2019年06月02日
奇想の系譜展 江戸絵画ミラクルワールド
訪れたのは上野公園に桜を見に行った3月28日。それから都内各地での花見やラ・フォル・ジュルネなどのことを書き、また先日まで2週間ほど入院していたのでブログにするまで2ヶ月以上も過ぎてしまった。
まずは記憶をロールバックするために上野公園の写真。
そして公園内にある東京都立美術館。
奇想ーーー奇想天外とはいうから意味はわかるが、奇想単独ではあまり聞きなれない言葉である。改めて辞書で調べると「普通には思いつかない、変わった考え。奇抜な着想」とある。系譜とは「つながり」のこと。家系図のようなものをイメージするとわかりやすい。
展覧会のタイトルとなっている「奇想の系譜」は1970年(昭和45年)に刊行された書物のタイトルでもある。著者は美術史家で現在は東大名誉教授でもある辻惟雄(つじ・のぶお)。世間にはほとんど無名だった岩佐又兵衛、狩野山雪、伊藤若冲、曽我蕭白、長沢蘆雪、歌川国芳ら6名の江戸時代の画家をこの本で取り上げている。当時の日本史の教科書に彼ら6名の名前はなく、また美術史の分野でさえ「その他大勢」の扱いだったらしい。
しかし今や伊藤若冲は、展覧会を開けば日本で最も観客を集めるスーパースターだし、他の5名もかなり名前を知られた存在になっている。まさに先見の明。もっとも「奇想の系譜」が発売された当初は3000部しか売れず廃刊になっているから、この本がきっかけで一気に6名の画家の再評価が進んだわけではない。それでも1988年、2004年に再出版され、現在は18刷を数えるロングセラーとなっている。私もいつかそんな仕事を成し遂げたいものだ。
なお展覧会は上記の6名に白隠慧鶴と鈴木其一の2名を加えた構成となっている。それぞれキャッチコピーがついていて、なかなかカッコいい。琳派の画家である鈴木其一を奇想のカテゴリーに入れるのは?という気がしなくもないが。
幻想の博物誌 伊藤若冲
醒めたグロテスク 曽我蕭白
京のエンターテイナー 長沢芦雪
執念のドラマ 岩佐又兵衛
狩野派きっての知性派 狩野山雪
奇想の起爆剤 白隠慧鶴
江戸琳派の鬼才 鈴木其一
幕末浮世絵七変化 歌川国芳
伊藤若冲 (いとう じゃくちゅう 1716-1800)
入館までに5時間待ちの行列という伝説を作った2016年の展覧会。私が訪れた日はまだ70分待ちだったのだが、それでもそんなに並べるかと展覧会を見なかったことを今だに後悔している。それ以来、首都圏である程度の規模で若冲作品を見られる最初の展覧会だと思う。
しかし一番見たかった「旭日鳳凰図」の展示が3月10日までだったのが残念(/o\)
「紫陽花双鶏図 あじさい・そうけい・ず」 1755年頃
「白梅錦鶏図 はくばい・きんけい・ず」 1775年頃
どちらも若冲らしい細密で鮮やかで色数の多い描写。お見事という以外に言葉が思い浮かばない。今回は若冲をよく見るために美術用の単眼鏡を用意した。それで細部までしっかり見ることができたのだが、だからといってさらに楽しめたかというとそうでもなかった。筆使いの分析をするのでもなければ、普通に見えるがままに鑑賞するのが一番かと。
「梔子雄鶏図 くちなし・ゆうけい・ず」 1745年頃
若冲が30歳代の最も初期の作品といわれている。だから先ほど書いた「細密で鮮やかで色数の多い」という画風ではまだない。言っちゃ悪いが並みレベルの作品。白で描かれた羽根の部分はとても省略されていて「透明ニワトリ」みたいである。
「虎図」 1755年
江戸時代の画家に生きている虎を見る機会はなかったはず。だからどんな巨匠であってもリアリティのない漫画のような絵になってしまうのは仕方ないところ。この絵を見れば若冲も例外ではないことがわかる。無理して描かなくてもいい気がするが画家魂が疼くのかな。
「蝦蟇河豚相撲図 がま・ふぐ・すもう・ず」
なんともユーモラスな作品。若冲にこういう作品はどれくらいあるんだろう。
「象と鯨図屏風」 1797年
これも漫画のような象である。若冲は14歳の頃に天皇に見せるため京都(若冲は京都の画家)に連れてこられた象を見たらしい。でも流石に80歳を超えての作品なので、象の記憶は曖昧なイメージでしかなかったのかもしれない。鯨はおそらく見たことがなかっただろう。それにしても、あるいはだからこそか、現在のポップアートとしても通用する作風とその出来栄えには感心する。
象のユニークな描き方に惹かれて、この作品を見ることを楽しみにしていた。しかし写真でも汚れがわかると思うが、実物は屏風の折れ曲がるところの紙がささくれだって、かなり痛んでいる印象だった。いずれキレイに修復されるといいのだが。
作品は六曲一双の屏風。6面で構成された屏風が2つでワンセットという意味。上の写真が右側に配置される右隻、下が左隻である。
伊藤若冲は14作品の展示。墨絵の花や鶏の作品もあった。しかし「細密で鮮やかで色数の多い」のが若冲という思い込みが強いせいか、それらを見てもあまり楽しめなかったのも事実。それでも若冲ワールドの片鱗に触れられて幸せな時間だった。
