2020年03月07日

ハマスホイとデンマーク絵画 その2

展覧会は次の4部で構成されている。

 1:日常礼賛 — デンマーク絵画の黄金期
 2:スケーイン派と北欧の光
 3:19世紀末のデンマーク絵画 ― 国際化と室内画の隆盛
 4:ヴィルヘルム・ハマスホイ ― 首都の静寂の中で


デンマークの絵画では1800年から1864年までを黄金期と呼ぶらしい。童話作家のアンデルセンが1805〜1875年だから、だいたいそれと重なる時期。名前だけは知っているチボリ公園ができたのも1843年。それにしても黄金期が「1864年まで」と、どうしてそんなに細かく刻めるのか。少し調べたけれどわからなかった。

それでその黄金期である展覧会の第1部は、つまらなかったとはいわないが、別にフツーというか、黄金期がこれで大丈夫かという気持ちになったのが正直なところ。それでも印象に残った3つを紹介。

          ※この展覧会の名前表記は独特なので、一般的なものも併記した

「果物籠を持つ少女」 1827年頃 
 コンスタンティーン・ハンスン (一般的にはコンスタンティン・ハンセン)

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このコーナーでは異彩を放っていた作品。子供を描いたにしては服の色も全体のトーンも地味だし、表情も何となく寂しそうだ。言ってみれば「素」に近いこの「低い温度感」のようなものは、後で紹介するハマスホイに通ずるものがあるのかも知れない。


「外科医クレスチャン・フェンガとその家族」 1829年 
 マーティーヌス・ラアビュー (一般的にはマーティヌス・ラービュー)

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外科医だから、そこそこの上流階級かと思う。オウムも飼っているし。この絵はぎこちなさ満載なところがおもしろい。中央の外科医には「なんでお前だけカメラ目線やねん」と突っ込もう(^^ゞ 向かって右側の妻には「編み物を立ってするか?」、左側の娘には「ポーズがわざとらし過ぎるやろ」と言いたいな。 素人に動きを付けさせるとこうなるというような見本。画家がきちんと演出しなければと思うが。

それはそうとして、こういう当時の風俗がわかる絵は好きである。例えばこの絵からは、この時代からヨーロッパでは犬を室内で飼っていたことが伺えたりする。


「海岸通りと入り江の風景、静かな夏の午後」 1837年
 クレステン・クプゲ (一般的にはクリスチャン・ケプケ)

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ゆったりとした風景画。高く伸びている木は何だろう。イチョウかな? まるでお手本のようにサマになっている絵であるが、実は不思議さいっぱいでもある。

まずタイトルを見るまでは湖を描いているのだと思っていた。なぜなら陸地の草が水際まで続いているから。波打ち際まで草に覆われている海岸なんてあるか?

次に空がピンク色である。夕日の情景らしいので、それを画家の感性でピンクに表現したことはよしとしよう。もっとも夕焼けには見えないが、それも目をつむろう。しかし、だったらタイトルに「午後(英題ではafternoon)」はないだろ。 もっとも英語では夕方という言葉や概念がないから、late afternoon か early evening とかになるけど。

そして空がピンクなのは許すとしても、海までがピンクは無理があるなあ。海が夕日に染まるのは太陽から伸びている光の部分だけだし、それも夕日のオレンジ色じゃない。また海面というのは空の色を反射して色がついているのだが、海がピンクになるには空全体が相当にピンクになっている必要がある。

あまり理屈ぽく眺めると絵を楽しめない(^^ゞ


これで黄金期の絵なのかと書いたが、調べてみるとデンマーク近代絵画を切り開いたのはエカスベア(またはエガスベアまたはエッカースベルグ)という画家。美術学校の教授や学長も務め、このコーナーに展示されているのは彼の生徒たちが中心。そのエカスベアの作品をネットで調べると素晴らしいものが多かった。どうしてこの展覧会にエカスベアを1枚も持ってこなかったのか。それがとても残念。



次のコーナーは「スケーイン派と北欧の光」。スケーインは地名だが、これも一般的にはスケーエンの表記が多い。この展覧会はデンマーク語に近い表記にこだわっているけれど、世間と違う言葉を使われると、後で検索する時なんかに不便なので困る。ちなみにデンマーク語は発音が難しいとされる言語で、母音の数が数え方によっては30個近くにもなる(日本語はもちろん5個で英語が15から20個)。それと綴りと発音があまり一致しないらしい。

話はそれるが、電話回線がデジタル化され始めた頃の話。世間では「デジタル」だったが、NTTは英語に忠実な「ディジタル」という表記をかたくなに使用していた。その頃はインターネットが普及し始め、検索というツールも使われ出した頃。そして「デジタル」での検索では自社の「ディジタル」に関する情報にまったくヒットしないことに気づいたNTTは、こっそりと「ディジタルからデジタル」に表記を変更することになった。ちょっと懐かしい、あまり知られていない昔の業界裏話。

スケーインとスケーエンやハマスホイとハンマースホイ、別にどちらでもいいが早く標準を確立して欲しい。ただしゴーギャンはゴーガンじゃなくゴーギャンだ!!


