2021年04月03日
芝公園 その2 丸山古墳のサクラ
17号地から丸山古墳のある1号地へ向かう。
距離は300メートルほど。
ホテルの入り口前を通る。
パークタワー東京というのがホテル名。その上に書かれているザ・プリンスはホテルのブランド名。プリンスホテル系列には5つのブランドがあり、ザ・プリンスは上から2番目のグレード。
さてブランド名の上にあるのはロゴマークで、プリンスのPを表しているらしいが、これでPをイメージできる人はほとんどいないだろう。理解されなければ記憶もされない。ということはプリンスホテルも想起されないからマーケティング的にどうかと思う。
1号地に到着。このエリアに来るのは初めて。
芝公園に梅園があるのは何となく知っていたが、ここだったのか。
小高くなっているところにサクラが見える。
この盛り上がりが古墳らしい。
梅のシーズンはとっくに終わっているが、この紅梅だけが咲いていた。
隣にサクラも咲いていて、
白、緑、紅ついでに青空の組み合わせが美しい。
坂を上る。
サクラが5〜6本植えられている場所があった。立ち入り禁止のテープは、ここで何か事件があったのじゃなくて、コロナだから宴会するなという意味ね。
同じ場所を別角度から。思っていたのと違って、かなりショボイ場所だった。
古墳の案内。
この東京都教育委員会の表示では芝丸山古墳となっているが、港区区役所のホームページでは「芝」がつかずに単に丸山古墳である。
丸い山があれば、そこは丸山という地名になることが多い。古墳はこんもり盛り上がっているから丸山と呼ばれやすく、それが古墳だとわかると丸山古墳と名付けられる。そんな理屈で丸山古墳というのは全国各地にある。それじゃ区別がつかないから頭に地名を着けるのだろう。
ここにいても古墳感はまったくないが、測量図では一部が欠けてはいるものの、確かに前方後円墳の形をしている。
広場の背後に小さな祠(ほこら)があった。
こちらは丸山じゃなくて円山という表記。随身はこの日の午前中に大國魂神社で見た「随神」と同じく警護の意味合い。
ところでこの祠は増上寺の裏鬼門に位置すると書かれているが、その増上寺は江戸城の裏鬼門を封じるために置かれたもの。ということはこの稲荷大明神こそがラスボスか(^^ゞ
さらに上を目指す。
これは大野伴睦(ばんぼく)という昭和中期の大物政治家の句碑。
俳人でもあったらしい。
東京都公園協会のホームページによれば「昭和38年6月調理師法施行5周年にあたって、長年調理師会の名誉会長として尽力した政治家大野伴睦の労に謝するため贈呈されたものです」と書かれている。
どうしてそれが芝公園にあるのかわからないが、誰かが忖度したのだろう(^^ゞ
最上部の広場。
このモニュメントは伊能忠敬・測地遺功表という名前。
伊能忠敬が全国を測量した起点がこの近くだったらしい。
ここにはサクラは咲いていないし、下を眺めてもツマラナイし、
増上寺は中途半端に見えるだけだし、
撤収!
