2018年04月17日

青山義雄展 きらめく航跡をたどる

3月17日に横須賀美術館と神奈川県立近代美術館の葉山館をバイクでハシゴしてきた展覧会。伊豆へのラストツーリングが12回もの連載になって、すっかりブログにするのが遅れてしまった。この青山義雄展は横須賀美術館での開催。



青山義雄は1894年(明治27年:日清戦争勃発の年)に横須賀に生まれ、1996年に102歳で亡くなった画家。1921年(大正10年)27歳の時にフランスに渡る。1935年に41歳で一時帰国のつもりで日本に戻ったが、第二次世界大戦(1939〜1945年)の影響などで、次にフランスに渡れたのは1952年58歳の時。その後は92歳までフランスで活動を続ける。帰国の理由は「体力の衰え」だそうで、ということは80歳代ではまだピンピンしていたわけだ。

27歳から41歳までの14年間と58歳から92歳までの34年間の合計48年間、つまり画家として活躍した時期の多くを青山義雄はフランスで過ごしたことになる。だから日本での知名度はまだ低いらしい。かといってフランスで有名というわけでもなさそうだが。私も彼のことをまったく知らなかった。

青山義雄のことを調べると必ず触れられているのがマティスとの交友関係。マティスが彼の才能を認め、彼はマティスを師匠と仰いでいたとされる。第二次世界大戦の影響で、まだ日本人に渡航制限があった第2期渡仏の際は、マティスが入国に必要な書類を用意したらしい。だからそれなりの深い関係があったのは事実。でも何かにつけて「あの巨匠マティスが認めた日本人画家」みたいな枕詞を付けて青山義雄を呼ぶのはどうかと思う。



さて彼のようにそれほどメジャーでない画家の展覧会を、ブログで取り上げるときに困るのは作品の画像を集められないこと。過去にもそういうことはあったが、今回は特に集まらなかった。自分が気に入った作品を載せて、あれこれ適当なことをエラソーに書くのが趣味なのに(^^ゞ

まあ文句を言っても始まらないのでーーー



二人の男 1922年
01

展覧会では年代を追って作品が紹介され画風の変遷を知ることができる。しかしこの最初に渡仏した翌年の作品だけは他の作品とまったくつながりがなかった。たまたま選定の都合でそうなったのか、あるいはこの画風をその後はやめてしまったのかはわからない。どことなくCDのジャケットにでも似合いそうなポップな雰囲気もある。この路線も少し続けて発展させて欲しかったな。



海辺の輪舞  1926年
17

いやでもマティスのダンスを連想する作品。ところで青山義雄はマティスと同じように「色彩の魔術師」と日本では呼ばれる。それが「元祖色彩の魔術師」であるマティスが彼を気に入った理由だとも。しかし青山義雄がマティスに出会った第1期フランス時代の彼は、色数は使っていても暗めの色調。原色もよく使ったフォーヴィスムのマティスと共通点はない。「あの巨匠マティスが認めた日本人画家」なんてキャッチフレーズが一人歩きして、安直な連想になっているのだろう。



北洋落日  1938年
46

日本に戻っていたときの作品。色鮮やかになってくるのはこの頃から。でもまだ「魔術師」のレベルには達していない。他に画像が見つからなかったので仕方なく紹介。



南仏アルプス遠望  1954年
56

再び渡仏した頃の作品。タイトルがなければ作品上部に描かれているのが、山並みとは気付かなかったと思う。「浦賀水道・春」もそうだが、ところどころにあり得ない色使いをして、でも全体の調和が取れて美しく描くのが青山義雄の世界なのかもしれない。



バラ園  1993年
105

この作品ではないが青山義雄は92歳で帰国した2年後に、バラの絵を描くためにまた1年間フランスに渡航している。スーパーじいちゃん!


浦賀水道・春  1992年
106

これは観音崎のホテルに滞在して描いたとされるから、横須賀美術館の向かいにある京急ホテルからの眺めだろう。人生の大半をフランスで過ごした青山義雄が、行き交う船に思いを馳せていたのかもしれない。展覧会を訪れた人は同じ景色を見ながら横須賀美術館に入るわけで、画家とシンクロしたような気分に浸れる。

また海岸ツーリング好きとしては、青だけではなく緑も使って描き別けた海の表現が素晴らしい。京急ホテルに入ったことはないが、観音崎周辺にはこういうふうに見える場所もある。しかし空が紫色なのは海の表現を引き立たせるため? あるいは心象風景? まあきれいな絵だからどっちでもイイヤ。



青山義雄はオーソドックスな画風である。一目見てわかるようなオリジナリティはない。あえていえばどこの画廊にもひとつくらいは飾ってあるような普通の絵。でも展覧会を見終えて「来てよかったな」という気持ちになった理由はおそらく、きれいな色使いのものが多かったことに加えて、それらが

  彼が長く過ごした南仏ニースなどを描いた作品だった

点にあるような気がする。やはり「絵になるところを描いたほうが絵になるのだ」という真理を再確認。別にディスっているわけじゃない。画家の仕事の半分は何を描くかの選択だと思っている。


それにしても展覧会の作品画像を集められなかったことにフラストレーションがたまる。興味を持ったらGoogleで青山義雄を画像検索して彼の世界を楽しんでちょうだい。とりあえず検索結果の画像を貼っておく。

けんさく


wassho at 07:16│Comments(0) 美術展 

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