2018年10月17日
横山崋山 その4
第5章「風俗−人々の共感」の続き。
「花見図」
女性は日本髪だし桜の花見をしているのだから、描かれているのは日本の風景に間違いない。しかしどうしても中国風に見えてしまう。おそらく他の展示に中国風の絵が多く、それらと背景の色が同じだからかな。オソロシア刷り込み効果。
話は戻るが「紅花屏風」で人物が漫画的に見えると書いた。その理由のひとつに顔の形や表情の作り方のバリエーションが乏しいことが上げられる。つまり自分の持ちネタだけで人物を描いているから。マンガでもチョイ役やその他大勢役の人物の顔は、作品が違ってもだいたい同じで使い回しである。この「花見図」では15名が描かれているが、顔は5パターンくらいしかない。崋山の描く人物は動作が活き活きとしているのに、そのあたりが残念。
「夕顔棚納涼図」
国宝である久隅守景(くすみもりかげ)の「納涼図屏風」へのオマージュ。「納涼図屏風」は肩に力の入っていない味わい深い絵である。でも「最も国宝らしくない国宝」とも評される作品。それには同感で、もし私に国宝の選定権限があったら絶対に選んでいない。でもさすがに横山崋山は「納涼図屏風」の価値を見抜いていたんだろうな。
「大原女図」
鎌倉時代から昭和の初め頃まで、京都の大原に住む女性が薪を頭に載せて運んで行商していた。彼女たちを大原女(おおはらめ)と呼ぶ。それにしてもすごい薪の量にびっくり。頭で運ぶのが有名だが馬も使っていたことが伺える。
都のあった京都は郊外からの行商が盛んだった。その担い手は女性で三大行商女と呼べるのが、この大原女と、白川女と畑の姥。白川女は白川からやってくる花の行商。畑の姥(はたのおば または うば)は雲ヶ畑などの林業の盛んな地区から間伐材で作った床几(しょうぎ:ベンチみたいなもの)やハシゴを売りに来る。どの行商も基本は頭に載せて運ぶ。そういうのはアフリカ奥地の女性を連想するけれど、意外と人類共通の発想なのかもしれない。
最終の第6章が「描かれた祇園祭−《祇園祭礼図巻》の世界」。いってみれば崋山の風俗画から祇園祭だけを取り出した構成。
この「祇園祭礼図巻(1835〜1837年)は上下2巻の巻物で、それぞれ約15メートルの超大作。祇園祭といえば山鉾巡行がクライマックス。しかしこれは山鉾だけではなく、山鉾と一緒に練り歩く人や祭りを見物する人も描いた「すべて見せます祇園祭」みたいな作品。「紅花屏風」も絵によるドキュメントのような作品だったが、崋山は人々にあれこれ教えたくて仕方がない池上彰みたいな絵師だったのかも。
何箇所かの抜粋。
ところで高さのある山鉾は巻物という横長の紙面には不向き。それで崋山は大胆にトリミングして描いている。そのことが、いってみれば祇園祭図鑑のようなこの作品に絵としてのリズムを与えている。
下絵も実に綿密。資料的な価値も高いらしい。
とにかくすごい力作である。巻物だから縦は30センチ少々なので、15メートルの長さがあっても絵の大きさ的な迫力はない。それでも崋山の執念のようなものは伝わってくる。しかし、だからといってこの絵を見て楽しかった、何か揺さぶられたということでもない。貴重な記録を拝見いたしましたという感じ。私が絵画に求めているものとは方向が違うのだろう。
実は今回、展覧会を見終えた後のプチ幸せ感のようなものをあまり得られなかった。確かに絵は抜群に上手いし、描いてるものに対する愛情のようなものも感じる。でも突き抜け感が足りないというか、クリエイティブじゃないというか。
もっともこの時代の日本画には型というものがあっただろうし、絵は画家の自己表現じゃなくてクライアントの注文内容に沿って描くものだ。それはわかっちゃいるのだが、それでもスゴイ!と思う日本画もあるわけで。横山崋山のテクニックをもってしたらーーーと思うのは無い物ねだりかな。長らく忘れられていて、彼の再評価が始まったのは最近だから、また埋もれている作品があることを期待しよう。
