2020年10月20日

ハンコ廃止に水を差してみる

河野太郎大臣が猪突猛進しているハンコ廃止。署名に捺印を添えるのは、その書面を本人が作成したことの証明を補強する意味がある。しかし大量生産される三文判にその機能はないから、単に形式的あるいは慣例的なもの。ちなみに普通の市民生活で実印が求められるのは不動産取引、車の名義変更、銀行融資ほか10種類にも満たない。

だからほとんどの捺印には意味がないのでハンコ廃止は結構なことである。しかし数回前のブログに「手段は目的になりがち」で、手続きの合理化・簡素化の手段であるハンコ廃止が、そのうち目的になってしまう懸念を書いた。

昨日だったと思うが「確定申告の捺印廃止を検討」というニュースがあった。別に反対はしないけれど、年に1回のことなのでハンコが廃止になったところで手間暇にほとんど影響しない。そのために法律改正をしなければいけないのだから、ご苦労なコッタというのが正直な感想。

それでハタと気がついたのは、ハンコ廃止でニュースになっているのは行政手続きに関するものばかりであること。官庁や自治体と仕事をしているのでなければ、毎月役所に行く人なんてほとんどいないだろう。つまり河野大臣がいくらがんばっても、それは人々の生活にほとんど影響ないことなのである。

ハンコの問題は昔から議論されている。それが急にクローズアップされたのは「上司にハンコをもらわないと仕事が進まないからテレワーク、ステイホームできない」というコロナ禍における危機感のせいである。つまり廃止しなければいけないのは、あるいは廃止する価値があるのは、行政手続きのように一般人が滅多に作成しない公的な書面ではなく、稟議書や決裁書といった日々作成する身内でやりとりする書面なのである。そう一部ではお辞儀ハンコという謎マナー(^^ゞがあるとされるアレである。

お辞儀ハンコ

こういうハンコ文化がなくならないと意味がない。というか、そこにまで手を広げていかないと政府が進めようとしているハンコ廃止は、いっちゃ悪いが単なるヤッテル感の演出と実質的に違わない。

そしてブラックな未来予想もしておこう。行政手続きにおけるハンコはほとんどが廃止されるだろう。しかしその代わりにナントカカードの登録とか提示とかパスワード入力など面倒な手続きが増えるに違いない。

   「昔は判子をつくだけで済んだのに」と嘆く日がきっとやってくる(/o\)


wassho at 22:06│Comments(0) 社会、政治、経済 

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