2021年09月24日
東京オリンピック開会式あれこれ その6
開会式は既に2ヶ月も前のことになってしまったが、
もう1つくらい書いても構わないかなと。
そのテーマはファッションである。
さて日本選手団の入場シーンを記憶している方も多いだろう。これを見て、いつも代わり映えのしないユニフォームだなと思ったのが今回のことを書くきっかけ。
女性用はパンツとキュロットスカートのバリエーションがある。男性用パンツもタックありとなしを選べると書いてある記事もあった。ポケットチーフは縫い付けてあるのかな? ところでベルトが白なのはセンス的にどうよ? 私なら恥ずかしいな。
こちらは1964年(昭和39年)の前回東京オリンピックの写真。
帽子を被っているのと女性はプリーツスカートという違いはあるものの、基本的には上下の配色が逆さまなだけで似たようなファッションである。
ところで、この頃はまだ軍隊調の入場行進だがレディーファーストだったんだね。
過去の大会を遡って調べてみると、
写真上の2016年リオデジャネイロと、下の2012年ロンドンはほとんど同じ。
2008年の北京では日の丸カラーから脱却している。
日本選手のユニフォームの変遷を書くつもりではなかったのに、
乗りかかった船であれこれ調べてしまった(^^ゞ
1968年メキシコ大会 男女で上下の配色が逆。
1972年ミュンヘン大会 ミニスカート!(^_^)
1976年モントリオール大会
1980年のモスクワ大会はボイコット。
1984年ロサンゼルス大会
1988年ソウル大会 なぜか集合写真が見当たらず。これは旗手の小谷実可子。
1964年の東京から1988年のソウルまで、基本的に日の丸をモチーフとした赤白のブレザー&ボトムというワンパターンを続けてきた日本のユニフォーム。しかし1992年のバルセロナからはようやくデザインに目覚めたようである。
1992年バルセロナ大会
単純に日の丸カラーで上下を分けるのではなく、白いスーツに部分的に赤で差し色を施すという手法はお見事。また背中に日の丸そのものを持ってきたのもグッドジョブ!
デザイナーは森英恵。ミセスファッション分野の人でクリエイティブなイメージはあまりなかったし、この時点で既に60歳代後半だったが、日本のファッションデザインを切り開いてきた実力は伊達じゃなかった。
1996年アトランタ大会
デザイナーは芦田淳。大御所ではあるけれど超コンサバ畑の人。どう考えたって人選を間違えている。案の定、またありきたりなブレザースタイルに戻ってしまった。赤とグレーの組み合わせは悪くないはずなのに、なぜか赤を着ていても地味な印象。
2000年シドニー大会
オリンピック関係者の間では「シドニーの悲劇」と呼ばれているらしい(^^ゞ 紺スーツの上にレインボウなマントを羽織っての登場。
今もそうだがオリンピックのユニフォームは開会前に披露されるのが通例。しかしこの時のJOC(日本オリンピック委員会)は、このデザインに絶対の自信を持ち、かつ当日のインパクトを狙って事前の発表をしなかった。
それで開会式が始まるや非難の嵐!抗議の電話が鳴り止まず! (まだネットは今ほど普及していなかった) というわけでこれを誰がデザインしたのかは未だに秘匿されている(^^ゞ
ちなみにマントの下が白くてもっとカジュアルな服装だったら、そんなに悪くなかったのでは?という気もする。
2004年アテネ大会
日本のオリンピック史上で最高にキュートなユニフォーム。プリントによる柄物というのもユニフォームとしては新鮮。デザイナーは高田賢三。
ただしキュートなデザインは女性選手だけ(^^ゞ もっとも白いユニフォーム&白地に柄物のユニフォームでチーム全体としてのバランスを取ったのかも知れない。すべて柄物じゃクドかっただろう。
このアテネの次が先に紹介した2008年の北京。そしてロンドン、リオデジャネイロ、今回の東京オリンピックへと続く。というわけでユニフォームに著名デザイナーを起用したのは、2004年の高田賢三が今のところ最後になっている。
なお1964年の東京大会以前も調べてみたのだが、写真が白黒なのでユニフォームが日の丸カラーなのか確認できず。白黒だと赤も紺も同じように写る。
1952年 ヘルシンキ大会 第二次世界大戦後に日本が参加したのはこの大会から。
1956年 メルボルン大会
1960年 ローマ大会
それではと、白黒写真をAIによってカラー化するというプログラムをいくつか試してみた。どれもブレザーを紺に着色するが、旗手の持つ日の丸が赤くなっていないので信憑性は今ひとつ。
