2019年06月08日

奇想の系譜展 その4

鈴木其一 (すずき きいつ 1796-1858)

琳派(りんぱ)については以前に書いたから解説は省略する。琳派最後のスーパースターである酒井抱一(さかい ほういつ)の弟子が鈴木其一である。

その琳派の歴史は安土桃山後期に遡り江戸後期まで続く。そのトリを飾ったといってもいい鈴木其一がどうして奇想などという傍流のレッテルを貼られるのか。

最初のエントリーに書いたように、この展覧会は辻惟雄が1970年に出版した「奇想の系譜」という書物をベースにしている。ただしそこで取り上げられているのは6名の絵師で鈴木其一は含まれていない。この展覧会を監修したのは辻惟雄の門下生といってもいい山下裕二という美術史家・評論家。そして最近の彼はかなり鈴木其一「推し」である。それには伊藤若冲の大成功によって、この業界は第2の若冲発掘に躍起という背景がある。そこで本来は「奇想の系譜」とは関係ない鈴木其一を監修者権限で展覧会にブッ込んできたのではないか。まあ美術の世界だっていろいろと「大人の事情」はあるだろう。ちなみに展覧会に出展されているのは8名で、本に載っていないもう1人は白隠彗鶴である。

そんな邪推が当たっているかどうかは別として、琳派好きとしては鈴木其一を見ることができてよかった。ただし作品数が少なかったのが残念。


「百鳥百獣図 ひゃくちょう・ひゃくじゅう・ず」 1843年

琳派らしさは横に置いて、ちょっと「若冲入っている」ような作品。また伊藤若冲、長沢芦雪に続いて鈴木其一も象を描いている。なぜか3人とも白い象。元ネタが白く描いていたのかな。そして象の後ろにはラクダまで。象より大きいのは本物を見たことがなく、正確な情報もなかったからだろう。数多くの鳥や動物が描かれていて、また想像上のものもあって楽しく見飽きない作品。
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「四季花鳥図屏風」 1854年

同じ金箔ベースでもグイグイ押してくる狩野派は、やはり武家屋敷や寺社に置かれるのがふさわしい。しかし琳派の金箔はもっと肩の力が抜けていて、現代のリビングルームでもマッチするモダンさがあると思う。相当に広くて他のインテリアも絵に負けないリビングという条件はつくけれど(^^ゞ

右隻の水の中から伸びているのはアヤメの類で、他の花の種類は具体的にわからないが、おそらく開花時期の違いは無視した花のラインナップ。花好きとしてはそこに違和感を感じざるを得ないが、まあ賑やかでいいか。

なお作品は六曲一双の屏風だが、左隻はその左半分の画像しか見つからなかったので画像のサイズが揃っていない。
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「貝図」 

後ろにある植物は梅の実だと思う。白と黒の縞があるのはたぶん赤貝。だとしたら貝殻表面の凹凸が描かれていないから、一見すると写実的に見えるが実はそうでもないことになる。中途半端な絵ともいえるが、何ともいえない雰囲気と落ち着きを感じるのは鈴木其一の力量なのだろう。
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歌川国芳 (うたがわ・くによし 1797-1861)

歌川国芳の自由奔放な発想も奇想と呼ぶのにふさわしい。現在、歌川国芳は多くのファンがいて、また江戸時代にも人気絵師だったのに、奇想の系譜が出版された1970年当時は「その他大勢」の扱いだったということに驚く。


「一ッ家 ひとつや」 1855年

この絵は初めて見たし、歌川国芳にこんな作品があるとはまったく知らなかった。縦2.28m横3.72mの巨大なサイズと描かれている内容で迫力満点である。何を表現しているかというと

  浅草に老婆と娘が住んでいた。最初は男と思ったが、よく見れば垂れ乳である(^^ゞ
  老婆は旅人を泊めては殺し金品を奪っていた
  娘はそれに反対だった
  ある日、童子に化身した観音菩薩が宿泊する
  いつものように殺害しようとする老婆、それを止めようとする娘

というシーン。この先はどうなったのか調べてもわからなかった。また観音菩薩はなぜあまり金品を持っていない童子に化けたのかも疑問。しかしこの絵の前に立つと、そんなことは気にならずに、ひたすらその迫力に押されっぱなしになる。

ちなみにこの絵は吉原遊廓の主人がパトロンとなり浅草寺に奉納された(吉原は浅草の近くにある)。しかしこの絵で、信者あるいは参拝客に何を訴えたかったのかな?
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ここから先はいつもの歌川国芳ワールドの浮世絵。
ビジュアルとタイトルだけで楽しめるので解説はナシ。

「相馬の古内裏 そうまのふるだいり」1845年頃
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「宮本武蔵の鯨退治」 1847年
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「鬼若丸の鯉退治」 1845年頃
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「龍宮玉取姫之図」 1853年頃
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そして歌川国芳といえば人体で描かれた顔もはずせない。

「みかけハこハゐが とんだいゝ人だ」 1847年頃
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奇想という言葉を奇想天外、奇抜という解釈で捉えると、方向性は違ってもまさに奇想と思えるのは曽我蕭白と歌川国芳。また「山中常盤物語絵巻」に感じられる岩佐又兵衛の狂気を含めてもいい。狩野山雪と鈴木其一は、この展覧会にあった絵を見る限り正統派に近い絵師に思えた。長沢芦雪はユニークではあるが奇想というほどではない。白隠慧鶴は他の絵師とはジャンルが違うといえるし、その画風もちょっと変わっている止まり。ただし布教の手段として絵を用いるという行動は奇想と呼べるかもしれない。

引っかかるのは伊藤若冲。現在の視点で彼の絵を見れば堂々たる日本画としか思えない。一部にお茶目な作品もあるが、それをもって奇想とはいえない。しかしバッハやモーツァルトの時代にワーグナーやマーラーの音楽を演奏すれば、同じクラシックではなく別のジャンルの音楽に感じたかもしれない。あまりに違うので拒否反応もあっただろう。そう考えると伊藤若冲は奇想だったという想像も働く。わかりにくい例えでゴメンm(_ _)m

別に奇想という言葉にこだわっている、あるいは否定しているわけじゃない。ちょっと面白いキーワードあるいはカテゴリー分類だったので引き込まれただけ。そういう意味では右脳だけでなく左脳にも刺激を受けた展覧会だった。それにバラエティに富んだ作品を見られていい企画だったと思う。西洋の絵画と較べて古い日本画はどうしてもワンパターンな印象が拭えない。それを覆すような展覧会を今後も期待する。


おしまい

wassho at 16:43│Comments(0) 美術展 

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