2018年09月30日
音楽とマリー・ローランサン
マリー・ローランサンは、1983年に発表された加藤和彦の「あの頃、マリー・ローランサン」というアルバムでその名前を知った。マリー・ローランサンの作品と認識して絵を観たのはそれから数年後だったと思うが、画家の名前を知らなかっただけで、それまでにも見たことのある絵だった。
それくらいマリー・ローランサンは、一目見れば彼女の作品とわかる独特の画風である。パステル調でホンワカと少女趣味的。だけどどこか抗しがたい魅力がある。また絵画というよりイラストに近い雰囲気でもある。ダンディだった加藤和彦はそこに何かファッションセンス的なものを感じたのかもしれない。
かつて長野県の蓼科にマリー・ローランサン美術館があり何年か前に閉館となった。そして昨年からニューオータニのガーデンコートに場所を移して再スタートしたことは知っていた。いつでも行けると思うと、なかなか行かないもの。ようやく先日、赤坂で打ち合わせがあったついでに訪れてきた。
地下鉄の地上出口を上がると赤坂見附の交差点。しかし改札を出てから長〜い地下通路を経てここにたどり着く。東京のホテル御三家はどこも駅から遠い。
弁慶橋を渡って紀尾井町に入る。東京でもっともステイタスの高いエリア。橋の下を流れているというか溜まっているのは弁慶堀。貸しボートと釣り堀あり。弁慶堀というのは江戸城の外堀の一部。なお牛若丸の弁慶とは関係なく、江戸時代の弁慶ナニガシという大工が作ったから弁慶橋。
道路を挟んで左がニューオータニ・ガーデンコートで、これはニューオータニのホテル敷地内にあるオフィスビル。右はかつての赤坂プリンスホテルの跡地を再開発して建てられた東京ガーデンテラス。こちらはオフィスやホテルとレストラン街の入る複合ビル。それにしても向かい合って建つガーデンコートとガーデンテラス。建築業界はもっとネーミングの勉強したら?
マリー・ローランサン美術館はガーデンコートの6階にある。その途中にあったアナトリウム・チャペルという吹き抜け空間。スケルトンのドームがチャペルらしく、ここでの結婚式もニューオータニのウエディングプランにある。エスカレーターが写っていてわかるように、ここは通路の一部なんだけれど。なおフロアに座っている人は、神に祈りを捧げているのではなく休憩しているだけ(^^ゞ
マリー・ローランサン美術館に到着。
展覧会タイトルは「音楽とマリー・ローランサン」。これはアレクサンドル・デュマ・フィス(小デュマ)の小説「椿姫」の挿絵を彼女が描いた〜のちに「椿姫」はオペラとしても上演されたーーーというつながりらしい。かなり強引なタイトルである。
ところで、この画家はこんな絵ーーーという印象は、多くの場合その画家の全盛期の画風をベースにしている。そしてたいていの画家は初期に、全盛期とまったく異なる絵を描いているもの。まだ駆け出しで自分の画風も確立していないから仕方のないこと。だからあまり初期の絵には興味がない。たいていは個性のないどこにでもあるような絵だから。しかし「あの」マリー・ローランサンが初期にはどんな絵を描いていたかは知りたかった。それを見たくて展覧会にやって来たといってもいいくらい。
話はそれるが、そんなどこにでもあるような有名画家の初期の絵について、評論家がのたまうのが「若い頃からデッサンがしっかりしていることがわかる」といったお約束のセリフ。エーカお前らヨー聞け。若い頃からデッサンがしっかりしてたから、後世に名が残る画家になれたんじゃ!