最後におまけとして、日本が初めてオリンピックに参加した1912年(明治45年/大正元年)ストックホルム大会の入場行進。参加した選手は2名で、旗手ともう1名は日の丸に隠れているが、おそらくは競技本番用のスポーツウエアを着用している。また後ろの役員はモーニングコートにシルクハットの正装。時代を感じるね。
戦後初参加の1952年メルボルンから今回の2020年東京まで、17大会ののユニフォームを並べてみて、とりあえずわかったのは、
上下色違いのブレザー&ボトムが13回。
13回のうち日の丸カラーでの配色が9回(ただし残り4大会のうち2つは色が不明)。
9回のうち上着が赤が7回、上着が白が1回。
メキシコ大会のみ男性の上着が赤で、女性が白という配色。
1996年アトランタまでは帽子(男性は主にハット)が組み合わされていた。
2004年のアトランタでのみ帽子が復活するが、役員は無帽、女子選手はソフトハット、
男子選手はキャップなので、1996年までのフォーマル感を演出するための帽子とは
意味合いが異なる。
2000年シドニーまで男性の選手&役員はネクタイをしていた。その後はノーネクタイ
となる。前回2016年リオデジャネイロで復活したが、今回の東京では再び
ノーネクタイに戻った。
1996年のアトランタまで女子選手のユニフォームにはショルダーバッグが組み合わ
されていた(ただし1988年のソウルは未確認)。
服とは関係ないが、1970年代まで男性選手と女性選手の身長差がとても大きい
ように感じる。また(年配の)役員達はさらに背が低い。
ーーーあたりかな。もっと大きな写真、様々な角度から撮った写真があればもう少し詳しく観察できるのだが。
さて結論としては、日本のユニフォームはいくつかの例外を除き「スタイルはスポーティーでフォーマル感もあるから、いつものブレザースタイルでエエヤロ」「色は日の丸カラーの赤と白を使うのが慣例やからそれでエエヤロ、色的にもスタジアムで目立つし」と無難な選択を続けてきたことがわかる。オリンピックの場において、ファッションでも日本をアピールしようとの気概はないに等しい。まあ「シドニーの悲劇」がトラウマになっているのかも知れないが(^^ゞ
しかし、もう少しはがんばってもらいたい、そのためにはというのが次回で述べる話。
途中で書いたように、日本のユニフォームの変遷とはほとんど関係ないが。
ーーー続く
もう1つくらい書いても構わないかなと。
そのテーマはファッションである。
さて日本選手団の入場シーンを記憶している方も多いだろう。これを見て、いつも代わり映えのしないユニフォームだなと思ったのが今回のことを書くきっかけ。
女性用はパンツとキュロットスカートのバリエーションがある。男性用パンツもタックありとなしを選べると書いてある記事もあった。ポケットチーフは縫い付けてあるのかな? ところでベルトが白なのはセンス的にどうよ? 私なら恥ずかしいな。
こちらは1964年(昭和39年)の前回東京オリンピックの写真。
帽子を被っているのと女性はプリーツスカートという違いはあるものの、基本的には上下の配色が逆さまなだけで似たようなファッションである。
ところで、この頃はまだ軍隊調の入場行進だがレディーファーストだったんだね。
過去の大会を遡って調べてみると、
写真上の2016年リオデジャネイロと、下の2012年ロンドンはほとんど同じ。
2008年の北京では日の丸カラーから脱却している。
日本選手のユニフォームの変遷を書くつもりではなかったのに、
乗りかかった船であれこれ調べてしまった(^^ゞ
1968年メキシコ大会 男女で上下の配色が逆。
1972年ミュンヘン大会 ミニスカート!(^_^)
1976年モントリオール大会
1980年のモスクワ大会はボイコット。
1984年ロサンゼルス大会
1988年ソウル大会 なぜか集合写真が見当たらず。これは旗手の小谷実可子。
1964年の東京から1988年のソウルまで、基本的に日の丸をモチーフとした赤白のブレザー&ボトムというワンパターンを続けてきた日本のユニフォーム。しかし1992年のバルセロナからはようやくデザインに目覚めたようである。
1992年バルセロナ大会
単純に日の丸カラーで上下を分けるのではなく、白いスーツに部分的に赤で差し色を施すという手法はお見事。また背中に日の丸そのものを持ってきたのもグッドジョブ!
