2021年07月25日
東京オリンピック開会式あれこれ その2
前回は開会式で一番よかったことと一番残念だったことを書いたが、
今回は一番惜しかったことについて。
さて
どのオリンピックの開会式が記憶に残っているかについては、もちろん世代によるけれど、ある年齢以上なら次の2つが断トツに票を集めるだろう。というかこの2つ以外をしっかりと覚えている人はあまりいないはず。
空飛ぶロケットマンに度肝を抜かれた
1984年のロサンゼルスオリンピック。
火がついたアーチェリーでの点火に感動した
1992年のバルセロナオリンピック。
オリンピックの開会式というのは、
1 国旗を掲揚したり大会の開始を宣言するいわば式典部分
2 選手の入場行進
3 式典部分に含まれるが、その最大の見せ場である聖火の点火
4 ショーというかエンタテイメントな部分
に分かれる。
1と2はあまりイジりようがないから、記憶に残る、言い換えれば評価される開会式とは3と4でレベルの高いサプライズを打ち出せるかにかかっている(ちょっとロジックが強引なのは承知の上)。
聖火の点火という狭い行為の範囲で、バルセロナ以上のサプライズを演出するのは相当に難しいかも知れない。しかしショーの内容・構成なら可能性は無限にあるわけで、37年も昔のロサンゼルスを未だに超えられないのはおかしなこと。
それはおそらくショーの企画において、いつの頃からか、サプライズよりもアーティスティックな表現だったり、あるいは問題提起を投げかけるような演出に重きをおきだしたからのように思える。クリエーターというのは観客のニーズに応えるよりも自分のやりたいことを優先しがち。それをディレクションするのがディレクターなりプロデューサーの仕事であるが、往々にしてそういう人もクリエーター上がりな訳で。そういう構造はマーケティングもエンタテイメントも同じである。
だから開会式について述べるならば、個々の演目のアーダコーダよりも、まず全体としてピントがずれていたという感想が先に出てしまう。
しかしそれでも今回は、その大切なサプライズに関して惜しいところもあったのである。
それは国立競技場の上空に浮かんだこの球体。もうほとんどの人は、これが多数のドローンに搭載されたライトによるものだと知っているだろう。その数なんと1842台
かなりの大きさである。
少し調べたが直径などの情報は得られなかった。
最初はこういう形というか光り方から変形していったのであるが、アナウンサーから解説があるまでドローンだとは思っていなかった。気球をプロジェクションマッピングのように照らしているのかなと。
なんたって1週間ほど前には、こんな巨大な顔アートがオリンピックの前座として登場していたわけで(^^ゞ ところでこの企画はおもしろかったのに単発で終わったのかな?
それはさておき、この演出はテレビで見る限りは立体感やサイズなどが把握できない。だから日本を含めて世界中のほとんどの人にとって、ドローンによるものだという解説がなければ、ミラーボールのようなものが光っている程度にしか認識されなかったと思う。そしてこの正体がドローンだと知らされてビックリしたはず。
何を言いたいかというと、どうして最初からもっとドローンだということを強調しなかったのかということ。グランドから1824台のドローンが次々と飛び立って、競技場の中でも球体だけではなく様々なトランスフォーメーションを披露して、最後に上空で地球の姿にでもなればよかったのに。ひょっとしたらロサンゼルスオリンピックのロケットマンと並ぶサプライズを演出できた可能性もあったと思う。(ロケットマンと違ってドローンショーは史上初じゃないから、その意味で「超えられない」けど)
実際はどうだったかというと、地球の模様になったドローンは特にフィナーレも無くフェードアウトして、その後は唐突にジョン・レノンのイマジンが流れて、連帯のようなものを訴える陳腐な演出。
そして、これら4人のドアップ映像が延々と流れる。
もちろんそれなりに有名な人達で、たとえば左下の男性はジョン・レジェンドといいグラミー賞を11回も獲り、また2019年の米ピープル誌で「世界で最もセクシーな男性」に選ばれたらしい。しかし「わっ、ジョン・レジェンドだ!東京オリンピックすげえ」と思った人は世界にどれくらいいたんだろうね。
ついでに書くと、残念ながらドローンや飛行制御のシステムは日本製ではなくアメリカのインテルのもの。そしてドローン自体はかなりコンパクトなサイズ。
やっぱり見たかったよね、
これが1842台も飛び上がって乱舞しながらマス・パフォーマンスする光景を。
