2018年09月10日

ブルーシートの違和感と危惧

2014年に御嶽山の噴火があった時、災害や事故の報道で使われ出した「心肺停止」という表現に違和感を持っている話を書いた。同じような違和感を感じるものがもうひとつある。それは遺体搬出の時に使われているブルーシート。

遺体はおそらく担架に乗せて運ばれている。そしてなぜか何が何でも、その担架を見せまいと大勢の人間がブルーシートで周りを取り囲んで移動する。

まさか遺体は担架に素のままで載せられていないだろう。布か毛布のような物で覆われているか、あるいは遺体袋に入れられているはず。それをなぜ隠す必要がある?


  知らしむべからずーーーといったお上意識?

  布などで覆った担架で運んでいたのに「遺体をさらすとは残酷だ、あるいは不謹慎だ」
  との勘違いなクレームがあって、それに対する過剰反応?

  大けがをした生存者は布などで覆えない。でも凄惨な状態なのでブルーシートで取り
  囲んで運んだら、いつの間にかそれが布で覆った遺体にも適用されるようになった?

  何かの確たる理由で遺体搬出にブルーシートを使った事例があった。それが理由が
  なくてもブルーシートを使うべしと拡大解釈されていった?

真相はわからないが、クレーム対策でそういうことが始まって、それを「忖度」して過剰に対応する現場がではじめて、ヨソがやっているからウチでもと右へ倣えで「常識になった」というのが私の想像。だからブルーシートには違和感以上に、思考停止の無駄な作業に思えて、そういう映像を見るたびにイラッとする。


おかしなのは警察でも犯人(容疑者)が移送車から降りて、警察の建物に入る途中などでブルーシートを使うようになったこと。この場合、容疑者の人権に配慮との理屈は成り立つ。しかしブルーシートで取り囲まれるような重大犯罪の容疑者は、逮捕されたら(あるいはそれ以前から)氏名も顔写真も公表されるのだから、それはヘリクツである。またマレーシアで北朝鮮の金正男を暗殺した女性二人は、移送の際に防弾チョッキを着用させられていた。しかし日本の警察がブルーシートを使う時は、そんな状況じゃないだろう。


ブルーシートで遮蔽されている映像を見てイラつくのは、隠されているものは見たくなる欲求の表れかもしれない(根源的な心理の話で、別に遺体を見たいわけじゃないので念のため)。現場の気苦労もわからないわけじゃない。それでも過剰なブルーシートを見て思うのは、おかしな集団心理が社会に働いていないかという危惧。ちょっと大げさかな。でもいっけん正しそうな行為だけに始末が悪い。

本来は工事現場などで活躍するブルーシート。
それが何かよくない連想をされるようになってブルーシートもお気の毒。


参考までに「心肺停止の違和感と危惧」のページ

    http://blog.livedoor.jp/wassho/archives/53073150.html
    http://blog.livedoor.jp/wassho/archives/53076740.html


2021年3月追記
最近は目隠し専用器具まで使われている。
https://wassho.livedoor.blog/archives/53381989.html


2022年8月追記
何が何でもブルーシート
https://wassho.livedoor.blog/archives/53431114.html

wassho at 22:48│Comments(1) 社会、政治、経済 

この記事へのコメント

1. Posted by boyarka-inform.com   2025年01月08日 21:46
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