さて、そのスケーインはデンマークの漁師町。当時はド田舎で純朴な村人が住んでいたらしい。そして日当たりのいい場所とのこと。それに憧れてスケーインに集まった画家がスケーイン派。ゴッホのアルル、ゴーギャンのタヒチみたいなものかな。あるいはバルビゾン派のオーシャン版。海好きとしては海景画が多いこともあって、このコーナーは楽しめた。


「ボートを漕ぎ出す漁師たち」 1881年
 ミケール・アンガ (一般的にはミカエル・アンカー)

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男たちは消防服のようなものを着ているし、海も荒れているから、これは海難救助の出動シーンを描いたもの。緊迫感溢れる作品で見応えがあった。まるで報道写真のようでもある。当時はナショナリズムの高まりもあって、こういう英雄的な題材が好まれたらしい。


「救難信号」 1883年
 オスカル・ビュルク (一般的にはオスカル・ビョルク)

先ほどの絵がなければ何を描いているのか理解できなかっただろうし、タイトルを読んで?と思ったはず。もちろんこれは船の救難信号を聞きつけて窓から海を眺めているシーン。

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どんな救難信号だったのだろう。救助にいくのがあの程度のボートだから、助けられる船は水平線より手前の目視できる位置にいるのだろう。一般家庭にいて救難信号に気づくということは汽笛かサイレンか。それとも信号弾や発煙筒? 手巻きのサイレンはもう存在していたと思うが、汽笛には蒸気か電気が必要。信号弾はまだ普及していないはず。

ひょっとしたら船からの救難信号じゃなくて、助けにいくから皆集まれ〜の合図のことかも知れない。それなら灯台や監視所で鐘を打ち鳴らしていることが想像できる。絵を見ると細かいことが気になるのが私の性格。

ところで描かれている人物は母親と息子、そして赤ちゃんの3人。母親と息子からは緊張感がヒシヒシと感じられるのに対して、当然ながら赤ちゃんは無邪気なもの。そのあたりの「緊張と緩和」みたいな描き分けが、あざといというか鼻につくというかーーー。救難信号の謎が解けないので絵に文句を付けてみた(^^ゞ


「スケーインの海に漕ぎ出すボート」 1884年
 オスカル・ビュルク (一般的にはオスカル・ビョルク)

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ミケール・アンガの「ボートを漕ぎ出す漁師たち」を見ている時、少し離れた場所にあるこの絵も目に入った。160センチ × 約200センチの大きなサイズなので描かれている内容もわかった。それでてっきり同じ画家のバージョン違いのような作品だと思った。そしてこの絵の前に立って、違う画家だと知ってビックリ。

この絵とアンガの絵の、正面を向いている男性ははどう見ても同じ人物に思える。王侯貴族や著名モデルじゃなく、いわばその他大勢の群衆で、同じ人物を違う画家が描いたのを見たのは初めて。小さな漁村だから、彼らを描くうちに自然とダブったのだろう。まあとにかく珍しい経験ができた。なお、もう同じ人物だと確定したので異論を挟まないようにお願いします(^^ゞ

ところでこの絵はボートを海から引き上げているようにしか見えないのだけれど。西洋人と東洋人では「押し方」が違うのか?


「漁網を繕うクリストファ」 1886年
 ピーザ・スィヴェリーン・クロイア (一般的にはペーダー・セヴェリン・クロイヤー)

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写実的なアンガやビュルクと違って印象派的な作品。そしてやたらダンディで赤いスカーフまで巻いている。これはバーかそんな店の光景だろうと思ったら、まさか漁師が網の修理をしているところとは。左上に書いている文章は、この絵を画家のエルネスト・バイエに贈ったことを示すものらしい。〜〜さん江みたいなものだろうが、こんなに大きく書くか?


以下、印象派的な作品を中心に。スケーイン派の画家たちは印象派のムーブメントをフォローしていたわけじゃなさそうだが、一度あの画風を知ると描かずにはいられなかったのかも知れない。音楽でいうとクラッシックしかなかった世界に、いきなりポップスがあらわれたのが当時の印象派のインパクトかなと思っている。


「台所の片隅、花を生ける画家の妻」 1884年
 ヴィゴ・ヨハンスン

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「娘の髪を編む母親」 1888年
 クリスティアン・クローグ (一般的にはクリスチャン・クローグ)

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「朝食 ― 画家とその妻マリーイ、作家のオト・ベンソン」 1893年
 ピーザ・スィヴェリーン・クロイア (一般的にはペーダー・セヴェリン・クロイヤー)

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「スケーイン南海岸の夏の夕べ、アナ・アンガとマリーイ・クロイア」 1893年
 ピーザ・スィヴェリーン・クロイア (一般的にはペーダー・セヴェリン・クロイヤー)

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ーーー続く

wassho at 12:04│Comments(0) 美術展 

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