2022年02月05日
ミケル・バルセロ展 その4
一番最初の投稿でミケル・バルセロの略歴を公式ページから引用したとき、アフリカにもアトリエを構えていると書いた。それはマリ共和国のこと。
参考までに、
マリの場所は西アフリカ北側のここね。
関係ないけれど、マリから視線を左に動かすとダカールの文字が見える。1980年代にパリ・ダカールラリー(通称パリダカ)というモータースポーツが話題を集めた。パリからアフリカのダカールまで走るラリーとは知っていたが、ダカールの場所がここだとは、あれから40年経った今になって初めて知った(^^ゞ
当時は三菱のパジェロがときどき優勝してコマーシャルなどにも使われていた。しかし最近はサッパリ聞かなくなったなと思って調べてみると、
第1回大会は1978年。
2007年の第29回大会まではヨーロッパとアフリカを舞台としたラリーだった。
そのうちパリ〜ダカール間がコースだったのは16回で、実は半分程度に過ぎない。
2008年の第30回大会は中止。
2009年の第31回大会から2019年の第41回大会までは
南米のアルゼンチン、チリ、ペルーなどに舞台を移して開催。
そして2020年からはサウジアラビアで開催されている。
もうとっくの昔にパリもダカールも関係ないが、今でもラリーの名称はダカールラリーのまま。パリダカ時代もアフリカのダカールまで行く=メッチャ遠いという冒険要素が重要なコンセプトだったから、これはもうブランドイメージとして外せないということだろう。ちなみに29回あったヨーロッパとアフリカが舞台だった大会で、ダカールがゴールだったのは22回を数える。
それにしてもパリダカが南米を走っていたなんて、
そして今はサウジアラビアだなんて、
まったく浦島太郎になった気分。
話が大幅に脱線してしまったm(_ _)m
それで次に紹介するのはアフリカっぽい作品。
ただし、
最初のこれだけはアフリカがテーマかどうかはよく分からない。
「私のために」 1994年
なんとなく教科書で見たクロマニヨン人が洞窟に描いた壁画を思い出した。なぜかすごくプリミティブ(原始的)な印象を受けるし、不思議とそれが懐かしい感じなのは原始人のDNAが私に引き継がれているから? 絵の具を盛り盛りにするモダンアートのミケル・バルセロが、こんな絵を描いたというのも面白い。
アフリカっぽいのは3パターンほどある。
まずは色彩が抑えめで色のにじみも多いもの。
「歩くフラニ族」 2000年
「マリの湖畔」 20006年
そして色鮮やかなもの。
「サンガの市場ー2人のフラニ族」
「自転車のタイヤチューブを担ぐフラニ族」 2000年
日本人はこんな派手な色の服はあまり着ない。以前に海外で黒人ばかりが集まる教会に日曜日に通りかかったことがあって、人々の服装がビックリするほどカラフルだったことを覚えている(民族衣装じゃなくて普通の洋服)。彼らのルーツはアフリカだから、アフリカの人も鮮やかな色が好きなんだろう。
でも同じフラニ族なのに最初の2枚と後の2枚では色彩が違いすぎる。最初のは普段の光景、後のは休日にオシャレをしたところなのだろうか? しかしブルーの服を着た人はタイヤチューブを担いでいるしなあ。ひょっとしたら男女の違いかな。微妙にナゾ
これらは今までに紹介した作品と違って、極めてシンプルな画風でサラサラッと描いた印象。でも逆に、そこにミケル・バルセロの絵心のようなものを強く感じる。
次の2つはテーマに植物が関わっているようだ。何を表現したかったのかは不明だが、いい味は出していた。クロマニヨン人がモダンアートに目覚めたらこうなったりして。
「開花」 2019年
「種子の目覚め」 2019年
展示室風景。
アフリカ関連の作品は普通サイズ。
この展覧会では、絵の他にも彫刻や陶器の作品も展示されていた。
でも絵のインパクトと較べると、それほど揺さぶられず。
まあこういうものを見慣れていないせいもある。
廊下に置かれていた恐竜?のオブジェ。
これはブサかわいかった。
上の階から。
