2021年09月20日
東京オリンピック開会式あれこれ その5
前回に予告したのは、開会式を誰が企画演出したとしても、おそらく私は満足しなかっただろうという話。それは「その2」で書いた内容と少し被る。
オリンピックの開会式は
選手の入場行進
国旗を掲揚したり大会の開始を宣言するいわば式典部分
式典部分に含まれるが、その最大の見せ場である聖火の点火
の3要素で構成されていた。そしていつの頃からか、その前座にショーというか各種の出し物が催されるようになり、やがてそれが第4の要素として定着する。
そのショーで断トツだったのは「その2」にも記した1984年のロサンゼルスオリンピックでの空飛ぶロケットマンだと思う。
2012年のロンドンオリンピックでは開会式に出席するためエリザベス女王が、エスコート役のジェームス・ボンドを伴ってヘリからパラシュートで飛び降りた(もちろん代役のスタントマン)。ただアイデアとしてはシビれたが、スタジアムに着地せずリアルさに欠けたのが残念。
さて過去の開会式内容をすべて調べるのはたいへんなので、あくまで記憶に頼った話になるが、1984年のロサンゼルスオリンピックの頃、ショーというのは前述の開会式3要素を盛り上げるための「余興」だったと思う。だから別にロケットマンが空を飛ぶことに意味などない。観客をビックリさせてやろう、そしてその勢いを開会式につなげようという目的だったはず。
しかし、やがてショーは余興から主要プログラムに昇格し、それに割かれる時間も長くなる。ひょっとしたらそれは放映権を握るテレビ局の意向が働いたのかも知れない(放送時間が長くなればCMもたくさん流せる)。
そしてショーの時間が長くなれば一発芸だけでは済まなくなり、ショー単独での意味合いやストーリーを持った構成にならざるを得ない。そして、そういうものはだんだんと複雑に難解になっていくのが世の常というもの。
ちなみに今回の式典コンセプトは日本での開催にもかかわらず、なぜか英語で表現され(和訳は提供されていない)、
オリ・パラ:開会・閉会の4式典の共通コンセプトが Moving Foward。
オリンピック開会式の単独コンセプトが United by Emotion。
となっている。意訳すれば「前向きに生きる」と「感動でつながる」というような意味。
そしてその United by Emotion には次のような解説が付いている。
【United by Emotion】
世界中の人々がコロナウイルスという脅威の中で日々を過ごし、これまでの大会と
は明らかに違う環境で迎える東京2020大会。私たちは年齢、国籍、立場など様々な
違いを持つ上に、今は同じ場所にいることも難しい状況にあります。
だからこそ、アスリートによってこれから繰り広げられる数々の挑戦を通じて、喜び
や悔しさを共に感じる瞬間を届けていきたい。そう、どんなに離れていても、言葉や
文化が違っても、スポーツには世界中の人々を感動でつなぐ力があると信じています。
それは私たち人類が普遍的に共有している、かけがえのない財産です。
あらためて「スポーツの役割」「オリンピックの価値」に気づき、これまでの日々を
共に進んできた世界中の人々への感謝と称賛や、未来への希望を感じることができる
時間をセレモニーでは目指します。人類は多種多様な違いを活かしながら、共感を
通じて連帯し、助け合って生きていくことができる。そう感じてもらえる体験になる
ことを願って。
ーーーだとさ。
そして7月23日に見せられたのが、
これらが Moving Foward と United by Emotion を表現していましたか?と問えば、
悪意が過ぎるかな(^^ゞ
さて言いたいことはショーの演目がコンセプトを表現するのに成功していたかどうかではない。とりあえず今回の開会式は忘れて、コンセプトに基づいた完璧なショーが実施されたと仮定して欲しい。
その上でである。
オリンピックという339種目ものスポーツ世界一を決める、人類が造り出せる最も素晴らしいイベントを前にして、Moving Foward だか United by Emotion か知らないが、そんな訳のわからない「意識高い系」なテーマに基づいた、小難しい出し物を長々と見たいかということ。
私はまったく見たいとは思わない。
そんなものよりも例えばの話、ロケットマンでも飛んできて、何ならブルーインパルスがスタジアム上空で旋回するだけでもいいけれど、ウォーと叫んで盛り上がりながら、自国での予選を勝ち上がりはるばる日本までやってきた選手達が、目の前で入場行進を果たす晴れ姿に声援を送りたい。それが正しい開会式の楽しみ方というものである。
開会式のショー演目で、これに勝っているものあった?
