2020年08月02日

お寺の敷地が広いのは

たいていの寺はそれなりに広いし、
そこそこの寺なら大きな庭もあって相当に広い。
京都や奈良あたりで有名な寺ならメッチャ広い。

そのことに誰も疑問をいだかないけれど、
子供の頃はそれが不思議だった。
お経を上げるだけなのに、今的な表現をするなら、どうしてこんなに無駄に広いのかと。

そして社会科の知識を多少は得た後に導いた結論は、昔は仏教の力が強かったので、広い敷地を手にすることができたというもの。これは寺を神社に置き換えても同じ。

また東京で広い敷地を持つ施設や公園などは江戸時代の大名屋敷跡地のところが多い。それを知ったのは中学か高校になってから。大名屋敷なんて権力そのものなので、子供の頃に考えついた「寺が広いのは仏教の力が強かったから説」を思い出して、やっぱりそうだったんだと納得していた。

寺

が、しかし
前回のブログで「奈良時代の人口は300万人だった!?」を書いたときに気づく。

有名な=広い寺は平安時代や鎌倉時代に創建されたものが多い。
それで当時の日本の人口は

   平安時代初期で550万人
   鎌倉時代初期で680万人

しかいない。現在の人口1億2600万人と比較すると、それぞれ4%と5%である。5%といえば1/20ということ。つまり土地なんていくらでも余っていた。ちょと理屈が強引になるが、あなたの家も今の20倍の広さにすることができたといえば感覚的にイメージできるだろうか。

ついでに江戸時代初期の総人口は1200万人。しかし当時の江戸はまだ大阪や京都より人が少なく、幕府を開いた1603年頃の人口は15万人、1700年で80万人とされる。参勤交代が1636年からで、その頃に大名屋敷も建てられたとして、15万人と80万人の中間を取って47.5万人としよう。現在の東京23区の人口は957万人だから、当時の人口は47.5÷957=鎌倉時代と同じく現在の5%となる。


宗教や政治的な権力があったから、広い面積を確保できたいうのは間違っていないと思う。しかし土地は余っていたので、別に強引な地上げをしたのではなさそうとwassho学説を変更しなければ。また現在は坪や平方メートルで考えるけれど、大昔は土地の広さを捉える感覚が違っていたのかもしれない。田畑の単位は反(約1,000平米)や町(約10,000平米)なので、それくらいで土地を数えていたのだろう。


ところで20倍も必要ないけど、
5倍くらいは広いところに住みたいなあ(^^ゞ

wassho at 19:27│Comments(0) ノンジャンル 

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