2022年01月13日

篁牛人展 〜昭和水墨画壇の鬼才〜 その4

第3期は1965年(64歳)から1974年(73歳)まで。だから“その2”で紹介した「訶梨諦母 」「西王母と小鳥 」「蛟龍 」などの作品も時期的にはこちらに含まれる。また前回に書いた「不動明王」「観世音」などの例外を除くとすべて水墨画である。

タイトルは「パトロンの出現から旺盛な制作へ」となっている。あまり絵が売れず、自らつてを頼って売り歩いていた牛人。しかし1965年「昭和40年)にその訪問販売先のひとつであった、開業医の森田和夫なる人物から絵画制作の援助を受けることになる。それによってようやく水墨画を再開することができた。彼の水墨画は、独特の渇筆(かっぴつ)画法で紙の表面がささくれ立つまで何度も筆を押しつけるから、丈夫=高価な和紙が必要なのだ。


「竹林虎 」 1967年頃

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前期渇筆画の時代に描かれた「天台山豊干禅師」に登場するトラよりさらにデフォルメが進んでいる。縞模様をなくして尻尾を消したらほとんどクマかな(^^ゞ 第2期は少し物足りなかったけれど、第3期になって「あの牛人」が帰ってきたという印象。


「老子出関の図」 1969年

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圧倒されたのがこの作品。牛はともかく鯉になぜかコブラまでいて牛人ワールド炸裂。そのユーモラスに描かれた姿とともに、彼の特徴である渇筆画法による濃い墨の世界を満喫できた。ちなみに横幅約3.8メートルの大作である。

ところで老子出関とは老師が関所を出た(通り抜けた)というような意味。でも老師はどこにも描かれていない。実はこれ四曲一双の屏風絵。つまり4つ折りの屏風が2つで1セット。この牛が描かれているのは左隻(させき:左側部分)。それで右隻はというと長らく行方不明だったが、昨年にこの展覧会がきっかけで所在が判明したとのこと。

その経緯は

  1969年に制作される。
  1976年に富山県が左隻だけを購入。(どうして左隻だけ?)

  牛人の甥に当たる民谷静(たみや・やすし)氏が1978〜79年頃に、
  牛人宅を訪れ右隻を購入。左隻の存在は知らなかったという。
  牛人は入院中で夫人が対応したせいか、民谷氏に売却した記録は失われれ、
  右隻はこの約40年間行方不明扱いに。

  2021年9月に民谷氏が富山県立水墨美術館で開かれた牛人の展覧会を訪れる。
  ※大倉集古館より先に水墨美術館で開催された、まさに今このブログで
   書いているのと同じ展覧会である。

  そこで左隻だけの「老子出関の図」を鑑賞。
  作品の説明文で「右隻は行方不明」とされていることを知る。
  自分が右隻を所有していることを申し出る。

というウソのような本当の話。
そしてこれが民谷夫妻のご自宅にある右隻の老子出関の図。

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ご夫妻で隠れている部分に何が描かれているか気になるが、右隻も素晴らしい出来映えなことは間違いない。老師は期待を裏切らない巨体ぶりである。その迫力はご夫妻の身体の大きさと比較すれば分かるだろう。右隻と左隻が絵の表現としてつながっていないようにも思えるが、この2つが並んでいるところを実際に見ればまた印象が変わるかも知れない。ちなみに牛が登場するのは、老師が牛に乗って移動していたとされるから。もちろん鯉やコブラは牛人の創作である。

   写真は https://www.hokurikushinkansen-navi.jp/pc/news/article.php?
   id=NEWS0000028788 から引用



大倉集古館は地上2階、地下1階の構成。
2階の展示室からこんな中国風テラスに出ることができる。
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テラスから眺めたホテルのプレステージタワー。
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館内の階段にあった狛犬の彫刻。
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なおこの美術館のコレクションにも期待していたのだが、大倉集古館は企画展や特別展の開催だけで常設展は運営されていなかった。



篁牛人展に話を戻してあと3作品を紹介。


「ゴータマ出家逾城の図」 1969年頃

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ゴータマとは釈迦のこと。逾城は「ゆじょう」と読み、出家逾城とは中国語というか漢文で、出家して街を出るという意味だと思う。釈迦の身体は大きく描かれていないが相変わらずふくらはぎはパンパンに膨らんでいる。左下側にある黒い円は何だろう?


「風神雷神」 1969年頃

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俵屋宗達など琳派でお馴染みの風神雷神図。上が右隻で下が左隻。ということは一般的な風神雷神図とは左右が逆。このあたりは人と同じことはしないという牛人のこだわりか。ただし屏風絵は右隻から左隻つまり右から左へ進むものだから(縦書きの文章と同じ)、それに従えばタイトルは「雷神風神」でもおかしくない。

腕も足も極限まで太く描かれているが、女性の訶梨諦母や西王母と違って意外と違和感はなかった。あるいは私の目が牛人を見慣れてきたか。


「ダモ 」 1970年頃

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ダモとは禅宗の開祖である達磨(だるま)大師である。彼は9年間も壁の前で座禅を組んで修行をしたので、手足が腐ってなくなったともいわれる。だから人形のダルマは丸い形をしている。一方で手足は失っておらず法衣の下に隠れているだけだという説もある。牛人は後者の考えだったのかな。まあ腕も脚もないと得意の極太デフォルメに困るものね(^^ゞ

老子の絵では脇役に鯉や蝶にコブラなどだったが、こちらでは蝶の他にテントウムシやカタツムリが登場。牛人は大酒飲みで自由奔放な性格だったとされるが、お茶目で少女的な感性もあったようにも思える。彼の描いたものはどことなくカワイイものも多い。



こんなアバンギャルドな水墨画があったとは驚きで、またそれを描いた篁牛人が、今日まで歴史に埋もれていたなんて(もともと評価が低く有名とはいえなかったが、それも含めて)二重にビックリである。テレビの日曜美術館で紹介されたし、この展覧会を機に再評価が進んでほしいもの。「老子出関の図」の右隻も含めてもっといろいろな作品を見てみたい。次の展覧会に期待する。



おしまい

wassho at 23:23│Comments(0) 美術展 

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