2018年12月25日

フェルメール展 その3

フェルメールはずっと好きだったが、実は6年前に念願の「真珠の耳飾りの少女」を観たことで熱が冷めたとはいわないまでも、満足して一区切りついたというのが正直なところ。今回は現存するフェルメールの35作品のうち9作品がやって来るというふれこみだが、2点は入れ替えなので実際に観られるのは8作品。その中の2つは今までに観たことがある。だからそれほど待ちに待ったという気分ではなかった。それでもやはり「牛乳を注ぐ女」は観ておきたかったし観られてよかったと思っている。

熱狂的なフェルメールマニアの中には、フェルメールを所蔵している各国の美術館まで出かける「フェルメール巡礼」をする人もいるようだ。しかし調べた限り1970年以降にフェルメールの作品は25点が来日している。私は今回で「真珠の耳飾りの少女」と「牛乳を注ぐ女」を含む12点を既に観たから、フェルメールが日本に巡礼してくれるのをこれからも気長に待とう(^^ゞ


さてフェルメールの展示室は、展覧会の最後に設けられていて作品8点が一堂に会している。彼の作品すべてが傑作だとは思っていないのだが、やはりこれだけの数のフェルメールが揃っていると圧巻である。思わず息を呑んだとか足が止まったなどと大げさな表現をするつもりはない。ただただ「ええなあ〜」とニヤけて眺めていた。


「マルタとマリアの家のキリスト」 1654〜1655年頃
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フェルメールがキリストを描いた唯一の作品。また156センチx142センチとフェルメールにしては例外的に大きなサイズ。(ほとんどの作品はA3より少し大きい程度である)

でも、それだけだったかな …………



「ワイングラス」 1661〜1662年頃
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上の作品から6〜7年たってフェルメールも腕を上げたようである。かなり絵に立体感も出てきた(とエラソーにいってみる)。しかし実に不思議な絵でもある。

まず、この時代の服装をまとっているのだろうが、その知識のない私には男性が西部劇に出てくる人物に見えて仕方なかった。それは置いておくにしても、何のシーンを描いているのかさっぱりわからない。男性が注いだと思われるワインを女性だけが座って飲み干している。そして男性は女性の表情を見つめている。

解説によればテーブルに置かれた楽譜や楽器は「愛」を暗示するもの。また窓のステンドグラスには馬の手綱が描かれていて、それは「節制」を意味しているという。それでトータルでは「誘惑されちゃだめよ」ということらしい。

しかしテーブルに男性用のワイングラスは見あたらない。女性にだけお酒を飲ませて自分はそれを見ているだけなんて口説き方があるか? それに女性のポーズのどこからもOKサインが出ていない。エロティックのエの字もなし!

だから私の解釈は

    女主人にワインの試飲をしてもらって
    その評価をビビりながら待っている
    出入り業者の酒屋(^^ゞ

またガラスを透明に描けるようになったのは、この時代のオランダやフランドル絵画からである(たぶん)。私も初めて見た時はビックリした。当時の人はもっとビックリしただろう。案外、透明のワイングラスを描きたかっただけだったりして。



続いては、私が勝手にフェルメールのイエロー三部作と読んでいる作品。フェルメールといえばフェルメールブルーだが、黄色もけっこう重要な役割を果たしているんじゃないかと思っている。

ちなみに彼女たちが着ている上着は同じもので、フェルメールは他にも3作品でモデルにこの服を着せている。つまり35作品中で同じ服装が6つ。よほど気に入っていたのか、他の服を用意する余裕がなかったのか、どっちなんだろう?


「リュートを調弦する女」 1662年〜1663年頃
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調弦していたら窓の外で何かがーーーというようなシーン。いわゆる小芝居ですな。壁の地図に意味があるそうだが、あまりそういうことばかり詮索すると絵を楽しめなくなる。


「真珠の首飾りの女」 1662〜1665年頃
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真珠の耳飾りの少女」を都立美術館で見た時、同時期に国立西洋美術館で展示されていたこの絵を見に行けなかったことは心残りだった。しかし待てば海路の日和あり。それにしても作品のタイトルが似ていてややこしい。

フェルメール作品の中で最も愛くるしい絵。それにしてもこのイエロー三部作の女性が「女」なのに「真珠の耳飾り」はどうして「少女」なんだろう。歳は違わないように思えるし、特にこの「真珠の首飾りの女」は幼い感じがする。

