2019年08月12日

ウィーン・モダン展 その5

そしてエゴン・シーレ。
なぜかフルネームで呼ばれることが多い画家。

28歳で夭折したエゴン・シーレは1890年生まれで1918年に没。ちなみに彼の師匠的立場だったクリムトは1862年生まれで28歳年上。亡くなったのは同じく1918年。

独自の画風を確立したということではクリムトと双璧。そしてどちらもエロスをテーマに多くの作品を描いた。しかし師匠と弟子で方向性はまったく違う。クリムトがエクスタシーを感じさせる美しさがあるのに対して、エゴン・シーレはひたすら陰キャで閉鎖感のある画風。そしてどこか攻撃的というかトゲトゲしい。

それと関係あるのかどうか、彼の性格はサイコパスというか中二病というかやっかいなタイプ。また女性に対してはまったくのゲス野郎。4歳年下の妹とデキていたし、同棲して内助の功があった恋人を捨てて金持ちの娘と結婚した。しかも恋人には結婚後も定期的に付き合おうと提案。おまけに嫁の姉とも肉体関係が続いた(>_<)


なお、この展覧会では「当たり障りのない」作品が多かったと思う。もっとエゴン・シーレの毒に当たって暗〜い気分になりたかったのに。



「自画像」 1911年
1911-4-6-1-1

この展覧会で唯一の「The エゴン・シーレ」的な作品。陰キャ全開で重苦しい。なぜか彼は指を長く直線的に描くことが多い。



師匠はクリムトだったが心酔していたのはゴッホだったようで、次の2つはその影響ありあり。ゴッホのひまわりもどこか暗い影があるが、エゴン・シーレのそれは生命力を否定するレベル。

「ひまわり」 1909-10年
1909-104-6-1-3



「ノイレングバッハの画家の部屋」 1911年
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単なる肖像画ではなく目に見えない何かを「強調した」描き方。こういうのを表現主義というらしい。目に見えるものだけを描いた印象主義との対立概念。エゴン・シーレは表現主義の代表的画家。もっとも1画家=1画風ではないので、彼もいろいろな絵を描いている。

ところで目に見えない何が強調されているのかわからないのだけれど(^^ゞ、アルトゥール・レスラーはカッコイイね。

「美術評論家アルトゥール・レスラーの肖像」 1910年
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「イーダ・レスラーの肖像」 1912年
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「オットー・ヴァーグナーの肖像」 1910年
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痛々しく陰鬱なエロティシズムがエゴン・シーレの醍醐味だと思っているので、そういう油絵作品がなかったのが残念。素描でその匂いを少しは感じられるものを2点紹介しておく。

「男性裸像」 1912年
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「模様のある布をまとい背を向けた裸体」 1911年
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エゴン・シーレ濃度の高い作品はなかったけれど、それでもダークな気分になってきたかな。口直しに、彼はポストカード用にこんなファッショナブルな絵も描いている。

「女の肖像 ウィーン工房ポストカードNo.289」 1910年
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最初のエントリーに書いたように、この展覧会は絵画展というより19世紀末を中心としたウィーン文化展。展示数は約400点で一般の展覧会の2倍。とても見応えがあった。ウィーン・ミュージアムが2023年まで閉鎖中にオーストリア系の展覧会が増えるといいな。


おしまい

wassho at 12:31│Comments(0) 美術展 

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