2018年10月01日
音楽とマリー・ローランサン その2
前回に紹介した1912年〜13年、マリー・ローランサンが30歳までの作品には、今まで知らなかった彼女の画風が見られた。しかもそれが好みに合うものだったので展覧会に足を運んだ甲斐があったというもの。
ところでマリー・ローランサンの作品を観ると、なぜか竹久夢二と東郷青児を思い出す。3人の絵はまったく違うが、おそらく
他の誰にも似ていない画風で女性を描いている。
それがサラッと軽めのタッチで、
現実とは距離のある空想的な雰囲気を漂わせている。
あたりの共通点がそう思わせるのかもしれない。もっとも竹久夢二と東郷青児の絵は、オッサンの女性を美化するモーソーがなせる業なのに対して、マリー・ローランサンは女性なのが面白い。ところでモーソーといえば宮崎駿がアニメで描く少女のキャラクターは、まったくもって老人のモーソーの産物だとかねがね思っている(^^ゞ
さて展覧会は最初の「青春期」に続いて、あと3つの時代区分を設けている。それぞれ作風は異なるが「これらの作品が、どの時代区分に当てはまるか選びなさい」という問題を出されたら全問正解は難しいかも。
2つ目の時代区分は「亡命時代」。マリー・ローランサンは30歳半ばでドイツ人と結婚してドイツ国籍となる。しかし第1次世界大戦が始まり、ドイツがフランスに宣戦布告したのでフランスにはいられなくなった。また夫がドイツに戻れば兵士として出征しなければならないので夫婦でスペインに亡命する。
このスペイン亡命時代は、マリー・ローランサンにとって閉塞的で厳しい日々だったといわれている。画業も停滞した模様。そういう背景を知った上で絵を眺めれば、どことなく陰性の雰囲気があるかな。でもマリー・ローランサンの描く女性は基本的に無表情だから、こちらの気持ち次第でどのようにも見えてしまう。
「王女」 1915年
「棕欄のそばの女」 1915年頃 ※棕欄=しゅろ:ヤシ科の植物の総称
「鏡を持つ裸婦」 1916年
この作品だけは黙って見せられればマリー・ローランサンとは思わないだろう。他のものとは明らかに異なる内容と画風。どこかクラシックなものを感じる。亡命中にいろいろと模索することもあったのか、あるいはスペインの画家達に影響を受けたのだろうか。
「舞踏」 1919年
「ギターをもつ女道化師」 1920〜22年
次の区分は「1920年代」。第1次世界大戦が終わり、夫とも離婚してフランス国籍を回復したマリー・ローランサンは1921年にパリに戻る。戦争に勝った後の1920年代のパリは、狂騒の時代や熱狂の時代、あるいはパリがもっとも輝いていた〜パリが一番パリらしかった時代などといわれる。ところで東京が一番東京らしかった時代ってあったのかな。
美術史的にはエコール・ド・パリの時代。これは絵の特徴や内容に関係なく、その頃に活躍した画家をひとまとめにしただけの呼び名。有名どころはモディリアーニ、シャガール、ユトリロ、パスキン、キスリング、藤田嗣治あたり。
パリに戻って彼女は元気になったようである。「亡命時代」と較べれば色使いも明るい。マリー・ローランサン=パステルカラーという図式はこの頃に完全に定着する。また「接吻」や「ラッパをもって」のような、甘くロマンティックな雰囲気もこの頃の特徴である。
「三美神」 1921年
「ギターと二人の乙女」 1924年
「お城の生活」 1925年
「接吻」 1927年頃
「ラッパをもって」 1929年
ーーー続く
ところでマリー・ローランサンの作品を観ると、なぜか竹久夢二と東郷青児を思い出す。3人の絵はまったく違うが、おそらく
他の誰にも似ていない画風で女性を描いている。
それがサラッと軽めのタッチで、
現実とは距離のある空想的な雰囲気を漂わせている。
あたりの共通点がそう思わせるのかもしれない。もっとも竹久夢二と東郷青児の絵は、オッサンの女性を美化するモーソーがなせる業なのに対して、マリー・ローランサンは女性なのが面白い。ところでモーソーといえば宮崎駿がアニメで描く少女のキャラクターは、まったくもって老人のモーソーの産物だとかねがね思っている(^^ゞ
さて展覧会は最初の「青春期」に続いて、あと3つの時代区分を設けている。それぞれ作風は異なるが「これらの作品が、どの時代区分に当てはまるか選びなさい」という問題を出されたら全問正解は難しいかも。
2つ目の時代区分は「亡命時代」。マリー・ローランサンは30歳半ばでドイツ人と結婚してドイツ国籍となる。しかし第1次世界大戦が始まり、ドイツがフランスに宣戦布告したのでフランスにはいられなくなった。また夫がドイツに戻れば兵士として出征しなければならないので夫婦でスペインに亡命する。
このスペイン亡命時代は、マリー・ローランサンにとって閉塞的で厳しい日々だったといわれている。画業も停滞した模様。そういう背景を知った上で絵を眺めれば、どことなく陰性の雰囲気があるかな。でもマリー・ローランサンの描く女性は基本的に無表情だから、こちらの気持ち次第でどのようにも見えてしまう。
「王女」 1915年
「棕欄のそばの女」 1915年頃 ※棕欄=しゅろ:ヤシ科の植物の総称
「鏡を持つ裸婦」 1916年
この作品だけは黙って見せられればマリー・ローランサンとは思わないだろう。他のものとは明らかに異なる内容と画風。どこかクラシックなものを感じる。亡命中にいろいろと模索することもあったのか、あるいはスペインの画家達に影響を受けたのだろうか。
「舞踏」 1919年
「ギターをもつ女道化師」 1920〜22年
次の区分は「1920年代」。第1次世界大戦が終わり、夫とも離婚してフランス国籍を回復したマリー・ローランサンは1921年にパリに戻る。戦争に勝った後の1920年代のパリは、狂騒の時代や熱狂の時代、あるいはパリがもっとも輝いていた〜パリが一番パリらしかった時代などといわれる。ところで東京が一番東京らしかった時代ってあったのかな。
美術史的にはエコール・ド・パリの時代。これは絵の特徴や内容に関係なく、その頃に活躍した画家をひとまとめにしただけの呼び名。有名どころはモディリアーニ、シャガール、ユトリロ、パスキン、キスリング、藤田嗣治あたり。
パリに戻って彼女は元気になったようである。「亡命時代」と較べれば色使いも明るい。マリー・ローランサン=パステルカラーという図式はこの頃に完全に定着する。また「接吻」や「ラッパをもって」のような、甘くロマンティックな雰囲気もこの頃の特徴である。
「三美神」 1921年
「ギターと二人の乙女」 1924年
「お城の生活」 1925年
「接吻」 1927年頃
「ラッパをもって」 1929年
ーーー続く
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