ポーズが少し変わっているが、当時のネックレスはフックがなくリボンを結んで、それを首の後ろに回したとのこと。シチュエーションから考えて壁に掛かっている額は鏡。ずいぶんと小さな気もする。当時は大きな鏡はなかったのかな。また鏡のサイズから考えると彼女の位置が離れすぎているように思える。もっともそんな細かなことは気にしないで、このホワーッと柔らかい絵を慈しむべきなのだ。おかしな表現かもしれないが、ずっと眺めていても見疲れしない絵だった。

ただテーブル手前の布はもう少し減らして、いろいろ描き込んで欲しかったかな。なおブログの写真ではわからないと思うが、椅子に打ち付けられている金属の鋲の質感がやたらリアル。


「手紙を書く女」 1665年頃
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これと次の「手紙を書く夫人と召使い」は以前にも観た。その時のブログはこちら

前回はわからなかったが、今回は同じイエロー三部作の「真珠の首飾りの女」と比較して、まるで写真のソフトフォーカスのように描かれているのに気がついた。それはそれでアリな表現だとは思うが、見較べてみると「ちゃんとピント合わしてよ」という気持ちになってくるというか、もっとしっかり観たくて物足りないというか。

それと「リュートを調弦する女」も同じであるが、肌の彩度(色の濃さ)がかなり押さえられているので、ちょっと幽霊のようにも見えなくもない。


「手紙を書く夫人と召使い」 1670〜1671年頃
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構図、光の描き方共に完璧。ただ召使いの服がちょっと張りすぎているかな。テーブルの前には書き損じの手紙のようなものが落ちており、そういうのを描き込むのがこの時代の作品の特徴でもある。

以前のブログで「テーブルクロスの上で文字は書きづらくないのか」と書いた。この展覧会でテーブルが出てくる作品は6つあるが、5つにテーブルクロスがかかっている。どれもダイニングテーブルじゃない。そういうものなのか、あるいは当時はそうだったのか? そのうち調べてみよう。

ところで靴を脱いで家に入るのは日本文化の特徴だけれど、テーブルクロスを使わないというのもそうだよね。


「赤い帽子の娘」 1665〜1666年頃
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テレビ番組でこの絵と「真珠の耳飾りの少女」のモデルは同じだという説を述べている人がいた。そんなはずはないと思ったが、この目で実物を確かめたかった。

まったく似ていないと思うけれど、女性は化けるからなあ(^^ゞ


「牛乳を注ぐ女」 1658〜1660年頃
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ごく当たり前の動作が、どうしてこんな素晴らしい絵になるのかと感嘆せざるを得ない。間違いなくフェルメールの最高傑作。他の作品より群を抜いてレベルが高いし、展示室でも順路の最後にあったから、晩年の作品と思っていたが、意外にもキャリア初期に描かれたもの。(最初の作品が1653年頃、最後の作品が1675年頃)

ちなみにこれは牛乳を鍋に移して、テーブルにある(固くなった)パンをパン粥にする準備をしているらしい。人物だけじゃなくてテーブルに置かれたパンやカゴ、壁にあるバスケットや金属製のバケツ?、さらにいえば壁の描き方など、どこを取っても見応えがある。

しかし前から気になっていたことが。女性の胸や肩のあたりの描き方というか服の質感がおかしい。まるで陶器の服のように固く感じられる。埴輪みたいだ。 実物を見ても印象は同じだった。どうしてこうなったんだろう。他の部分は布らしく描かれているから、テクニックの問題じゃないはず。ナゾ

また「牛乳を注ぐ女」は他のフェルメール作品と較べて、やや粗めのタッチで描かれている。そしてフェルメールの35作品の中でこういう描き方はこの作品だけ。彼自身がもっと滑らかに描きたいと思ったのか、あるいは評判がよくなかったのか。それはわからないが、この雰囲気の作品をもっと残して欲しかったと思う。



たくさんのフェルメールを見られて楽しかった。8作品が展示されてフェルメールのオーラが充満した空間にいられたのが最大の収穫かな。次の望みは「デルフトとの眺望」というフェルメール唯一の風景画を見ること。まだ日本に来たことがない作品なので、次のフェルメール展では是非! 関係者の努力を期待する。


おしまい

wassho at 22:59│Comments(0) 美術展 

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