2018年10月03日

音楽とマリー・ローランサン その3

最後の時代区分は「円熟期」。

狂騒の時代や熱狂の時代といわれた1920年代のパリの華やかさは、1929年の世界恐慌で幕を閉じる。そして1939年から始まる第二次世界大戦。パリはナチス・ドイツに占領される。しかしマリー・ローランサンは盤石の構え。第一次世界大戦ではスペインに亡命し、それが少し絵にも影を落とした。しかし、この頃の彼女は社会の動向とは関係なく、あのマリー・ローランサン調を邁進している。戦争が始まったのは彼女が56歳になろうとする頃。もう何事にも動じないオバチャンになっていたのだろう(^^ゞ

画風は基本的にパステルカラーながらも、だんだんと鮮やかな色彩になってくる。それと描かれている女性から、あどけなさや妖精らしさがが薄れ、何となく実体感が出てきたかな。


「ばらの女」  1930年
68


「シュザンヌ・モロー(青い服)」  1940年
81


「音楽」  1944年頃
86


「扇をもつ若い女」  1950年頃
91


「三人の若い女」  1953年頃
94



マリー・ローランサンの絵とじっくり対峙しても特に何も得られない。そのセンスと画風をサラッと楽しむべき絵。別に軽んじている訳じゃない。スーツとTシャツ、ファッションにはどちらも必要。ひょっとしたらTシャツのほうがオシャレに着こなすのは難しいかも。

ところでマリー・ローランサンには、一目見て彼女の作品とわかるアイデンティティがあるから、ある意味ワンパターンな画家と思っていた。しかし今まで見たことがなかった「青春時代」区分は別としても、それぞれの時代区分での画風の変遷を知ることができたのは面白かった。まあ微妙な違いなんだけど。

復習を兼ねて並べてみると。
(左上から時計回りに、青春時代→亡命時代→1920年代→円熟期)
スライド1


ついでにマリー・ローランサンの写真あれこれ。
スライド2



この展覧会には平日の午後1時過ぎに訪れた。チケットを買っているときに1人会場から出てきて、中に入ってみると私だけ。生まれて初めての展覧会貸し切り状態! しばらくしてもう1人やって来たけれど、ポーラ美術館より空いている(^^ゞ しかしここはニューオータニのガーデンコート。おそらく家賃も相当高いはず。もともと長野の蓼科にあったマリー・ローランサン美術館は来場者数が伸びずに閉館になった。その二の舞にならなければいいのだがと余計な心配。現在ここに移転して1年とちょっと。マリー・ローランサン好きは早めに見に行ったほうがいいかもしれない。

ちなみに展示スペースは「えっ、これだけ?」思うくらい、こじんまりとしている。作品数は70点ほどだった。


ニューオータニはマリー・ローランサン美術館も入っているオフィスビルのガーデンコート、ホテル新館であるガーデンタワー、ホテル本館のザ・メイン(ヘンな名前)の3つの建物で構成され、それぞれは渡り廊下でつながっている。美術館のある6階が渡り廊下のある階だったので、ホテルのほうへ歩いてみた。いわゆるホテルのアーケード街を通るようになっている。でも買い物するわけでもないので、外に出てホテル自慢の日本庭園を散策すればよかった。もしマリー・ローランサン美術館に来るならご参考に。


というわけでホテル本館から退出。
IMG_1015


ホテルすぐそばの道路はいい感じ。さすがは紀尾井町。ちなみに「紀」州徳川家、「尾」張徳川家、彦根の「伊」井家の江戸屋敷があったから紀尾井町。お殿様もここを通ったかな。
IMG_1020


階段があったので登ってみる。
IMG_1023

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残念ながら、次の約束があったので探検できず。

さて今年の秋は、バイクも手放してしまったので美術館に行きまくる予定。


おしまい

wassho at 21:30│Comments(0) 美術展 

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