でもパリにある。何でもすぐリニューアル=ぶっ壊してしまう日本と違って、歴史ある建物がたくさん残っているパリがうらやましい。


ーーー続く

wassho at 22:49│Comments(0) 美術展 

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