展覧会は4部構成。最初は「青春時代」。
最初の何点かは案の定どこにでもあるような絵だった。でも22歳頃に描いた自画像はちょっとゾクッとする出来映え。残念ながら他のどこにでもあるような絵は画像が見つからなかった。
「自画像」 1905年頃
しかしたった数年で作風はガラッと変わる。後年のマリー・ローランサン調とは違うが、平面的なスタイルはこの頃から始まったようだ。自画像なんて1905年と1908年で、こうも変わるかと驚く。
「ピカソ」 1908年頃
「自画像」 1908年頃
「アリス・ドラン(アンドレ・ドラン夫人)」 1908年
「詩人の家族」 1909年
次の「扇」という作品から、また作風が変わってくる。そして「家具付きの貸家」からマリー・ローランサン調の基礎が固まったように思える。ただし後年の作品と較べると、全体的に色が控えめでラインはシャープ。こういうマリー・ローランサンは初めて見たけれど、かなり好みかも。色彩的に少女趣味的すぎないし、どことなくアンティークな雰囲気もある。
「扇」 1911年頃
「パッシーの橋」 1912年
「家具付きの貸家」 1912年
「ピアニスト」 1912年
「優雅な舞踏会あるいは田舎での舞踏」 1913年
「チェロと二人の姉妹」 1913〜14年
「日除け帽をかぶって立つ女」 1913年
「読書する女」 1913年頃
ーーー続く
それくらいマリー・ローランサンは、一目見れば彼女の作品とわかる独特の画風である。パステル調でホンワカと少女趣味的。だけどどこか抗しがたい魅力がある。また絵画というよりイラストに近い雰囲気でもある。ダンディだった加藤和彦はそこに何かファッションセンス的なものを感じたのかもしれない。
かつて長野県の蓼科にマリー・ローランサン美術館があり何年か前に閉館となった。そして昨年からニューオータニのガーデンコートに場所を移して再スタートしたことは知っていた。いつでも行けると思うと、なかなか行かないもの。ようやく先日、赤坂で打ち合わせがあったついでに訪れてきた。
地下鉄の地上出口を上がると赤坂見附の交差点。しかし改札を出てから長〜い地下通路を経てここにたどり着く。東京のホテル御三家はどこも駅から遠い。
弁慶橋を渡って紀尾井町に入る。東京でもっともステイタスの高いエリア。橋の下を流れているというか溜まっているのは弁慶堀。貸しボートと釣り堀あり。弁慶堀というのは江戸城の外堀の一部。なお牛若丸の弁慶とは関係なく、江戸時代の弁慶ナニガシという大工が作ったから弁慶橋。
道路を挟んで左がニューオータニ・ガーデンコートで、これはニューオータニのホテル敷地内にあるオフィスビル。右はかつての赤坂プリンスホテルの跡地を再開発して建てられた東京ガーデンテラス。こちらはオフィスやホテルとレストラン街の入る複合ビル。それにしても向かい合って建つガーデンコートとガーデンテラス。建築業界はもっとネーミングの勉強したら?
マリー・ローランサン美術館はガーデンコートの6階にある。その途中にあったアナトリウム・チャペルという吹き抜け空間。スケルトンのドームがチャペルらしく、ここでの結婚式もニューオータニのウエディングプランにある。エスカレーターが写っていてわかるように、ここは通路の一部なんだけれど。なおフロアに座っている人は、神に祈りを捧げているのではなく休憩しているだけ(^^ゞ
マリー・ローランサン美術館に到着。
展覧会タイトルは「音楽とマリー・ローランサン」。これはアレクサンドル・デュマ・フィス(小デュマ)の小説「椿姫」の挿絵を彼女が描いた〜のちに「椿姫」はオペラとしても上演されたーーーというつながりらしい。かなり強引なタイトルである。
ところで、この画家はこんな絵ーーーという印象は、多くの場合その画家の全盛期の画風をベースにしている。そしてたいていの画家は初期に、全盛期とまったく異なる絵を描いているもの。まだ駆け出しで自分の画風も確立していないから仕方のないこと。だからあまり初期の絵には興味がない。たいていは個性のないどこにでもあるような絵だから。しかし「あの」マリー・ローランサンが初期にはどんな絵を描いていたかは知りたかった。それを見たくて展覧会にやって来たといってもいいくらい。
話はそれるが、そんなどこにでもあるような有名画家の初期の絵について、評論家がのたまうのが「若い頃からデッサンがしっかりしていることがわかる」といったお約束のセリフ。エーカお前らヨー聞け。若い頃からデッサンがしっかりしてたから、後世に名が残る画家になれたんじゃ!
展覧会は4部構成。最初は「青春時代」。
最初の何点かは案の定どこにでもあるような絵だった。でも22歳頃に描いた自画像はちょっとゾクッとする出来映え。残念ながら他のどこにでもあるような絵は画像が見つからなかった。
「自画像」 1905年頃
しかしたった数年で作風はガラッと変わる。後年のマリー・ローランサン調とは違うが、平面的なスタイルはこの頃から始まったようだ。自画像なんて1905年と1908年で、こうも変わるかと驚く。
「ピカソ」 1908年頃
「自画像」 1908年頃
「アリス・ドラン(アンドレ・ドラン夫人)」 1908年
「詩人の家族」 1909年
次の「扇」という作品から、また作風が変わってくる。そして「家具付きの貸家」からマリー・ローランサン調の基礎が固まったように思える。ただし後年の作品と較べると、全体的に色が控えめでラインはシャープ。こういうマリー・ローランサンは初めて見たけれど、かなり好みかも。色彩的に少女趣味的すぎないし、どことなくアンティークな雰囲気もある。
「扇」 1911年頃
「パッシーの橋」 1912年
「家具付きの貸家」 1912年
「ピアニスト」 1912年
「優雅な舞踏会あるいは田舎での舞踏」 1913年
「チェロと二人の姉妹」 1913〜14年
「日除け帽をかぶって立つ女」 1913年
「読書する女」 1913年頃
ーーー続く
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