おしまい
「花見図」
女性は日本髪だし桜の花見をしているのだから、描かれているのは日本の風景に間違いない。しかしどうしても中国風に見えてしまう。おそらく他の展示に中国風の絵が多く、それらと背景の色が同じだからかな。オソロシア刷り込み効果。
話は戻るが「紅花屏風」で人物が漫画的に見えると書いた。その理由のひとつに顔の形や表情の作り方のバリエーションが乏しいことが上げられる。つまり自分の持ちネタだけで人物を描いているから。マンガでもチョイ役やその他大勢役の人物の顔は、作品が違ってもだいたい同じで使い回しである。この「花見図」では15名が描かれているが、顔は5パターンくらいしかない。崋山の描く人物は動作が活き活きとしているのに、そのあたりが残念。
「夕顔棚納涼図」
国宝である久隅守景(くすみもりかげ)の「納涼図屏風」へのオマージュ。「納涼図屏風」は肩に力の入っていない味わい深い絵である。でも「最も国宝らしくない国宝」とも評される作品。それには同感で、もし私に国宝の選定権限があったら絶対に選んでいない。でもさすがに横山崋山は「納涼図屏風」の価値を見抜いていたんだろうな。
「大原女図」
鎌倉時代から昭和の初め頃まで、京都の大原に住む女性が薪を頭に載せて運んで行商していた。彼女たちを大原女(おおはらめ)と呼ぶ。それにしてもすごい薪の量にびっくり。頭で運ぶのが有名だが馬も使っていたことが伺える。
都のあった京都は郊外からの行商が盛んだった。その担い手は女性で三大行商女と呼べるのが、この大原女と、白川女と畑の姥。白川女は白川からやってくる花の行商。畑の姥(はたのおば または うば)は雲ヶ畑などの林業の盛んな地区から間伐材で作った床几(しょうぎ:ベンチみたいなもの)やハシゴを売りに来る。どの行商も基本は頭に載せて運ぶ。そういうのはアフリカ奥地の女性を連想するけれど、意外と人類共通の発想なのかもしれない。
最終の第6章が「描かれた祇園祭−《祇園祭礼図巻》の世界」。いってみれば崋山の風俗画から祇園祭だけを取り出した構成。
この「祇園祭礼図巻(1835〜1837年)は上下2巻の巻物で、それぞれ約15メートルの超大作。祇園祭といえば山鉾巡行がクライマックス。しかしこれは山鉾だけではなく、山鉾と一緒に練り歩く人や祭りを見物する人も描いた「すべて見せます祇園祭」みたいな作品。「紅花屏風」も絵によるドキュメントのような作品だったが、崋山は人々にあれこれ教えたくて仕方がない池上彰みたいな絵師だったのかも。
何箇所かの抜粋。
ところで高さのある山鉾は巻物という横長の紙面には不向き。それで崋山は大胆にトリミングして描いている。そのことが、いってみれば祇園祭図鑑のようなこの作品に絵としてのリズムを与えている。
下絵も実に綿密。資料的な価値も高いらしい。
とにかくすごい力作である。巻物だから縦は30センチ少々なので、15メートルの長さがあっても絵の大きさ的な迫力はない。それでも崋山の執念のようなものは伝わってくる。しかし、だからといってこの絵を見て楽しかった、何か揺さぶられたということでもない。貴重な記録を拝見いたしましたという感じ。私が絵画に求めているものとは方向が違うのだろう。
実は今回、展覧会を見終えた後のプチ幸せ感のようなものをあまり得られなかった。確かに絵は抜群に上手いし、描いてるものに対する愛情のようなものも感じる。でも突き抜け感が足りないというか、クリエイティブじゃないというか。
もっともこの時代の日本画には型というものがあっただろうし、絵は画家の自己表現じゃなくてクライアントの注文内容に沿って描くものだ。それはわかっちゃいるのだが、それでもスゴイ!と思う日本画もあるわけで。横山崋山のテクニックをもってしたらーーーと思うのは無い物ねだりかな。長らく忘れられていて、彼の再評価が始まったのは最近だから、また埋もれている作品があることを期待しよう。
おしまい
wassho at 23:32│Comments(0)│
│美術展