2020年02月13日
上野・東照宮ぼたん苑で冬ボタン
徳川家康が死後に神格化されて付けられた名前が東照大権現。それを祀っている神社が東照宮。日光が一番有名だけれど全国各地に130社ほどあるらしい。家光の時代には約700社が造られたという説も。
それら東照宮の中でも遺体が葬られた静岡県の久能山東照宮と、総本山に位置づけられる日光東照宮の2つは別格的存在。面白いのは各地の東照宮は、久能山と日光に自社を加えて日本三大東照宮と勝手に名乗っていいらしい(^^ゞ
東京にも東照宮は5つあって、上野公園にあるのが上野東照宮。もともと上野公園は寛永寺という徳川家の菩提寺だった場所だから、神仏習合の時代に、境内に東照宮が建てられたのは当然の成り行き。
その上野東照宮には「ぼたん苑」が併設されている。ボタンが咲くのは春であるが、温室で冬に咲かせて、鉢ごと地植えしたのが冬ボタン。今回はそれを見に来た。アイスチューリップも植物に季節を勘違いさせて咲かせる手法。ボタンとチューリップ以外にもそんな手法で咲かせる花はあるのかな。
上野公園は出入り口に名前がないが(たぶん)、
ここは西郷像に一番近い出入り口。
もうひとつ階段を上って、
西郷隆盛の銅像。
上半身が大きくて下半身とのバランスが取れていないのは、真下から見上げた時にちょうどいいバランスに見えるための工夫。ただ世の中の他の銅像は、そんな手法は使っていないし、だからといって不自然に見えることもないので、そのやり方が正解だったのかは疑問。銅像は四方八方からも見えるわけだし。この位置からの姿はどう見ても異様。
西郷像の隣では白リーマンがパフォーマンス中。
本当にピクリとも動かない。
京都の清水寺を模した清水観音堂。
手水舎(ちょうずや・ちょうずしゃ・てみずや・てみずしゃ)の水盤の上に金網。ひしゃくを載せるためと思えるが、普通はひしゃくを水盤の上に渡すように置くだけ。ひしゃくにチェーンも付けられているし、何となくセキュリティ対策のような雰囲気も漂う。
絵馬に外国語多し。
それにしてもコロナウイルスが早く終結しないとインバウンド業界は大変だな。東京オリンピックでウハウハのはずが帳消しになるかも。
ここが「清水の舞台」の設定。
観音堂は道路から少し高い位置にある。
色のついているのが「願い玉」という布にくるまれた重り。白い石が敷かれているのは月に見立てた設定。そこに清水の舞台から願い玉を投げ入れられると願いが叶うという、玉5つで500円の宗教マーケティング。100円硬貨なら投げないけれど、願いだ玉と意味づけされるとやってしまうのが人間の心理。
月の周りに落ちている玉を見ると、かなり難易度が高そう。ところで以前は真ん中のお皿はなかったように思うが。お皿に載せたら1万円進呈にでもすれば、ギャンブルマーケティングでもっと売り上げが増えるよ(^^ゞ
清水観音堂から上野公園のメインストリートである「さくら通り」へ降りる。ここが有名な上野公園の花見場所。道路がやたら白いのは舗装をやり直したのかな。
上野東照宮に向かう途中にウメが咲いていた。
鳥居をくぐり、
この門は水舎門(みずやもん)。元は手水舎の上屋根だったものらしい。
今年の初詣で円融寺に行き、なぜ日立の名前を記した立て看板があるのかと思ったが、上野東照宮にも同じものがあった。
調べてみると日立は寺社仏閣の防火設備を販売しており、それで企業メセナ(もう死語かも?)の一環として重要文化財の周辺に設置しているらしい。だからこの立て看板の趣旨は「火気厳禁」にある。それにしては控えめな表記なのは全体のデザインを考えてのことかな。
しかし重要文化財でなくても寺社仏閣で普通の人は火を使わないし、使う奴は放火犯だから(^^ゞ、この立て看板に実効性はあるのだろうか。
社殿まで続く参道(当たり前か)。その両サイドにある石灯籠は200基以上。ほとんどが社殿が建てられた1651年に諸大名から奉納されたものとのこと。まあ家康に恨みをいだいていた大名も多かったと思うよ(^^ゞ
