2021年03月29日
大國魂神社でもしだれ桜
しだれ桜の名所である六義園がコロナで閉鎖だったので、ネットで探して東郷寺を見つけたのであるが、その時に大國魂神社のことも知った。両者はこのエリアのしだれ桜でツートップ的存在のようだ。しかし大國魂神社のしだれ桜は1本だけなので、数の多い東郷寺を選んだというのが3月24日のいきさつ。
しかし東郷寺でしだれ桜を見終わったのが午前11時前。この後の約束まで時間的余裕があったので、電車で2つ先の府中駅近くにある大國魂神社にも足を伸ばすことにした。なお神社名の「魂」は「たま」と読む。
府中駅。
東郷寺の最寄りとなる多磨霊園駅とは2駅しか離れていないのにずいぶんと規模が違う。
駅の2階から続いている、いわゆるペデストリアンデッキ。
日本語で説明するなら「建物をつなぐ」「歩行者専用の」「高架で設置された通路」となる。pedestrianが歩行者の意味。都市再開発の企画書などではやたら出てくる建築用語。
駅の方向を振り返って。
駅ビルがいくつもありタワマンも建っていて、思っていたより規模の大きな街だった。
ところで府中と名の付く都市は各地にあるが、それは律令時代(飛鳥時代後期〜平安時代初期)に国府(朝廷の出先機関となる役所)が置かれた場所。だから東京も家康が江戸城を開くまではこの地域がいわば県庁所在地だった。
ペデストリアンデッキから道路に降りる。
この旧甲州街道を100メートルほど進むと、
大國魂神社前に出る。
それにしても標識に2つとも修正された痕跡がある。何を修正したのだろう? そう思ってよく読むと kaido と Ave. それに jinja と Shrine は言葉として被っていると思うけれど。
境内の案内看板。かなり規模の大きな神社だということがわかる。
さすがもと国府所在地。
ちなみに大國魂神社は東京五社に列せられている。都内にある神社は1398社で、その中のトップ5の格式ということ。パーセントにするなら上位0.36%だから雲の上の存在。他の四社とは東京大神宮、靖国神社、日枝神社、明治神宮。東京大神宮って初めて聞いた。
入り口付近。
視界が開けてスカッとした参道。
それを「気を感じる」とかいう人もいるのだろうが(^^ゞ
そういえば東郷平八郎の東郷寺には日露戦争を偲ばせるものはなかったな。
最初にあるのは随神門(ずいじんもん)。
この門の左右には彫刻というか人形っぽいものが収められていた。横から撮影しているのは、正面からだとガラスが日光を反射して写せなかったから。
この二人が随神と呼ばれる神様で、赤い服が「豊磐間戸命:とよ・いわま・と・のみこと」、黒い服が「櫛磐間戸命:くし・いわま・と・のみこと」。豊と櫛以外の名前は共通。彼らはメインに祀られている神様を警護する役割らしい。だから仏教の金剛力士像と同じようなポジション。
随神門を抜けて、次の中雀門(ちゅうじゃくもん)までの敷地にしだれ桜がある。
ーーー続く
しかし東郷寺でしだれ桜を見終わったのが午前11時前。この後の約束まで時間的余裕があったので、電車で2つ先の府中駅近くにある大國魂神社にも足を伸ばすことにした。なお神社名の「魂」は「たま」と読む。
府中駅。
東郷寺の最寄りとなる多磨霊園駅とは2駅しか離れていないのにずいぶんと規模が違う。
駅の2階から続いている、いわゆるペデストリアンデッキ。
日本語で説明するなら「建物をつなぐ」「歩行者専用の」「高架で設置された通路」となる。pedestrianが歩行者の意味。都市再開発の企画書などではやたら出てくる建築用語。
駅の方向を振り返って。
駅ビルがいくつもありタワマンも建っていて、思っていたより規模の大きな街だった。
ところで府中と名の付く都市は各地にあるが、それは律令時代(飛鳥時代後期〜平安時代初期)に国府(朝廷の出先機関となる役所)が置かれた場所。だから東京も家康が江戸城を開くまではこの地域がいわば県庁所在地だった。
ペデストリアンデッキから道路に降りる。
この旧甲州街道を100メートルほど進むと、
大國魂神社前に出る。
それにしても標識に2つとも修正された痕跡がある。何を修正したのだろう? そう思ってよく読むと kaido と Ave. それに jinja と Shrine は言葉として被っていると思うけれど。
境内の案内看板。かなり規模の大きな神社だということがわかる。
さすがもと国府所在地。
ちなみに大國魂神社は東京五社に列せられている。都内にある神社は1398社で、その中のトップ5の格式ということ。パーセントにするなら上位0.36%だから雲の上の存在。他の四社とは東京大神宮、靖国神社、日枝神社、明治神宮。東京大神宮って初めて聞いた。
入り口付近。
視界が開けてスカッとした参道。
それを「気を感じる」とかいう人もいるのだろうが(^^ゞ
そういえば東郷平八郎の東郷寺には日露戦争を偲ばせるものはなかったな。
最初にあるのは随神門(ずいじんもん)。
この門の左右には彫刻というか人形っぽいものが収められていた。横から撮影しているのは、正面からだとガラスが日光を反射して写せなかったから。
この二人が随神と呼ばれる神様で、赤い服が「豊磐間戸命:とよ・いわま・と・のみこと」、黒い服が「櫛磐間戸命:くし・いわま・と・のみこと」。豊と櫛以外の名前は共通。彼らはメインに祀られている神様を警護する役割らしい。だから仏教の金剛力士像と同じようなポジション。
随神門を抜けて、次の中雀門(ちゅうじゃくもん)までの敷地にしだれ桜がある。
ーーー続く
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