デザイナーは森英恵。ミセスファッション分野の人でクリエイティブなイメージはあまりなかったし、この時点で既に60歳代後半だったが、日本のファッションデザインを切り開いてきた実力は伊達じゃなかった。
1996年アトランタ大会
デザイナーは芦田淳。大御所ではあるけれど超コンサバ畑の人。どう考えたって人選を間違えている。案の定、またありきたりなブレザースタイルに戻ってしまった。赤とグレーの組み合わせは悪くないはずなのに、なぜか赤を着ていても地味な印象。
2000年シドニー大会
オリンピック関係者の間では「シドニーの悲劇」と呼ばれているらしい(^^ゞ 紺スーツの上にレインボウなマントを羽織っての登場。
今もそうだがオリンピックのユニフォームは開会前に披露されるのが通例。しかしこの時のJOC(日本オリンピック委員会)は、このデザインに絶対の自信を持ち、かつ当日のインパクトを狙って事前の発表をしなかった。
それで開会式が始まるや非難の嵐!抗議の電話が鳴り止まず! (まだネットは今ほど普及していなかった) というわけでこれを誰がデザインしたのかは未だに秘匿されている(^^ゞ
ちなみにマントの下が白くてもっとカジュアルな服装だったら、そんなに悪くなかったのでは?という気もする。
2004年アテネ大会
日本のオリンピック史上で最高にキュートなユニフォーム。プリントによる柄物というのもユニフォームとしては新鮮。デザイナーは高田賢三。
ただしキュートなデザインは女性選手だけ(^^ゞ もっとも白いユニフォーム&白地に柄物のユニフォームでチーム全体としてのバランスを取ったのかも知れない。すべて柄物じゃクドかっただろう。
このアテネの次が先に紹介した2008年の北京。そしてロンドン、リオデジャネイロ、今回の東京オリンピックへと続く。というわけでユニフォームに著名デザイナーを起用したのは、2004年の高田賢三が今のところ最後になっている。
なお1964年の東京大会以前も調べてみたのだが、写真が白黒なのでユニフォームが日の丸カラーなのか確認できず。白黒だと赤も紺も同じように写る。
1952年 ヘルシンキ大会 第二次世界大戦後に日本が参加したのはこの大会から。
1956年 メルボルン大会
1960年 ローマ大会
それではと、白黒写真をAIによってカラー化するというプログラムをいくつか試してみた。どれもブレザーを紺に着色するが、旗手の持つ日の丸が赤くなっていないので信憑性は今ひとつ。
最後におまけとして、日本が初めてオリンピックに参加した1912年(明治45年/大正元年)ストックホルム大会の入場行進。参加した選手は2名で、旗手ともう1名は日の丸に隠れているが、おそらくは競技本番用のスポーツウエアを着用している。また後ろの役員はモーニングコートにシルクハットの正装。時代を感じるね。
戦後初参加の1952年メルボルンから今回の2020年東京まで、17大会ののユニフォームを並べてみて、とりあえずわかったのは、
上下色違いのブレザー&ボトムが13回。
13回のうち日の丸カラーでの配色が9回(ただし残り4大会のうち2つは色が不明)。
9回のうち上着が赤が7回、上着が白が1回。
メキシコ大会のみ男性の上着が赤で、女性が白という配色。
1996年アトランタまでは帽子(男性は主にハット)が組み合わされていた。
2004年のアトランタでのみ帽子が復活するが、役員は無帽、女子選手はソフトハット、
男子選手はキャップなので、1996年までのフォーマル感を演出するための帽子とは
意味合いが異なる。
2000年シドニーまで男性の選手&役員はネクタイをしていた。その後はノーネクタイ
となる。前回2016年リオデジャネイロで復活したが、今回の東京では再び
ノーネクタイに戻った。
1996年のアトランタまで女子選手のユニフォームにはショルダーバッグが組み合わ
されていた(ただし1988年のソウルは未確認)。
服とは関係ないが、1970年代まで男性選手と女性選手の身長差がとても大きい
ように感じる。また(年配の)役員達はさらに背が低い。
ーーーあたりかな。もっと大きな写真、様々な角度から撮った写真があればもう少し詳しく観察できるのだが。
さて結論としては、日本のユニフォームはいくつかの例外を除き「スタイルはスポーティーでフォーマル感もあるから、いつものブレザースタイルでエエヤロ」「色は日の丸カラーの赤と白を使うのが慣例やからそれでエエヤロ、色的にもスタジアムで目立つし」と無難な選択を続けてきたことがわかる。オリンピックの場において、ファッションでも日本をアピールしようとの気概はないに等しい。まあ「シドニーの悲劇」がトラウマになっているのかも知れないが(^^ゞ
しかし、もう少しはがんばってもらいたい、そのためにはというのが次回で述べる話。
途中で書いたように、日本のユニフォームの変遷とはほとんど関係ないが。
ーーー続く
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