2016年08月11日

ルノワール展 その4

ルノワールが1880年代に印象派的技法を離れ、輪郭がシャープに変容していくことは前回までのエントリーで書いた。彼の1880年代は「硬い時代」とも呼ばれている。1890年代にはまた柔らかいタッチに戻り「真珠色の時代」となる。ただし以前のように光が溢れるような描き方をしていないのは残念なところ。まあ画家も同じような絵をばかりじゃ飽きてくるんだろう。


「ジュリー・マネ」あるいは「猫を抱く子供」1887年
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「硬い時代」と「真珠色の時代」の過渡期の作品なのかな。顔の輪郭は割とシャープだけれど服は柔らかに描かれている。その顔を見ると、なぜか大昔の少女マンガ、あるいは挿絵のようなものを思い起こす。ちなみに彼女はマネの姪っ子。

ところで気持ちよさそうにしている猫がたまらない愛くるしさ。
そこに目をつけて、こんなものも売られていた。
neko



「ガブリエルとジャン」1895年。
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ピザをつかんでチーズが延びているようにしか見えず、どうして皿はないのかとか思ってしまう。でもこれは食事シーンではなく遊んでいるところとのこと。女性が持っているのは牛の人形で、それで赤ちゃんをあやしているらしい。いわれてみれば牛の角のようなものは見える。では赤ちゃんは何を持っているのだ? もっとはっきり描いていくれルノワール!

赤ちゃんがジャンでルノワールの次男。ガブリエルは奥さんの従姉妹で、子守としてルノワール一家と暮らしていたようだ。彼女はルノワールの作品にモデルとして多く登場する。



「ジュヌヴィエーヴ・ベルネーム・ド・ヴィレール」1910年
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手にしているティーポットはかなり小さいので西洋風ままごと遊びなのかな。後期ルノワール・ワールド全開の作品。いつも思うのは、名を残した画家というのはテクニックや表現力が抜群に優れていたのではなく、画風・芸風を確立した人たちだということ。絵を3年も習えば技術的にこの程度は描けると思うが、この絵に負けないくらいのオリジナリティを作り出せるかは別問題。

愛くるしさに溢れた絵だが、よく眺めると腕や手が異様に太い。ルノワールはふくよかな女性が好みなのは知っていても、子供の絵にもその趣味を反映させるなんて、ちょっとヘンタイが過ぎる気もする。ちなみにタイトルはこの子のフルネーム。ガストン・ベルネームというルノワール作品を多く扱っていた画商の娘をモデルにした作品である。



「ガストン・ベルネーム・ド・ヴィレール夫人」1901年
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こちらはそのお母さんの肖像画。ジュヌヴィエーヴと似ているところがあるかもしれない。ただしルノワールは目の描き方がけっこうワンパターンなので、どの肖像画も少し似通った印象を受けるものが多い。




晩年のルノワールは裸婦を多く描いている。展覧会にあったのはどれもほぼ等身大の大作で見応えのあるものばかりだった。しかし、いまいちノレなかったのは彼と私の「オンナの趣味」が違うからかな。ルノワールが好んだのはふくよかな女性。さらに胸が小さくて尻がでかいという条件があったらしい。そこまでなら何とかついていけても、今にも揺れそうな三段腹までは(^^ゞ

「横たわる裸婦(ガブリエル)」1906年
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「大きな裸婦」あるいは「クッションにもたれる裸婦」1907年
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「浴女たち」1919年
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「浴女たち」がルノワールの絶筆。まるで天国のようにも思えるが、タイトルは浴女だから、この光景は空想だとしても、あっちの世界を描いた絵ではない。そしてタプタプのウエスト。三段腹ヌードを生身で見たいとは思わなくても、この絵を眺めていると、のどかで幸せそうだな、こんな世界もいいなあという気になってくるから不思議。まさにルノワール・マジック!



ルノワールは作品数の多い画家で(4000点は下らないといわれている)、今までもたくさん見てきた。でも回顧展スタイルは初めてのような気もする。「硬い時代」の絵はいわれなければルノワールと気付かないかもしれないが、スタイルは違っても根底には同じルノワールの「血」が流れていると感じられたのが大きな発見。そしてムーラン・ド・ラ・ギャレットを見ることができ、印刷や画像とは少し違った見え方だったので、本物と対面した満足感は大きかった。今後はさらに人生修行を重ねて、三段腹を受け止められるようになったら、もっとルノワールが好きになるかも(^^ゞ


おしまい


wassho at 21:14│Comments(0) 美術展 

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