2016年08月10日

ルノワール展 その3

この展覧会の目玉作品は間違いなくムーラン・ド・ラ・ギャレット。その次は好みにもよるが「田舎のダンス」「都会のダンス」の2作品だろう。この両者が日本で揃うのは45年振りらしい。ルノワールにはもうひとつ「ブージヴァルのダンス」という作品もあって、それを併せて「ダンス3部作」という呼び方をする。そしてなんと「ブージヴァルのダンス」も来日中で名古屋ボストン美術館で展覧会が開かれている。

無理を承知で言えば、企画を融通・調整して3部作を一緒に見られる機会を設けて欲しかったなあ。日本に来ないならオルセー美術館まで出かけて見るつもりだったムーラン・ド・ラ・ギャレットと違って、ブージヴァルのダンスにそこまでの思い入れはなく名古屋までは遠いので。


「田舎のダンス」
31田舎のダンス


「都会のダンス」
32都会のダンス


ダンス3部作はすべて1883年に描かれている(ちなみに明治16年)。これまでのエントリーで紹介してきた、1876年の作品である「陽光のなかの裸婦」や「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」の7年後となる。そして1876年の頃とは描き方が違う。まず絵の中に光は溢れていない。そして写実的とまではいえないないが、人物はより細かなところまで描き込まれている。

美術史ではこのダンス3部作の頃からルノワールは、狭義の印象派から脱却して新しい画風を模索し始めたと説明される。アカデミックなことにあまり興味はないが、たとえ画風を少々変えたとしても、これから先のほとんどの作品で、一目見てルノワールとわかるアイデンティティは揺るがない。それは前回のエントリーで書いた彼のポリシーに変化がないからだろう。

モデルの男性は2枚とも共通。都会のダンスの女性は、印象派の作品によく登場するモデルのシュザンヌ・ヴァラドン。日本風に表現するならスザンヌ。彼女は後に画家にもなり、またユトリロの母親でもある。田舎のダンスの女性は、シャンパーニュ地方出身のお針子であるアリーヌ・シャリゴ。ルノワールは後に彼女と結婚している。「ブージヴァルのダンス」のモデルもシュザンヌ・ヴァラドンであり、「田舎のダンス」も、つまり3枚とも彼女の予定だったが、アリーヌ・シャリゴが嫉妬して自分を描かせたらしい(^^ゞ

二人の表情は、楽しそうなアリーヌ・シャリゴ(田舎のダンス)と、悲しそうにも見えるシュザンヌ・ヴァラドン(都会のダンス)で対照的。もちろんルノワールはどちらとも「おつきあい」があった。シュザンヌ・ヴァラドンは、この作品が発表された年に、父親非公表の私生児としてユトリロを出産する。ルノワールは父親と推定される候補の一人。また先ほどの嫉妬のエピソードなどもあり、その表情の違いについていろんな解説がある。そんなゴシップも絵の楽しみのひとつ。



参考までに、こちらが名古屋の展覧会に出品されている「ブージヴァルのダンス」。男性は3部作とも同じ人物。「田舎のダンス」のアリーヌ・シャリゴがふくよかなのでルノワールらしさを一番感じるが、ダンスの動きが感じられるという点ではこちらのほうが好き。
33ブージヴァルのダン




「母性」あるいは「乳飲み子」(ルノワール夫人と息子ピエール)1885年
41母性

「田舎のダンス」のモデルのアリーヌ・シャリゴは1885年にルノワールの子供を産む。当時ルノワール44歳、アリーヌ26歳と約20歳違いのカップル。5年後の1890年に結婚する。

何を描いても幸せそうな雰囲気になるルノワールが、母親が赤ちゃんにオッパイをあげるという幸せなシーンを描くのだから、この絵は幸せに満ちあふれている。ところでダンスの絵で、ルノワールは印象派から脱却して新しい画風を模索し始めたと書いたが、そのことはこの絵ではっきりと見て取れる。顔にしろ服にしろ輪郭がとてもシャープにはっきりと描かれている。イタリアに旅行してラファエロの絵を見て影響を受けたといわれている。ルノワールによれば「印象派は光の効果にかまけて、ものの形を描くことをおろそかにしてきた」ということらしい。



「ルノワール夫人」1916年 リシャール・ギノとの競作
42ルノワール夫人

アリーヌ・シャリゴはいわゆる良妻賢母タイプ。シュザンヌ・ヴァラドンと天秤にかけた時期もあったらしいが、夫婦仲はよくルノワールは彼女の絵を何枚も残している。しかし彼女は1915年に56歳で亡くなる。とはいってもルノワールが亡くなったのはその4年後の1919年だから、彼女の死は早かったとはいえ、そこそこ添い遂げた結婚生活ともいえるのだが。

これはアリーヌのお墓に供えるために作られたもの。実際に彫刻製作をしたのはリシャール・ギノでルノワールが監修役。二人がコラボレーションした彫刻は他にも展示されていた。「田舎のダンス」でもかなりふくよかに描かれているが、この彫刻でもその体格のよさが偲ばれる。ルノワールはきっと彼女のことを「カアちゃん」と呼んでいたに違いない(^^ゞ


ーーー続く

wassho at 08:24│Comments(0) 美術展 

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