2021年01月30日

30年前、ワープロには輝かしい未来があるはずだった

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1989年に雑誌のDIMEが「パソコンの台頭で、ワープロはいずれなくなるのか?」とワープロメーカーに公開質問状を出し、6社から回答を得ていた。DIMEは30年後の2019年にその記事を再掲載。1989年が平成元年、2019年の4月で平成が終了なので、平成を振り返る企画だったようである。

昨日、その抜粋がTwitterで流れてきた。

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まあ、ものの見事に恥ずかしい回答が並んでいる。

当時の状況を思い返してみると、Windows3.0が発売されたのは1990年なので、まだMS-DOSの時代。何をするにもコマンドと呼ばれる呪文のような文字列を打ち込まねばならなかった。だからパソコンはどちらかといえば社内でも理科系の人が使う道具だったし、ビジネスでの用途も限られていた。Macはもちろん当時からマウスを使って操作できたものの、1時間に1回はシステムエラーを起こして、それまでの仕事をパーにしてくれた(^^ゞ

それで文章はというと手書きで書いた原稿をワープロ・オペレーターに頼んでワープロ打ち、すなわち清書してもらうのが一般的だった。ただし、それはある程度重要な書類だけに限られていて、今じゃ信じられないが、社外に出す企画書や報告書で手書きのものも多かった。また社会人でキーボードを使える人はまだまだ少なく、ワープロ・オペレーターはけっこう高給だったと思う。

ワープロは1980年前後から発売されて、全盛期は1985年から1995年あたりの10年間程度と短い。1999年にはパソコンの売り上げを下回り、2003年には各社とも生産を終了している。


ここまで書いてパソコンのワープロソフトではなく、昔はワープロ専用機があったことを知らない人もいるだろうと気がついた。そこを説明するのは省略するけれど、ビジネス用のワープロ専用機って、こんな感じだったと写真だけを紹介しておく。
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こういうのが懐かしかったらジジババ確定ね(^^ゞ


さて、上のコメントは全盛期の真っ只中の1989年だし、回答したのはワープロメーカーの広報部だとの事情は割り引いて考える必要はある。でも当時は世間の認識もこの程度だったように思う。

それでどうなったか。ワープロが2003年に生産中止になったことは書いた。次は当然各社ともパソコンに力を入れたわけだが、それから約20年たった現在は

   NECと富士通:パソコン事業は中国のレノボ傘下
   シャープ:パソコン事業撤退。
        また会社自体が台湾の鴻海(ホンハイ)精密工業の傘下に入る
   東芝:パソコン事業はシャープ傘下に、つまりは鴻海精密工業の傘下
   キヤノン::パソコン事業撤退

まともに残っているのはパナソニックだけなのが現状。


何を言いたいかといえば、当たり前の事ながら、状況を読み違えて間違った判断をすれば、先を読めなければ企業は滅びるということ。そして心配なのがエンジンからモーターに、ガソリンから電気に主力が移ろうとしている自動車産業。10年前にはエンジンがなくなるなんて考えられなかった。いわばワープロにとっての1989年。しかし、その時から先を読んで努力を続けて来た企業だけがモーターの時代にも生き残る。

シャープやキヤノンのパソコンなんて、どんな製品だったか、もうほとんど記憶の彼方にしか残っていない。そんな風に忘れられる自動車メーカーも出てくるかもしれない。あの会社とあの会社は危ないなと指折り数えてみたりして(^^ゞ


もちろん他の業界にも当てはまるケースは色々とあるだろう。何事も永遠には続かず、驕(おご)る平家も久しからずは世の常だから。そう書くと何か日本の産業が先細りするような淋しい印象になってしまうが、逆に驕っているヤツらにつけいるチャンスもあるのだと前向きに捉えましょう。

wassho at 22:58│Comments(0) マーケティング、ビジネス 

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