2018年11月29日

生誕110年 東山魁夷展 その4

東山魁夷は風景画家ではあるが、少し変わっていて、その風景には人間や動物などは基本的に描かれない。展覧会を見て回った中では、京都をテーマとした京洛四季スケッチというシリーズの一部に、祇園祭や狂言の舞台を描いたものがあって、人間が登場するのはその数点くらいである。動物に至っては鳥が1羽だけ描かれているものが2枚あるのみ。また建物もほとんど描かないので、前々回のエントリーで紹介したドイツとオーストリアを巡ったシリーズで、古城や街並みが多く登場するのは「海外もの」ゆえの別枠的存在である。

つまり東山魁夷の風景画の要素は山・海・川などの地形的な姿と、そこにある木々や草ということになる。花も遠景の桜くらいしか描かない。しかしなぜか1972年だけは例外で、この年には19作品を制作したらしいが、そのすべてに白馬が描かれている。決して大きく中心に描かれているわけではないが、白馬の存在感から明らかに絵の主役となっている。


「草青む」 1972年 デンマーク ヒレロード
47


「春を呼ぶ丘」 1972年 北海道
48


「緑響く」 1982年 長野県 蓼科高原 ※オリジナルは1972年制作だが、
                    行方不明になったため再制作
60


1972年は唐招提寺から障壁画制作の依頼を受けた翌年で、その構想を練っていた頃。その年に限って絵を描こうとすると、脳裏に白馬のイメージが浮かんできたらしい。彼自身は「白馬は自らの祈りの現れ」と語っている。もし私がそんなことを言ったら「とうとう、そんなものが見えるようになってきたか」と心配あるいは見放されるに違いない(^^ゞ

この白馬の正体が何であるかは別としてとても幻想的な作品になっている。ただ白馬で幻想的というのがベタ過ぎて、ちょっと安っぽい気もするけれど。でもそんなひねくれた気持ちは捨てて東山ファンタジーに浸るのがいいようにも思う。




展覧会の最後は「心を写す風景画」というタイトル。今まで作品名の後に地名を記入してきたが、それはもちろん東山魁夷が風景画家として各地に赴いてスケッチをしてきた絵だから。御影堂の障壁画には揚州や桂林と行った中国の風景も描かれていて、そのために彼は日本との国交が正常化したばかりの中国まで出かけている。

やがて70歳を超えて、新たにスケッチ旅行に出かけるのが難しくなってきたので、晩年は過去の膨大なスケッチをベースに制作が続けられる。それがこのコーナーの作品。

「白い朝」 1980年 自宅
57


「静唱」 1981年 パリ郊外 ソー公園
59


「緑の窓」 1983年 ドイツ ラムサウ
62


「行く秋」 1990年 ドイツ北部
67


「夕星」 199年
70


「心を写す風景画」のタイトルに影響されたのか、今までのドカーンと広い景色とは少し違って、同じ風景画でもより情感がこもった作品のように思えた。なんとなく東山魁夷の優しい目線を感じる。

「夕星」に地名がないのは、この絵だけは架空の風景だから。そしてこれが絶筆となる。「ここが最後の憩いの場になるのではという感を胸に秘めながら筆を進めた」。そんな彼の言葉を知ると、ひとつだけ夜空に描かれた星は彼自身のつもりだったのではないかと想像してしまう。



東山魁夷の作品には個性とか自己主張のようなものはあまり感じられない。そういうところが物足りなくて、今まであまり興味がなかったのだと思う。しかし多くの作品を観てわかったのは、これは最高級のカツオで取ったダシのような絵だということ。極上のステーキのように口に運ぶ前からワクワクしないし、ひと噛みしただけでガツンとくるわけじゃない。しかし上品でしみじみと旨く、そしていくらでも飲める。

最後にわかりにくい例えになってしまってゴメン。


おしまい

wassho at 06:40│Comments(0) 美術展 

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