ぼたん苑は水舎門をくぐってすぐの所にある。
いよいよ冬ボタン鑑賞の始まり。
ーーー続く
それら東照宮の中でも遺体が葬られた静岡県の久能山東照宮と、総本山に位置づけられる日光東照宮の2つは別格的存在。面白いのは各地の東照宮は、久能山と日光に自社を加えて日本三大東照宮と勝手に名乗っていいらしい(^^ゞ
東京にも東照宮は5つあって、上野公園にあるのが上野東照宮。もともと上野公園は寛永寺という徳川家の菩提寺だった場所だから、神仏習合の時代に、境内に東照宮が建てられたのは当然の成り行き。
その上野東照宮には「ぼたん苑」が併設されている。ボタンが咲くのは春であるが、温室で冬に咲かせて、鉢ごと地植えしたのが冬ボタン。今回はそれを見に来た。アイスチューリップも植物に季節を勘違いさせて咲かせる手法。ボタンとチューリップ以外にもそんな手法で咲かせる花はあるのかな。
上野公園は出入り口に名前がないが(たぶん)、
ここは西郷像に一番近い出入り口。
もうひとつ階段を上って、
西郷隆盛の銅像。
上半身が大きくて下半身とのバランスが取れていないのは、真下から見上げた時にちょうどいいバランスに見えるための工夫。ただ世の中の他の銅像は、そんな手法は使っていないし、だからといって不自然に見えることもないので、そのやり方が正解だったのかは疑問。銅像は四方八方からも見えるわけだし。この位置からの姿はどう見ても異様。
西郷像の隣では白リーマンがパフォーマンス中。
本当にピクリとも動かない。
京都の清水寺を模した清水観音堂。
手水舎(ちょうずや・ちょうずしゃ・てみずや・てみずしゃ)の水盤の上に金網。ひしゃくを載せるためと思えるが、普通はひしゃくを水盤の上に渡すように置くだけ。ひしゃくにチェーンも付けられているし、何となくセキュリティ対策のような雰囲気も漂う。
絵馬に外国語多し。
それにしてもコロナウイルスが早く終結しないとインバウンド業界は大変だな。東京オリンピックでウハウハのはずが帳消しになるかも。
ここが「清水の舞台」の設定。
観音堂は道路から少し高い位置にある。
色のついているのが「願い玉」という布にくるまれた重り。白い石が敷かれているのは月に見立てた設定。そこに清水の舞台から願い玉を投げ入れられると願いが叶うという、玉5つで500円の宗教マーケティング。100円硬貨なら投げないけれど、願いだ玉と意味づけされるとやってしまうのが人間の心理。
月の周りに落ちている玉を見ると、かなり難易度が高そう。ところで以前は真ん中のお皿はなかったように思うが。お皿に載せたら1万円進呈にでもすれば、ギャンブルマーケティングでもっと売り上げが増えるよ(^^ゞ
清水観音堂から上野公園のメインストリートである「さくら通り」へ降りる。ここが有名な上野公園の花見場所。道路がやたら白いのは舗装をやり直したのかな。
上野東照宮に向かう途中にウメが咲いていた。
鳥居をくぐり、
この門は水舎門(みずやもん)。元は手水舎の上屋根だったものらしい。
今年の初詣で円融寺に行き、なぜ日立の名前を記した立て看板があるのかと思ったが、上野東照宮にも同じものがあった。
調べてみると日立は寺社仏閣の防火設備を販売しており、それで企業メセナ(もう死語かも?)の一環として重要文化財の周辺に設置しているらしい。だからこの立て看板の趣旨は「火気厳禁」にある。それにしては控えめな表記なのは全体のデザインを考えてのことかな。
しかし重要文化財でなくても寺社仏閣で普通の人は火を使わないし、使う奴は放火犯だから(^^ゞ、この立て看板に実効性はあるのだろうか。
社殿まで続く参道(当たり前か)。その両サイドにある石灯籠は200基以上。ほとんどが社殿が建てられた1651年に諸大名から奉納されたものとのこと。まあ家康に恨みをいだいていた大名も多かったと思うよ(^^ゞ
ぼたん苑は水舎門をくぐってすぐの所にある。
いよいよ冬ボタン鑑賞の始まり。
ーーー続く
wassho at 23:31│Comments(0)│
│お花畑探訪