ーーー続く
今回は一番惜しかったことについて。
さて
どのオリンピックの開会式が記憶に残っているかについては、もちろん世代によるけれど、ある年齢以上なら次の2つが断トツに票を集めるだろう。というかこの2つ以外をしっかりと覚えている人はあまりいないはず。
空飛ぶロケットマンに度肝を抜かれた
1984年のロサンゼルスオリンピック。
火がついたアーチェリーでの点火に感動した
1992年のバルセロナオリンピック。
オリンピックの開会式というのは、
1 国旗を掲揚したり大会の開始を宣言するいわば式典部分
2 選手の入場行進
3 式典部分に含まれるが、その最大の見せ場である聖火の点火
4 ショーというかエンタテイメントな部分
に分かれる。
1と2はあまりイジりようがないから、記憶に残る、言い換えれば評価される開会式とは3と4でレベルの高いサプライズを打ち出せるかにかかっている(ちょっとロジックが強引なのは承知の上)。
聖火の点火という狭い行為の範囲で、バルセロナ以上のサプライズを演出するのは相当に難しいかも知れない。しかしショーの内容・構成なら可能性は無限にあるわけで、37年も昔のロサンゼルスを未だに超えられないのはおかしなこと。
それはおそらくショーの企画において、いつの頃からか、サプライズよりもアーティスティックな表現だったり、あるいは問題提起を投げかけるような演出に重きをおきだしたからのように思える。クリエーターというのは観客のニーズに応えるよりも自分のやりたいことを優先しがち。それをディレクションするのがディレクターなりプロデューサーの仕事であるが、往々にしてそういう人もクリエーター上がりな訳で。そういう構造はマーケティングもエンタテイメントも同じである。
だから開会式について述べるならば、個々の演目のアーダコーダよりも、まず全体としてピントがずれていたという感想が先に出てしまう。
しかしそれでも今回は、その大切なサプライズに関して惜しいところもあったのである。
それは国立競技場の上空に浮かんだこの球体。もうほとんどの人は、これが多数のドローンに搭載されたライトによるものだと知っているだろう。その数なんと1842台
かなりの大きさである。
少し調べたが直径などの情報は得られなかった。
最初はこういう形というか光り方から変形していったのであるが、アナウンサーから解説があるまでドローンだとは思っていなかった。気球をプロジェクションマッピングのように照らしているのかなと。
なんたって1週間ほど前には、こんな巨大な顔アートがオリンピックの前座として登場していたわけで(^^ゞ ところでこの企画はおもしろかったのに単発で終わったのかな?
それはさておき、この演出はテレビで見る限りは立体感やサイズなどが把握できない。だから日本を含めて世界中のほとんどの人にとって、ドローンによるものだという解説がなければ、ミラーボールのようなものが光っている程度にしか認識されなかったと思う。そしてこの正体がドローンだと知らされてビックリしたはず。
何を言いたいかというと、どうして最初からもっとドローンだということを強調しなかったのかということ。グランドから1824台のドローンが次々と飛び立って、競技場の中でも球体だけではなく様々なトランスフォーメーションを披露して、最後に上空で地球の姿にでもなればよかったのに。ひょっとしたらロサンゼルスオリンピックのロケットマンと並ぶサプライズを演出できた可能性もあったと思う。(ロケットマンと違ってドローンショーは史上初じゃないから、その意味で「超えられない」けど)
実際はどうだったかというと、地球の模様になったドローンは特にフィナーレも無くフェードアウトして、その後は唐突にジョン・レノンのイマジンが流れて、連帯のようなものを訴える陳腐な演出。
そして、これら4人のドアップ映像が延々と流れる。
もちろんそれなりに有名な人達で、たとえば左下の男性はジョン・レジェンドといいグラミー賞を11回も獲り、また2019年の米ピープル誌で「世界で最もセクシーな男性」に選ばれたらしい。しかし「わっ、ジョン・レジェンドだ!東京オリンピックすげえ」と思った人は世界にどれくらいいたんだろうね。
ついでに書くと、残念ながらドローンや飛行制御のシステムは日本製ではなくアメリカのインテルのもの。そしてドローン自体はかなりコンパクトなサイズ。
やっぱり見たかったよね、
これが1842台も飛び上がって乱舞しながらマス・パフォーマンスする光景を。
ーーー続く
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