2021年01月16日
田中一村展 千葉市美術館収蔵全作品
田中一村(いっそん)のことは10年ほど前に、今回と同じ千葉市立美術館で開かれた展覧会の情報で初めて知った。興味を引かれたが、ちょっと千葉までは遠いなあと思っているうちに行きそびれてしまう。2018年には生誕110年ということでNHKの日曜美術館でも取り上げられたし、佐川美術館で大規模な展覧会があった。何となく「この画家の絵は見なくちゃならない」という確信のようなものを感じたものの、佐川美術館は滋賀県にあるので(/o\)
というわけで3度目の正直のような田中一村展。コロナで緊急事態宣言発令中ではあるが、密な事態にはなるまいと14日に千葉まで出かけてきた。
田中一村は1908年(明治41年)生まれで1977年(昭和52年)に69歳で没した。東京美術学校(現・東京芸術大学)の日本画科では東山魁夷と同期。生前はほとんど評価されなかったので日本のゴッホと呼ばれたり、また後年は奄美大島に移りトロピカルな題材のものを描いたので日本のゴーギャンと言われることもある。しかし、そろそろ日本の〇〇という西洋コンプレックス丸出しの表現はやめたほうがいいと思うのだが。
栃木県生まれの田中一村であるが、画業的には東京時代、千葉時代(1938年〜1958年)、奄美大島時代(1958年〜1977年)に分けられる。それで千葉に20年間住んでいたことから、千葉では県民画家扱いで千葉市美術館はかなりのコレクションを有している。
撮影年月日は不明であるが、奄美大島時代の田中一村。
かなりガリガリでも生気溢れるイメージ。
さて千葉市美術館は千葉のど真ん中、千葉駅の近くにある。考えてみると千葉県のあちこちにはクルマやバイクで数え切れないくらい出かけたが、電車では初めてだし、だいたい千葉の中心部には今まで行ったことがない。本日は意外な人生初体験(^^ゞ
当然、東京駅からJRで行くものだと思っていたが、乗り換え案内で調べると、渋谷からだと地下鉄半蔵門線で錦糸町まで行き、そこでJRに乗り換えろとの指示だった。それでそうしたのだが、渋谷から錦糸町までって30分もかかる。渋谷と錦糸町を直線で結んだ中間あたりに東京駅があるのだから、本当にこれが一番早かったのかな?
JR錦糸町駅のホームに上がるとスカイツリーが目の前に見えた。
何となくうれしい。
総武線の快速に乗って千葉駅まで、さらに32分。
はるばるやってきたという感じで千葉に到着。
千葉市美術館は千葉駅東口から
徒歩15分
バスだと下車してから徒歩3分
モノレールだと下車してから徒歩5分
と案内にあった。初千葉なので歩いて行くことに。
千葉駅東口。
iPhone12miniの超広角モードは35mm換算で14mm。私の持っているミラーレスカメラの広角ズームレンズが35mm換算で15mm〜36mmで、それよりも広いのだからビックリする。20mm以下なんてかなりマニアックな領域だったのに、それがスマホで撮れるのだからすごい時代になったものだ。(35mm換算というのはとりあえず無視して、数字が小さければ広い範囲が写る広角レンズで、数字が大きければ遠くのものが大きく写る望遠レンズと思ってください)
これはモノレールの軌道。見てわかるように千葉のモノレールは吊り下げ式。吊り下げモノレールは乗ったことがないので乗ってみたかった気もする。
駅前大通りというのを歩いて行く。
上の写真で赤くいくつか見えているのは、美術館アッチの標識。
ただしこの標識が美術館まで続いているわけじゃないから、あまり役立たない。
駅前大通りの終端にあるのが千葉市中央公園。
名前は立派でも、まあ単なる広場。
もう少し歩いて美術館に到着。自宅からドア to ドアでジャスト2時間だった。
道路を渡って美術館の全景を撮るのが面倒だったので、ホームページから借用。かっこいいのか悪いのかよくわからないデザインである。
何となく007の映画では爆破されたことになっているMI6(イギリス秘密情報部)のビルを思い出したが、似ているのは中央が高くて階段状になっていることだけだった(^^ゞ
中に入るとこんなレトロな広い場所があった。「さや堂ホール」という名称でコンサートや展覧会に貸し出しているらしい。
後で調べたら、この建物は旧川崎銀行千葉支店を鞘堂方式(古い建物をそのまま抱き込むように新しい建物を建てる)で保存、再生した建物とのこと。そういえば3枚前の写真で建物の右側はモダンだが、円柱の後ろは昔の建物の面影が残っている。
