2020年09月03日

パパ活と遊女の不思議

売春を援助交際と言い換えるようになったのが30年前の1990年頃から。最初は女子高生の売春を意味したが、やがてプロ以外のアルバイト的な売春を広く指す言葉になったように思う。そして5年ほど前から広まってきたのがパパ活という言葉。愛人契約的なニュアンスを含めて使われ出した経緯があるものの、今では援助交際すなわち売春とほぼ同義語と考えていいだろう。

援助交際やパパ活などの表現が生まれるのは、売春の言葉を避けたいからである。こうやって言葉を置き換えてイメージを変えるのは日本語の伝統文化みたいなもので、例えば結婚式で「切る」は忌み言葉だからケーキには「入刀」されることになっている。

そして売春と言いたくないのは、もちろんそれが道徳的に悪いとされ法律としても違法だから。もっとも売春を身体を使う職業として考えた場合、歌ったり踊ったりするのと、あるいはスポーツ選手と何が違うのかは興味深いテーマ。しかし今回の趣旨からは外れるので触れないでおく。

というわけで、とりあえず売春は悪いことであり、それを援助交際やパパ活と言い換えようが、売春する行為が大っぴらに認められることはないし、言葉としても人前で発するのは憚られる後ろめたさがついて回る。

歌麿遊女


しかしである。
これが遊女という言葉になると、そういった売春のネガティブ感がまったく消えてしまうのが不思議なところ。言うまでもなく遊女は江戸時代の売春婦を指す言葉。明治になって呼び名が娼婦になり太平洋戦争前後から売春婦の名前に変わった(と何となく思っている)。

浮世絵には遊女を描いたものがたくさんある。というか芝居や遊郭といった「浮かれた世」を題材に始まったから浮世絵である。遊郭の遊女もピンキリで、浮世絵に描かれるのは高級な遊女であったとしても、売春を生業にしていたことに変わりない。

そして普段なら二言目には女性蔑視だ、セクハラだと叫びそうな人であっても、浮世絵の遊女については「売春婦を描いた作品」である基本情報はスルーして、遊女の艶やかな美しさなどとアートとして楽しんでいるのである。遊女という言葉を使うことの抵抗感も皆無である。

これがもし「パパ活女子」といったうタイトルの絵があるなら、どんなに美しい作品でもそうはならない。遊女もパパ活もやることは一緒なのにね(^^ゞ


どうして遊女という単語には後ろめたさがないのか。当時は合法的存在だったのは事実だとしても、それだけではないように思える。遠い昔に使われた言葉だから、貴族や武士と同じように概念としてしか捉えらず生身の感情が湧いてこないからか。あるいは「遊」の文字が持つ楽しさや軽やかさに売春のイメージがマスキングされるせいか。

浮世絵に描かれている女性って遊女が多いなあと気がついた数年前から、考えているテーマだけれど、未だ納得できる仮説を得られていない。そしてテーマがテーマだけに、あまり人とも話ができず(^^ゞ

wassho at 21:17│Comments(0) 社会、政治、経済 | 美術展

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