その作品に酔えるかどうかが、私の美術品に対する一番の評価基準だというのは、今までにも書いてきた。いわゆるモダンアートはその意味や意図は理解できても、頭でっかちで自己満足的なものが多い。だから酔えなくて好きじゃない。でもミケル・バルセロの作品には、すべてとはいわないが、抽象的なものも含めて充分に酔えた。
その理由はミケル・バルセロの才能・力量もさることながら、作品があまり難解ではなく適度なアバンギャルド度合いだからだろう。平たくいえばわかりやすいし、そこそこポップな一面もある。アーティストというのは未知のことに挑戦したがるもの。でも先に進みすぎると大衆はついていけない。彼はそのあたりの折り合いの付け方が絶妙。それも大切な才能のひとつである。考え方は様々あるだろうが、芸術はある程度以上のボリュームの人々に訴えてナンボだと思う。だから逆にコテコテの前衛好きなら、ミケル・バルセロは物足りないかも知れない。
また作品のサイズが大きいのも素晴らしい。絵は大きければ大きいほどよしとする考えを持っている。同じ映画でもスマホで見るのと大画面テレビで見るのとでは迫力が違うし、映画館サイズなら感動まで変わってくる。そして作品がバラエティに富んでいるのも重要なポイント。やはり同じような作品ばかりが並んでいてはつまらないし飽きてしまう。
まとめるなら、月並みな表現ながら大変満足した展覧会だった。どれくらい満足だったかというと、訪れたのは1月25日だったが、今年はこれ以上の展覧会がまだあるだろうかと心配になっているくらい。
それなのに絶対的な知名度のなさ(今までほとんど日本で紹介されてこなかったのだから仕方ないが)に加えて、展覧会のプロモーションにも力というか予算が掛けられておらず、会場がガラガラだったのは残念な限り。私がよく使う表現を用いればポーラ美術館なみに空いていた。箱根の中でも不便な場所にあるポーラ美術館と違って、こちらは新宿からひと駅の初台で開催されているにもかかわらずである。
ミケル・バルセロの作品はサイズが大きいし、また絵画でも半立体的に仕上げられているものが多い。だから画像ではなく生で実物を見ないと、その魅力あるいは内容の1/10も伝わってこない。この展覧会の会期は3月25日まで。まだ見ていない人は、たとえ全国のどこに住んでいてもこの展覧会を見に行きましょう。それだけの価値は絶対にあるよ。
おしまい
参考までに、
マリの場所は西アフリカ北側のここね。
関係ないけれど、マリから視線を左に動かすとダカールの文字が見える。1980年代にパリ・ダカールラリー(通称パリダカ)というモータースポーツが話題を集めた。パリからアフリカのダカールまで走るラリーとは知っていたが、ダカールの場所がここだとは、あれから40年経った今になって初めて知った(^^ゞ
当時は三菱のパジェロがときどき優勝してコマーシャルなどにも使われていた。しかし最近はサッパリ聞かなくなったなと思って調べてみると、
第1回大会は1978年。
2007年の第29回大会まではヨーロッパとアフリカを舞台としたラリーだった。
そのうちパリ〜ダカール間がコースだったのは16回で、実は半分程度に過ぎない。
2008年の第30回大会は中止。
2009年の第31回大会から2019年の第41回大会までは
南米のアルゼンチン、チリ、ペルーなどに舞台を移して開催。
そして2020年からはサウジアラビアで開催されている。
もうとっくの昔にパリもダカールも関係ないが、今でもラリーの名称はダカールラリーのまま。パリダカ時代もアフリカのダカールまで行く=メッチャ遠いという冒険要素が重要なコンセプトだったから、これはもうブランドイメージとして外せないということだろう。ちなみに29回あったヨーロッパとアフリカが舞台だった大会で、ダカールがゴールだったのは22回を数える。
それにしてもパリダカが南米を走っていたなんて、
そして今はサウジアラビアだなんて、
まったく浦島太郎になった気分。
話が大幅に脱線してしまったm(_ _)m
それで次に紹介するのはアフリカっぽい作品。
ただし、