サクラのレベルでいえば17号地と較べてかなり劣る。ここは古墳の上で花見をすることに喜びを感じる考古学オタク以外にはお勧めできないかな。
遠くに赤く見えているのが最初に見た紅梅。でもこのあたりが梅林のメインのようだ。
たいした規模じゃないけれど、次の梅のシーズンには見に来ましょう。
17号地の方向に戻る。
葉をすっかり落としているのは、私がゴッホのイチョウと名付けている木。
生命力に溢れるイエローオータムを毎年楽しみにしている。
ハナショウブが咲いていた。
当然こういうことを企む。
結局のところサクラと東京タワーのツーショットは上手に撮れなかった。それは花数が少なかったり枝が目立ったりするから。しかし写真ではそうであっても、人間の目というか脳は「見たいと思ったように変換して見る」もの。だからブログに載せた写真のイメージよりは遙かに東京タワー花見を楽しめたのである。
来年もどこか別の場所でツーショットにトライしたい。
おしまい
距離は300メートルほど。
ホテルの入り口前を通る。
パークタワー東京というのがホテル名。その上に書かれているザ・プリンスはホテルのブランド名。プリンスホテル系列には5つのブランドがあり、ザ・プリンスは上から2番目のグレード。
さてブランド名の上にあるのはロゴマークで、プリンスのPを表しているらしいが、これでPをイメージできる人はほとんどいないだろう。理解されなければ記憶もされない。ということはプリンスホテルも想起されないからマーケティング的にどうかと思う。
1号地に到着。このエリアに来るのは初めて。
芝公園に梅園があるのは何となく知っていたが、ここだったのか。
小高くなっているところにサクラが見える。
この盛り上がりが古墳らしい。
梅のシーズンはとっくに終わっているが、この紅梅だけが咲いていた。
隣にサクラも咲いていて、
白、緑、紅ついでに青空の組み合わせが美しい。
坂を上る。
サクラが5〜6本植えられている場所があった。立ち入り禁止のテープは、ここで何か事件があったのじゃなくて、コロナだから宴会するなという意味ね。
同じ場所を別角度から。思っていたのと違って、かなりショボイ場所だった。
古墳の案内。
この東京都教育委員会の表示では芝丸山古墳となっているが、港区区役所のホームページでは「芝」がつかずに単に丸山古墳である。
丸い山があれば、そこは丸山という地名になることが多い。古墳はこんもり盛り上がっているから丸山と呼ばれやすく、それが古墳だとわかると丸山古墳と名付けられる。そんな理屈で丸山古墳というのは全国各地にある。それじゃ区別がつかないから頭に地名を着けるのだろう。
ここにいても古墳感はまったくないが、測量図では一部が欠けてはいるものの、確かに前方後円墳の形をしている。
広場の背後に小さな祠(ほこら)があった。
こちらは丸山じゃなくて円山という表記。随身はこの日の午前中に大國魂神社で見た「随神」と同じく警護の意味合い。
ところでこの祠は増上寺の裏鬼門に位置すると書かれているが、その増上寺は江戸城の裏鬼門を封じるために置かれたもの。ということはこの稲荷大明神こそがラスボスか(^^ゞ
さらに上を目指す。
これは大野伴睦(ばんぼく)という昭和中期の大物政治家の句碑。
俳人でもあったらしい。
東京都公園協会のホームページによれば「昭和38年6月調理師法施行5周年にあたって、長年調理師会の名誉会長として尽力した政治家大野伴睦の労に謝するため贈呈されたものです」と書かれている。
どうしてそれが芝公園にあるのかわからないが、誰かが忖度したのだろう(^^ゞ
最上部の広場。
このモニュメントは伊能忠敬・測地遺功表という名前。
伊能忠敬が全国を測量した起点がこの近くだったらしい。
ここにはサクラは咲いていないし、下を眺めてもツマラナイし、
増上寺は中途半端に見えるだけだし、
撤収!
サクラのレベルでいえば17号地と較べてかなり劣る。ここは古墳の上で花見をすることに喜びを感じる考古学オタク以外にはお勧めできないかな。
遠くに赤く見えているのが最初に見た紅梅。でもこのあたりが梅林のメインのようだ。
たいした規模じゃないけれど、次の梅のシーズンには見に来ましょう。
17号地の方向に戻る。
葉をすっかり落としているのは、私がゴッホのイチョウと名付けている木。
生命力に溢れるイエローオータムを毎年楽しみにしている。
ハナショウブが咲いていた。
当然こういうことを企む。
結局のところサクラと東京タワーのツーショットは上手に撮れなかった。それは花数が少なかったり枝が目立ったりするから。しかし写真ではそうであっても、人間の目というか脳は「見たいと思ったように変換して見る」もの。だからブログに載せた写真のイメージよりは遙かに東京タワー花見を楽しめたのである。
来年もどこか別の場所でツーショットにトライしたい。
おしまい
wassho at 18:39│Comments(0)│
│お花畑探訪