というわけでここは銀行が建てられた1927年(昭和2年)にタイムスリップできる空間。ただし柱の数が左右で違うし、左側の2本は根本が他の柱と別の形なのが不思議。
ーーー続く
というわけで3度目の正直のような田中一村展。コロナで緊急事態宣言発令中ではあるが、密な事態にはなるまいと14日に千葉まで出かけてきた。
田中一村は1908年(明治41年)生まれで1977年(昭和52年)に69歳で没した。東京美術学校(現・東京芸術大学)の日本画科では東山魁夷と同期。生前はほとんど評価されなかったので日本のゴッホと呼ばれたり、また後年は奄美大島に移りトロピカルな題材のものを描いたので日本のゴーギャンと言われることもある。しかし、そろそろ日本の〇〇という西洋コンプレックス丸出しの表現はやめたほうがいいと思うのだが。
栃木県生まれの田中一村であるが、画業的には東京時代、千葉時代(1938年〜1958年)、奄美大島時代(1958年〜1977年)に分けられる。それで千葉に20年間住んでいたことから、千葉では県民画家扱いで千葉市美術館はかなりのコレクションを有している。
撮影年月日は不明であるが、奄美大島時代の田中一村。
かなりガリガリでも生気溢れるイメージ。
さて千葉市美術館は千葉のど真ん中、千葉駅の近くにある。考えてみると千葉県のあちこちにはクルマやバイクで数え切れないくらい出かけたが、電車では初めてだし、だいたい千葉の中心部には今まで行ったことがない。本日は意外な人生初体験(^^ゞ
当然、東京駅からJRで行くものだと思っていたが、乗り換え案内で調べると、渋谷からだと地下鉄半蔵門線で錦糸町まで行き、そこでJRに乗り換えろとの指示だった。それでそうしたのだが、渋谷から錦糸町までって30分もかかる。渋谷と錦糸町を直線で結んだ中間あたりに東京駅があるのだから、本当にこれが一番早かったのかな?
JR錦糸町駅のホームに上がるとスカイツリーが目の前に見えた。
何となくうれしい。
総武線の快速に乗って千葉駅まで、さらに32分。
はるばるやってきたという感じで千葉に到着。
千葉市美術館は千葉駅東口から
徒歩15分
バスだと下車してから徒歩3分
モノレールだと下車してから徒歩5分
と案内にあった。初千葉なので歩いて行くことに。
千葉駅東口。
iPhone12miniの超広角モードは35mm換算で14mm。私の持っているミラーレスカメラの広角ズームレンズが35mm換算で15mm〜36mmで、それよりも広いのだからビックリする。20mm以下なんてかなりマニアックな領域だったのに、それがスマホで撮れるのだからすごい時代になったものだ。(35mm換算というのはとりあえず無視して、数字が小さければ広い範囲が写る広角レンズで、数字が大きければ遠くのものが大きく写る望遠レンズと思ってください)
これはモノレールの軌道。見てわかるように千葉のモノレールは吊り下げ式。吊り下げモノレールは乗ったことがないので乗ってみたかった気もする。
駅前大通りというのを歩いて行く。
上の写真で赤くいくつか見えているのは、美術館アッチの標識。
ただしこの標識が美術館まで続いているわけじゃないから、あまり役立たない。
駅前大通りの終端にあるのが千葉市中央公園。
名前は立派でも、まあ単なる広場。
もう少し歩いて美術館に到着。自宅からドア to ドアでジャスト2時間だった。
道路を渡って美術館の全景を撮るのが面倒だったので、ホームページから借用。かっこいいのか悪いのかよくわからないデザインである。
何となく007の映画では爆破されたことになっているMI6(イギリス秘密情報部)のビルを思い出したが、似ているのは中央が高くて階段状になっていることだけだった(^^ゞ
中に入るとこんなレトロな広い場所があった。「さや堂ホール」という名称でコンサートや展覧会に貸し出しているらしい。
後で調べたら、この建物は旧川崎銀行千葉支店を鞘堂方式(古い建物をそのまま抱き込むように新しい建物を建てる)で保存、再生した建物とのこと。そういえば3枚前の写真で建物の右側はモダンだが、円柱の後ろは昔の建物の面影が残っている。
というわけでここは銀行が建てられた1927年(昭和2年)にタイムスリップできる空間。ただし柱の数が左右で違うし、左側の2本は根本が他の柱と別の形なのが不思議。
ーーー続く
wassho at 19:46│Comments(0)│
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