ーーー続く
まずは記憶をロールバックするために上野公園の写真。
そして公園内にある東京都立美術館。
奇想ーーー奇想天外とはいうから意味はわかるが、奇想単独ではあまり聞きなれない言葉である。改めて辞書で調べると「普通には思いつかない、変わった考え。奇抜な着想」とある。系譜とは「つながり」のこと。家系図のようなものをイメージするとわかりやすい。
展覧会のタイトルとなっている「奇想の系譜」は1970年(昭和45年)に刊行された書物のタイトルでもある。著者は美術史家で現在は東大名誉教授でもある辻惟雄(つじ・のぶお)。世間にはほとんど無名だった岩佐又兵衛、狩野山雪、伊藤若冲、曽我蕭白、長沢蘆雪、歌川国芳ら6名の江戸時代の画家をこの本で取り上げている。当時の日本史の教科書に彼ら6名の名前はなく、また美術史の分野でさえ「その他大勢」の扱いだったらしい。
しかし今や伊藤若冲は、展覧会を開けば日本で最も観客を集めるスーパースターだし、他の5名もかなり名前を知られた存在になっている。まさに先見の明。もっとも「奇想の系譜」が発売された当初は3000部しか売れず廃刊になっているから、この本がきっかけで一気に6名の画家の再評価が進んだわけではない。それでも1988年、2004年に再出版され、現在は18刷を数えるロングセラーとなっている。私もいつかそんな仕事を成し遂げたいものだ。
なお展覧会は上記の6名に白隠慧鶴と鈴木其一の2名を加えた構成となっている。それぞれキャッチコピーがついていて、なかなかカッコいい。琳派の画家である鈴木其一を奇想のカテゴリーに入れるのは?という気がしなくもないが。
幻想の博物誌 伊藤若冲
醒めたグロテスク 曽我蕭白
京のエンターテイナー 長沢芦雪
執念のドラマ 岩佐又兵衛
狩野派きっての知性派 狩野山雪
奇想の起爆剤 白隠慧鶴
江戸琳派の鬼才 鈴木其一
幕末浮世絵七変化 歌川国芳
伊藤若冲 (いとう じゃくちゅう 1716-1800)
入館までに5時間待ちの行列という伝説を作った2016年の展覧会。私が訪れた日はまだ70分待ちだったのだが、それでもそんなに並べるかと展覧会を見なかったことを今だに後悔している。それ以来、首都圏である程度の規模で若冲作品を見られる最初の展覧会だと思う。
しかし一番見たかった「旭日鳳凰図」の展示が3月10日までだったのが残念(/o\)
「紫陽花双鶏図 あじさい・そうけい・ず」 1755年頃
「白梅錦鶏図 はくばい・きんけい・ず」 1775年頃
どちらも若冲らしい細密で鮮やかで色数の多い描写。お見事という以外に言葉が思い浮かばない。今回は若冲をよく見るために美術用の単眼鏡を用意した。それで細部までしっかり見ることができたのだが、だからといってさらに楽しめたかというとそうでもなかった。筆使いの分析をするのでもなければ、普通に見えるがままに鑑賞するのが一番かと。
「梔子雄鶏図 くちなし・ゆうけい・ず」 1745年頃
若冲が30歳代の最も初期の作品といわれている。だから先ほど書いた「細密で鮮やかで色数の多い」という画風ではまだない。言っちゃ悪いが並みレベルの作品。白で描かれた羽根の部分はとても省略されていて「透明ニワトリ」みたいである。
「虎図」 1755年
江戸時代の画家に生きている虎を見る機会はなかったはず。だからどんな巨匠であってもリアリティのない漫画のような絵になってしまうのは仕方ないところ。この絵を見れば若冲も例外ではないことがわかる。無理して描かなくてもいい気がするが画家魂が疼くのかな。
「蝦蟇河豚相撲図 がま・ふぐ・すもう・ず」
なんともユーモラスな作品。若冲にこういう作品はどれくらいあるんだろう。
「象と鯨図屏風」 1797年
これも漫画のような象である。若冲は14歳の頃に天皇に見せるため京都(若冲は京都の画家)に連れてこられた象を見たらしい。でも流石に80歳を超えての作品なので、象の記憶は曖昧なイメージでしかなかったのかもしれない。鯨はおそらく見たことがなかっただろう。それにしても、あるいはだからこそか、現在のポップアートとしても通用する作風とその出来栄えには感心する。
象のユニークな描き方に惹かれて、この作品を見ることを楽しみにしていた。しかし写真でも汚れがわかると思うが、実物は屏風の折れ曲がるところの紙がささくれだって、かなり痛んでいる印象だった。いずれキレイに修復されるといいのだが。
作品は六曲一双の屏風。6面で構成された屏風が2つでワンセットという意味。上の写真が右側に配置される右隻、下が左隻である。
伊藤若冲は14作品の展示。墨絵の花や鶏の作品もあった。しかし「細密で鮮やかで色数の多い」のが若冲という思い込みが強いせいか、それらを見てもあまり楽しめなかったのも事実。それでも若冲ワールドの片鱗に触れられて幸せな時間だった。
ーーー続く
wassho at 23:31│Comments(0)│
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