つまり入場行進という最強のコンテンツが控えているのだから、開会式のショーは意識高い系なアーティストごっこはやめて、会場を盛り上げる余興に徹するべし・戻るべしというのが私の考え。つまり開会式とは?というソモソモ論からの発想。だから現状の価値観で制作されたショーなら、内容にかかわらず満足しないと前回に書いたのである。
なお今回のショーは入場行進の前後で1時間ほど費やされたと思うが、余興なら15分もあれば充分ではないか。回を重ねる毎に参加選手は増えて入場行進に時間が掛かるし、お偉いさんの話は長いし(^^ゞ
もちろん時間が短くなれば必要な費用も少なくなる。今回のオリ・パラ:開会・閉会の4式典には165億円が投じられたとされる。あの程度の出し物で、どうしてそんなに掛かるのか不思議。まあアベノマスクの260億円よりは安かったが(/o\)
こんな意見が通るとはまったく思っていないけれど、
開会式で原点に戻って一番考え直すべきことはーーーという話でした。
ーーーコロッと話題を変え「東京オリンピック開会式あれこれ」はまだ続く(^^ゞ
オリンピックの開会式は
選手の入場行進
国旗を掲揚したり大会の開始を宣言するいわば式典部分
式典部分に含まれるが、その最大の見せ場である聖火の点火
の3要素で構成されていた。そしていつの頃からか、その前座にショーというか各種の出し物が催されるようになり、やがてそれが第4の要素として定着する。
そのショーで断トツだったのは「その2」にも記した1984年のロサンゼルスオリンピックでの空飛ぶロケットマンだと思う。
2012年のロンドンオリンピックでは開会式に出席するためエリザベス女王が、エスコート役のジェームス・ボンドを伴ってヘリからパラシュートで飛び降りた(もちろん代役のスタントマン)。ただアイデアとしてはシビれたが、スタジアムに着地せずリアルさに欠けたのが残念。
さて過去の開会式内容をすべて調べるのはたいへんなので、あくまで記憶に頼った話になるが、1984年のロサンゼルスオリンピックの頃、ショーというのは前述の開会式3要素を盛り上げるための「余興」だったと思う。だから別にロケットマンが空を飛ぶことに意味などない。観客をビックリさせてやろう、そしてその勢いを開会式につなげようという目的だったはず。
しかし、やがてショーは余興から主要プログラムに昇格し、それに割かれる時間も長くなる。ひょっとしたらそれは放映権を握るテレビ局の意向が働いたのかも知れない(放送時間が長くなればCMもたくさん流せる)。
そしてショーの時間が長くなれば一発芸だけでは済まなくなり、ショー単独での意味合いやストーリーを持った構成にならざるを得ない。そして、そういうものはだんだんと複雑に難解になっていくのが世の常というもの。
ちなみに今回の式典コンセプトは日本での開催にもかかわらず、なぜか英語で表現され(和訳は提供されていない)、
オリ・パラ:開会・閉会の4式典の共通コンセプトが Moving Foward。
オリンピック開会式の単独コンセプトが United by Emotion。
となっている。意訳すれば「前向きに生きる」と「感動でつながる」というような意味。
そしてその United by Emotion には次のような解説が付いている。
【United by Emotion】
世界中の人々がコロナウイルスという脅威の中で日々を過ごし、これまでの大会と
は明らかに違う環境で迎える東京2020大会。私たちは年齢、国籍、立場など様々な
違いを持つ上に、今は同じ場所にいることも難しい状況にあります。
だからこそ、アスリートによってこれから繰り広げられる数々の挑戦を通じて、喜び
や悔しさを共に感じる瞬間を届けていきたい。そう、どんなに離れていても、言葉や
文化が違っても、スポーツには世界中の人々を感動でつなぐ力があると信じています。
それは私たち人類が普遍的に共有している、かけがえのない財産です。
あらためて「スポーツの役割」「オリンピックの価値」に気づき、これまでの日々を
共に進んできた世界中の人々への感謝と称賛や、未来への希望を感じることができる
時間をセレモニーでは目指します。人類は多種多様な違いを活かしながら、共感を
通じて連帯し、助け合って生きていくことができる。そう感じてもらえる体験になる
ことを願って。
ーーーだとさ。
そして7月23日に見せられたのが、
これらが Moving Foward と United by Emotion を表現していましたか?と問えば、
悪意が過ぎるかな(^^ゞ
さて言いたいことはショーの演目がコンセプトを表現するのに成功していたかどうかではない。とりあえず今回の開会式は忘れて、コンセプトに基づいた完璧なショーが実施されたと仮定して欲しい。
その上でである。
オリンピックという339種目ものスポーツ世界一を決める、人類が造り出せる最も素晴らしいイベントを前にして、Moving Foward だか United by Emotion か知らないが、そんな訳のわからない「意識高い系」なテーマに基づいた、小難しい出し物を長々と見たいかということ。
私はまったく見たいとは思わない。
そんなものよりも例えばの話、ロケットマンでも飛んできて、何ならブルーインパルスがスタジアム上空で旋回するだけでもいいけれど、ウォーと叫んで盛り上がりながら、自国での予選を勝ち上がりはるばる日本までやってきた選手達が、目の前で入場行進を果たす晴れ姿に声援を送りたい。それが正しい開会式の楽しみ方というものである。
開会式のショー演目で、これに勝っているものあった?
つまり入場行進という最強のコンテンツが控えているのだから、開会式のショーは意識高い系なアーティストごっこはやめて、会場を盛り上げる余興に徹するべし・戻るべしというのが私の考え。つまり開会式とは?というソモソモ論からの発想。だから現状の価値観で制作されたショーなら、内容にかかわらず満足しないと前回に書いたのである。
なお今回のショーは入場行進の前後で1時間ほど費やされたと思うが、余興なら15分もあれば充分ではないか。回を重ねる毎に参加選手は増えて入場行進に時間が掛かるし、お偉いさんの話は長いし(^^ゞ
もちろん時間が短くなれば必要な費用も少なくなる。今回のオリ・パラ:開会・閉会の4式典には165億円が投じられたとされる。あの程度の出し物で、どうしてそんなに掛かるのか不思議。まあアベノマスクの260億円よりは安かったが(/o\)
こんな意見が通るとはまったく思っていないけれど、
開会式で原点に戻って一番考え直すべきことはーーーという話でした。
ーーーコロッと話題を変え「東京オリンピック開会式あれこれ」はまだ続く(^^ゞ
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