2021年12月06日

大田黒公園の紅葉 その2

公園の一番奥は池になって、そこに東屋(あずまや)が突き出している。
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数字が潰れていて読めないが、左上の入口から入ってイチョウ並木を抜け、「流れ」と呼ばれる水路沿いを歩いて、右下が現在地。
案内図


池の向かい側にある芝生広場。
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この木は既に痛んでいる葉も多いのに、なぜかとてもきれいに見えた。
巨木だと細かなところに目がいかないせいかも。
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芝生広場の片隅にあるピンクの建物は記念館と呼ばれている。色形的に洋館風だが屋根には日本瓦が貼られているから和洋折衷。1933年(昭和8年)に建てられた。
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それで何を記念しているかというと、この太田黒公園は音楽評論家の大田黒元雄の屋敷跡地を公園にしたもの。この記念館は母屋に対する「離れ」で彼の仕事場だった。

音楽評論家の大田黒?誰それ?
聞いたこともない名前だったので調べてみると、

  大田黒元雄
大田黒元雄

    1893年(明治26年)生まれで1979年(昭和54年)に86歳で没。
    1912年(明治45年)から2年間ロンドンに留学。
    1915年(大正4年)頃から音楽評論家となる。計算すると22歳から。
    音楽ジャンルはクラシックで「ドビュッシーを日本に初めて紹介した」と
    いわれている。さらに音楽評論を日本で最初に確立したと人物との評もある。
    またピアニストでもあった。
    1946年(昭和21年)から1964年(昭和39年)までNHKのラジオ番組に出演。
    生涯の著書数は76冊、訳書は32冊。

ーーーらしい。

ドビュッシーは1918年没だから、大田黒は当時の最先端なクラシック音楽に触れていたことになる(表現が矛盾するが)。またプロコフィエフ(大田黒より2歳年上)が1918年(大正7年)に来日したときは彼の自宅に立ち寄ったりもしている。プロコフィエフなんてその頃は超前衛的だったと思う。

けっこうスゴいじゃない。ドビュッシーは好きとしてはお礼を言わねば。それにしても太田黒公園は面積約0.9ヘクタール、坪に直せば2700坪もの広さがある。加えて大田区山王(高級住宅地)にも邸宅があり、沼津や小田原には別荘を持っていた。当時の音楽評論家はそんなに儲かったのか?

実は大田黒重五郎という日本の水力発電の先駆者で、東芝を築いた1人でもある彼の父親が大富豪。大田黒元雄はその財力の恩恵を十二分に受けて、趣味を仕事にするような人生を送れたようである。イイナア〜イイナア(^^ゞ


記念館の中に入れるようになっていたが靴を脱ぐ必要があったのでパス。彼が愛用し、またプロコフィエフも弾いたスタインウェイのグランドピアノが展示されているとのこと。それを1917年(大正6年)に購入したなんて、さすがは大田黒のお坊ちゃま。
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こちらの建物は茶室で休憩所も設けられている。
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また紅葉を眺めながらブラブラ。
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鮮やかな緑と紅葉。
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竹と紅葉。
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モフモフしている紅葉。
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ちょっと紅葉に飽きてきた(^^ゞ
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最後はイエローオータムで。
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滞在は45分ほど。
圧倒されるような紅葉ではないものの、コンパクトによくまとまっていて、ちょっとした別世界気分を味わえる。1つ前の投稿に荻窪駅や駅前商店街の写真を載せたが、そこから徒歩7〜8分しか離れていないとは思えないほど。住宅地にあるから高い建物が見下ろしてもいないのもいい。公園と名前は付いているが庭園のカテゴリーに入る場所。

自宅から1時間ほどだから、気が向いたら違う季節にも来てみようと思う。


おしまい

wassho at 20:40│Comments(0) お花畑探訪 

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