2022年01月05日
元旦は6/7福神めぐり その2
覚林寺を出て桜田通りから目黒通りに戻る。
昨年に引き続いて、東京の元旦は雲ひとつない快晴。ただし昨年の最高気温が10.5度あったのに対して今年は7.8度とちょっと寒い。
シェラトン都ホテル東京の前を通る。
都ホテルからラディソン都ホテルになり、またいつのまにかシェラトン都ホテルに名前が変わった。本店である京都はウェスティン都ホテル京都だからややこしい。
白金に向かう目黒通りには日吉坂の名前がついている。
ネットで調べると能役者の日吉喜兵衛が近くに住んでいたからとの情報が多数ヒットする。しかしその日吉喜兵衛を調べてもまったく何も出てこない。いつの時代の人かも不明。その程度の存在なのにどうして名前が坂に付けられたのだろう。
坂を登り切ったあたりに瑞聖寺(ずいしょうじ)の石柱が表れる。
この石柱は正式には寺評というらしい。神社なら社標。
これで寺に行く道で合ってるの?
と思ってしまうコンクリート打ちっぱなしの建物が表れる。
でもその建物のところまで来ると右手側にある本堂が目に飛び込んで来た。
けっこうな大きさで、参道が殺風景なだけにちょっと意表を突かれる。
上の写真にある正面の階段はなぜか通行止めで、
左側に回って本堂に上がる。
瑞聖寺では本尊の釈迦如来の隣に布袋さんが安置されていた。
お賽銭が1回で済んで助かる(^^ゞ
本堂の隣には和風モダンな感じの建物が。何となくテイストが隈研吾ぽい。参道にあったコンクリート打ちっぱなしといい、この寺のお坊さんはデザインにこだわりのある人なのかも知れない。
写真中央にあるのはしだれの梅だと思う。
咲いているところも見てみたいような。
水盤には薄く氷が残っていた。
元旦の東京は最低気温がマイナス1.3度。
水盤越しに本堂。
鐘もあったがつけるようにはなっていなかった。
瑞聖寺(ずいしょうじ)で本日2つめの七福神をゲットして再び目黒通りに。
このレトロな建物は港区立郷土歴史館。竣工は1938年(昭和13年)。
ここに写っているより奥まで建物は広がっている。
元は国立公衆衛生院で、この建物は何とロックフェラー財団から日本政府への寄贈されたもの。戦前のその頃はアメリカと仲が良かったのね(^^ゞ 2002年に国立公衆衛生院が他の組織と統合されて国立保健医療科学院となり埼玉県和光市に移転した。港区の博物館としてオープンしたのは2018年。
それにしても国立公衆衛生院や国立保健医療科学院なんて、このコロナ禍のご時世なのに名前すら聞いたことがない。役に立つこと何かしているのかな?
郷土歴史館のすぐ隣が白金台の駅。
ところで25年ほど前に、このエリアに住むセレブなマダム(本当にいたかは別として)を「シロガネーゼ」とマスコミが呼んだせいで、東京の人でも白金をシロガネと思っている人が多い。地名としての白金はシロカネである。
シロガネーゼは明らかにイタリアのミラノに住んでいるミラネーゼをもじっているが、なぜシロガネになったのかは不明。別にシロカネーゼでも特に語呂が悪くはないのに。
白金の高級イメージに合わせたのか、ドンキの看板もケバケバしさなし。
これがプラチナ通り。この季節はイチョウが寒々しいが。
さて目黒通りをさらに進むと本日3つ目の目的地である妙円寺のゲートが表れる。
変わった坂道を降りると、
いきなり境内に入る。
かなりこぢんまりとしている。
七福神は右側。
本堂のほうは扉がわずかに開いているだけで、お参りする雰囲気じゃなかった。
こちらに福禄寿(ふくろくじゅ)と寿老人(じゅろうじん)が祀られているのだけれど、
なんとお賽銭を上げるだけでも靴を脱がなければならない。
なんでこんな面倒なことをするかな。
お堂の内部は写真撮影禁止で、中にお寺の人もいたので外側上部だけを。
ーーー続く
昨年に引き続いて、東京の元旦は雲ひとつない快晴。ただし昨年の最高気温が10.5度あったのに対して今年は7.8度とちょっと寒い。
シェラトン都ホテル東京の前を通る。
都ホテルからラディソン都ホテルになり、またいつのまにかシェラトン都ホテルに名前が変わった。本店である京都はウェスティン都ホテル京都だからややこしい。
白金に向かう目黒通りには日吉坂の名前がついている。
ネットで調べると能役者の日吉喜兵衛が近くに住んでいたからとの情報が多数ヒットする。しかしその日吉喜兵衛を調べてもまったく何も出てこない。いつの時代の人かも不明。その程度の存在なのにどうして名前が坂に付けられたのだろう。
坂を登り切ったあたりに瑞聖寺(ずいしょうじ)の石柱が表れる。
この石柱は正式には寺評というらしい。神社なら社標。
これで寺に行く道で合ってるの?
