2017年07月07日
ピカソとシャガール 愛と平和の賛歌 その2
展示はいくつかのコーナーに分かれ、それぞれのテーマに沿ったピカソとシャガールの作品がまとめられている。でも二人の比較や関連性にはあまり興味がないので、今回はピカソについて。
ピカソといえば反射的に思い浮かぶのは「泣く女」のようなバケモノ顔を描いた作品。しかし彼はしばしば作風が激変する画家で、プロとして活躍した20歳代初めから亡くなる91歳までのうちバケモノ顔を描いていたのは10年間ほど。全体では10種類前後の作風に分かれるとされ、それぞれ「青の時代」や「ばら色の時代」などナニナニの時代と名前がつけられている。
1901年から1904年までは「青の時代」。親友の画家が自殺したショックを引きづり、沈んだ青を基調に貧しい人たち、乞食や売春婦など社会的弱者を描いている。なぜ青なのかピカソは理由を語ることはなかったそうだが、黒じゃなくて青なところにピカソのセンスと、悲痛ではあっても前向きな気持ちが表れていると私は感じている。
「青い肩かけの女」 1902年
「海辺の母子像」 1902年
「青の時代」の後、立ち直った?ピカソは一転して明るい色調になり「バラ色の時代」と呼ばれる。残念ながら「バラ色の時代」の作品は展示されていなかった。ピカソ=バケモノ顔しか思い浮かばない人は、ネットでこの時代の作品を検索したらピカソのイメージが変わると思う。
その後「アフリカ彫刻の時代」を経て「キュビスムの時代」の時代へ。キュビスムは直訳すれば立体主義。その説明は難しいがモノをいろんな角度から見て、それを合成して絵という平面に落とし込んだもの。技法の探求としての意義は認めるが、だからドウヨというのが正直な気持ち。よってほとんど関心もなし。なお「キュビスムの時代」も年代によって3つか4つに細分化されている。
「裸婦」 1909年
「男の胸像」 1909年
「葡萄の帽子の女」 1913年
キュビスムを10年ほど続けた後、ピカソは正反対とも言える「新古典主義の時代」に入る。やたらふくよかに描くのが特徴。
「母子像」 1921年
「坐る女」 1921年
次の2枚は年代的には「新古典主義の時代」に属するが、とてもモダンなイラストのような作品。ナニナニの時代というのは後から研究者が区切ったものだから、どこにも属さない作品もあって当然といえる。
「新聞とグラスとタバコの箱」 1921年
「魚、瓶、コンポート皿(小さなキッチン)」 1922年
そしていよいよバケモノ顔の「シュルレアリスムの時代」。シュルレアリスムとは超現実主義。シュルレアリスムについてダリ展をブログにした時に少し書いた。でもダリとピカソのシュルレアリスムはまったく違う。ダリの絵も奇想天外だが、何となくその絵を描いた気持ちみたいなものはわかる。でもピカソは無理(^^ゞ
ひとつにはキュビスム的な形の破壊が頭を混乱させるから。もうひとつは上手く表現できないが、ピカソが絵に込めた尋常ならざるパワー。それが私のキャパシティーを超えてしまって受け止められない。
でもしかしである。ピカソのバケモノ顔を初めて見たのはたぶん小学生の頃。その時はキチ○イという言葉しか思い浮かばなかった。それから気が遠くなるような年月が流れて、そして見慣れた。だから最初は拒絶反応だったピカソの絵も、いつの頃からかたまには見たくなるように。今風の言葉で表現するなら「キモ可愛い」。20世紀最大の芸術家といわれるピカソの絵が理解できないことに引け目を感じたこともあったが、今は妙な形で折り合いがついている。それにピカソはこんなふうに言っている。「人は鳥の声や花を素直に愛せるのに、なぜか芸術に限って理解したがる」。少々時間はかかったが、ピカソに追いつけてよかった。
ところでピカソが20世紀最大とか天才とか革命的などと評される理由はいろいろあるが、キュビスムの初期に描かれた「アビニヨンの娘たち」という作品がよく引き合いに出される。まるでヘタウマ絵。この作品は西洋絵画が築き上げてきた遠近法や陰影法をまったく無視している。それが革命的だったということらしい。エ〜ッ!それだったら遠近法なんてなかった日本には天才がゴロゴロしているんですけど(^^ゞ それはさておき、印象派の画家に浮世絵ファンが多いのもそういう理由なのかなと想像している。またこの遠近感を無視したキュビスムが後に抽象画に発展したともいわれる。ピカソが生まれたのは1881年(明治14年)。それまで世の中に抽象画というものがなかったと、初めて知った時はビックリした。
「黄色い背景の女」 1937年
「花売り」 1937年
「帽子の女」 1962年 ※年代的には「シュルレアリスムの時代」の作品では
ないが内容的にここに並べた
「シュルレアリスムの時代」の次が前回に書いた「ゲルニカの時代」。その後はいろんなタイプの絵を描くようになるので「晩年の時代」とひとくくりにされている。
「ろうそくのある静物」 1944年
「草上の昼食」 1959年
「母と子」 1960年
「すいかを食べる男と山羊」 1967年
ピカソは1万3500点の絵、10万点の版画、3万4000点の挿絵、300点の彫刻や陶器、合計約15万点を残している。15歳から91歳の76年間で割ると年に1974点。365日で割ると1日あたり5.4作品。版画は原画の枚数が不明だから差し引いて、5万点で計算しても1日あたり1.8作品!!!
結婚したのは2回だが合計9人ともいわれる夫人、愛人と次々に暮らしたピカソ(26人という説もあり)。含む29歳年下&40歳年下&52歳年下。しかも生涯で振られたのはたった1回!!!
残した遺産は7500億円!!!
ピカソの絵をキモ可愛いなんて言っていないで、これからは毎日拝もう(^^ゞ
ーーー続く
wassho at 08:15│Comments(0)│
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