2022年01月18日
目黒不動尊で七福神のラストピースを その3
いよいよ本堂のある上のエリアへ。
それほど長くはないがけっこうな急階段。
ついでに上から。
なぜか神社のシンボルである鳥居が。
江戸時代までの神仏習合の名残で寺に鳥居があることも多い。でもここは何度か散歩に来ているけれど、以前はこんな場所に鳥居はなかったんだよなあ。ということは、割と最近に建てた? 何のために?
階段の途中にある、赤くて船の舳先のような形をしたものは、
お線香を焚くところ。
これを見ると、つい頭や身体にに煙を掛けたくなる。
本堂にお参り。
しかしここは期間限定公開で仏像の価値を高めようとする、秘仏なるマーケティング戦略を取っている。これについては、仏は人々に姿を現して安らぎを与える存在なのにと常々反感を覚える。寺によっては一切公開されない秘仏という信じられないものも存在する。秘仏は日本の仏教特有の風習で、これには希少性を高める目的以外に「シモジモには知らしむべからず」という上から目線な匂いも。仏教界が宗教改革をして、こんな馬鹿げた制度がすみやかに廃止されますように。
この目黒不動尊でのご開帳は12年に1度。
それで次回は2029年ということで本尊は見ることができなかった。
でも不動明王は顔が怖いからいいか(^^ゞ
ちなみに江戸の頃に「目白・目黒・目赤・目青・目黄」の五色不動という、不動明王を分類する思想ができた。そして目黒区の目黒と、豊島区目白の地名はそれぞれの色の不動明王が由来とされている。だから言ってみればここが目黒発祥の地。
もっとも五色とは色ではなく方角のことらしく目玉の色とも無関係。でも身体に色が塗られている不動明王像は珍しくない。ただ黒、赤、青は見たことがあっても、白や黄色に塗られているのはないかな。
本堂の上から眺めたところ。
訪れたのは1月5日で、
まだ正月の飾りが残っていて華やかな雰囲気。
先ほど上がってきたのは男坂と呼ばれる階段。
正月などの混雑時にはこちらの勾配が緩やかな女坂で降りるようになっている。
たいして違いはなかったけど。
女坂の途中に祠(ほこら)があって、
そこに祀られていたのは役行者(えんの・ぎょうじゃ)。
役行者は空海ほどではないにしろ日本各地に言い伝えがあるので、寺巡りなどではよく耳にする人物。修験道という日本古来の山岳信仰(その修行者が山伏)の開祖。修験道では滝行もするから、この寺とは親和性が高いのだろう。彼は飛鳥時代の634〜701年に実在した人物ではあるが、2匹の鬼を子分にしていたとか、天皇によって伊豆大島に島流しにされたときは、毎晩歩いて海を渡り富士山頂まで登っていたとか、そのスーパーパワーが語り継がれている。
修験道では山を1000日間歩く千日回峰行や、9日間も飲まず・食わず・眠らず・横にもならずにお経を唱える四無行とか無茶なことをする。それは役行者の伝説にあやかってのことなのかな。彼は面白そうな人物なので、そのうち調べましょう。
話はそれるが、検索すればほぼすべての資料に「修験道とは日本古来の山岳信仰」と書いてある。だからはるか「いにしえ」の時代から信仰されているように錯覚するが、仏教伝来は538年である。つまり役行者が開いた修験道は仏教の後に成立したもの。言葉の持つイメージについ左右されてしまうね。当時の修験道は過激な新興宗教みたいな感じだったのかもしれない。
ここは他にも色々と仏像や見所があるけれど、
寒かったし時間もなかったので、それはまたの機会に。
目黒不動尊を後にして、昨年は桜の通り抜けを楽しんだかむろ坂を渡り、
東急目黒線の不動前駅からこの日はお出かけ。
おしまい
それほど長くはないがけっこうな急階段。
ついでに上から。
なぜか神社のシンボルである鳥居が。
江戸時代までの神仏習合の名残で寺に鳥居があることも多い。でもここは何度か散歩に来ているけれど、以前はこんな場所に鳥居はなかったんだよなあ。ということは、割と最近に建てた? 何のために?
階段の途中にある、赤くて船の舳先のような形をしたものは、
お線香を焚くところ。
これを見ると、つい頭や身体にに煙を掛けたくなる。
本堂にお参り。
しかしここは期間限定公開で仏像の価値を高めようとする、秘仏なるマーケティング戦略を取っている。これについては、仏は人々に姿を現して安らぎを与える存在なのにと常々反感を覚える。寺によっては一切公開されない秘仏という信じられないものも存在する。秘仏は日本の仏教特有の風習で、これには希少性を高める目的以外に「シモジモには知らしむべからず」という上から目線な匂いも。仏教界が宗教改革をして、こんな馬鹿げた制度がすみやかに廃止されますように。
この目黒不動尊でのご開帳は12年に1度。
それで次回は2029年ということで本尊は見ることができなかった。
でも不動明王は顔が怖いからいいか(^^ゞ
ちなみに江戸の頃に「目白・目黒・目赤・目青・目黄」の五色不動という、不動明王を分類する思想ができた。そして目黒区の目黒と、豊島区目白の地名はそれぞれの色の不動明王が由来とされている。だから言ってみればここが目黒発祥の地。
もっとも五色とは色ではなく方角のことらしく目玉の色とも無関係。でも身体に色が塗られている不動明王像は珍しくない。ただ黒、赤、青は見たことがあっても、白や黄色に塗られているのはないかな。
本堂の上から眺めたところ。
訪れたのは1月5日で、
まだ正月の飾りが残っていて華やかな雰囲気。
先ほど上がってきたのは男坂と呼ばれる階段。
正月などの混雑時にはこちらの勾配が緩やかな女坂で降りるようになっている。
たいして違いはなかったけど。
女坂の途中に祠(ほこら)があって、
そこに祀られていたのは役行者(えんの・ぎょうじゃ)。
役行者は空海ほどではないにしろ日本各地に言い伝えがあるので、寺巡りなどではよく耳にする人物。修験道という日本古来の山岳信仰(その修行者が山伏)の開祖。修験道では滝行もするから、この寺とは親和性が高いのだろう。彼は飛鳥時代の634〜701年に実在した人物ではあるが、2匹の鬼を子分にしていたとか、天皇によって伊豆大島に島流しにされたときは、毎晩歩いて海を渡り富士山頂まで登っていたとか、そのスーパーパワーが語り継がれている。
修験道では山を1000日間歩く千日回峰行や、9日間も飲まず・食わず・眠らず・横にもならずにお経を唱える四無行とか無茶なことをする。それは役行者の伝説にあやかってのことなのかな。彼は面白そうな人物なので、そのうち調べましょう。
話はそれるが、検索すればほぼすべての資料に「修験道とは日本古来の山岳信仰」と書いてある。だからはるか「いにしえ」の時代から信仰されているように錯覚するが、仏教伝来は538年である。つまり役行者が開いた修験道は仏教の後に成立したもの。言葉の持つイメージについ左右されてしまうね。当時の修験道は過激な新興宗教みたいな感じだったのかもしれない。
ここは他にも色々と仏像や見所があるけれど、
寒かったし時間もなかったので、それはまたの機会に。
目黒不動尊を後にして、昨年は桜の通り抜けを楽しんだかむろ坂を渡り、
東急目黒線の不動前駅からこの日はお出かけ。
おしまい
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