と思ってしまうコンクリート打ちっぱなしの建物が表れる。
でもその建物のところまで来ると右手側にある本堂が目に飛び込んで来た。
けっこうな大きさで、参道が殺風景なだけにちょっと意表を突かれる。
上の写真にある正面の階段はなぜか通行止めで、
左側に回って本堂に上がる。
瑞聖寺では本尊の釈迦如来の隣に布袋さんが安置されていた。
お賽銭が1回で済んで助かる(^^ゞ
本堂の隣には和風モダンな感じの建物が。何となくテイストが隈研吾ぽい。参道にあったコンクリート打ちっぱなしといい、この寺のお坊さんはデザインにこだわりのある人なのかも知れない。
写真中央にあるのはしだれの梅だと思う。
咲いているところも見てみたいような。
水盤には薄く氷が残っていた。
元旦の東京は最低気温がマイナス1.3度。
水盤越しに本堂。
鐘もあったがつけるようにはなっていなかった。
瑞聖寺(ずいしょうじ)で本日2つめの七福神をゲットして再び目黒通りに。
このレトロな建物は港区立郷土歴史館。竣工は1938年(昭和13年)。
ここに写っているより奥まで建物は広がっている。
元は国立公衆衛生院で、この建物は何とロックフェラー財団から日本政府への寄贈されたもの。戦前のその頃はアメリカと仲が良かったのね(^^ゞ 2002年に国立公衆衛生院が他の組織と統合されて国立保健医療科学院となり埼玉県和光市に移転した。港区の博物館としてオープンしたのは2018年。
それにしても国立公衆衛生院や国立保健医療科学院なんて、このコロナ禍のご時世なのに名前すら聞いたことがない。役に立つこと何かしているのかな?
郷土歴史館のすぐ隣が白金台の駅。
ところで25年ほど前に、このエリアに住むセレブなマダム(本当にいたかは別として)を「シロガネーゼ」とマスコミが呼んだせいで、東京の人でも白金をシロガネと思っている人が多い。地名としての白金はシロカネである。
シロガネーゼは明らかにイタリアのミラノに住んでいるミラネーゼをもじっているが、なぜシロガネになったのかは不明。別にシロカネーゼでも特に語呂が悪くはないのに。
白金の高級イメージに合わせたのか、ドンキの看板もケバケバしさなし。
これがプラチナ通り。この季節はイチョウが寒々しいが。
さて目黒通りをさらに進むと本日3つ目の目的地である妙円寺のゲートが表れる。
変わった坂道を降りると、
いきなり境内に入る。
かなりこぢんまりとしている。
七福神は右側。
本堂のほうは扉がわずかに開いているだけで、お参りする雰囲気じゃなかった。
こちらに福禄寿(ふくろくじゅ)と寿老人(じゅろうじん)が祀られているのだけれど、
なんとお賽銭を上げるだけでも靴を脱がなければならない。
なんでこんな面倒なことをするかな。
お堂の内部は写真撮影禁止で、中にお寺の人もいたので外側上部だけを。
ーーー続く
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