最初のこれだけはアフリカがテーマかどうかはよく分からない。
「私のために」 1994年
なんとなく教科書で見たクロマニヨン人が洞窟に描いた壁画を思い出した。なぜかすごくプリミティブ(原始的)な印象を受けるし、不思議とそれが懐かしい感じなのは原始人のDNAが私に引き継がれているから? 絵の具を盛り盛りにするモダンアートのミケル・バルセロが、こんな絵を描いたというのも面白い。
アフリカっぽいのは3パターンほどある。
まずは色彩が抑えめで色のにじみも多いもの。
「歩くフラニ族」 2000年
「マリの湖畔」 20006年
そして色鮮やかなもの。
「サンガの市場ー2人のフラニ族」
「自転車のタイヤチューブを担ぐフラニ族」 2000年
日本人はこんな派手な色の服はあまり着ない。以前に海外で黒人ばかりが集まる教会に日曜日に通りかかったことがあって、人々の服装がビックリするほどカラフルだったことを覚えている(民族衣装じゃなくて普通の洋服)。彼らのルーツはアフリカだから、アフリカの人も鮮やかな色が好きなんだろう。
でも同じフラニ族なのに最初の2枚と後の2枚では色彩が違いすぎる。最初のは普段の光景、後のは休日にオシャレをしたところなのだろうか? しかしブルーの服を着た人はタイヤチューブを担いでいるしなあ。ひょっとしたら男女の違いかな。微妙にナゾ
これらは今までに紹介した作品と違って、極めてシンプルな画風でサラサラッと描いた印象。でも逆に、そこにミケル・バルセロの絵心のようなものを強く感じる。
次の2つはテーマに植物が関わっているようだ。何を表現したかったのかは不明だが、いい味は出していた。クロマニヨン人がモダンアートに目覚めたらこうなったりして。
「開花」 2019年
「種子の目覚め」 2019年
展示室風景。
アフリカ関連の作品は普通サイズ。
この展覧会では、絵の他にも彫刻や陶器の作品も展示されていた。
でも絵のインパクトと較べると、それほど揺さぶられず。
まあこういうものを見慣れていないせいもある。
廊下に置かれていた恐竜?のオブジェ。
これはブサかわいかった。
上の階から。
その作品に酔えるかどうかが、私の美術品に対する一番の評価基準だというのは、今までにも書いてきた。いわゆるモダンアートはその意味や意図は理解できても、頭でっかちで自己満足的なものが多い。だから酔えなくて好きじゃない。でもミケル・バルセロの作品には、すべてとはいわないが、抽象的なものも含めて充分に酔えた。
その理由はミケル・バルセロの才能・力量もさることながら、作品があまり難解ではなく適度なアバンギャルド度合いだからだろう。平たくいえばわかりやすいし、そこそこポップな一面もある。アーティストというのは未知のことに挑戦したがるもの。でも先に進みすぎると大衆はついていけない。彼はそのあたりの折り合いの付け方が絶妙。それも大切な才能のひとつである。考え方は様々あるだろうが、芸術はある程度以上のボリュームの人々に訴えてナンボだと思う。だから逆にコテコテの前衛好きなら、ミケル・バルセロは物足りないかも知れない。
また作品のサイズが大きいのも素晴らしい。絵は大きければ大きいほどよしとする考えを持っている。同じ映画でもスマホで見るのと大画面テレビで見るのとでは迫力が違うし、映画館サイズなら感動まで変わってくる。そして作品がバラエティに富んでいるのも重要なポイント。やはり同じような作品ばかりが並んでいてはつまらないし飽きてしまう。
まとめるなら、月並みな表現ながら大変満足した展覧会だった。どれくらい満足だったかというと、訪れたのは1月25日だったが、今年はこれ以上の展覧会がまだあるだろうかと心配になっているくらい。
それなのに絶対的な知名度のなさ(今までほとんど日本で紹介されてこなかったのだから仕方ないが)に加えて、展覧会のプロモーションにも力というか予算が掛けられておらず、会場がガラガラだったのは残念な限り。私がよく使う表現を用いればポーラ美術館なみに空いていた。箱根の中でも不便な場所にあるポーラ美術館と違って、こちらは新宿からひと駅の初台で開催されているにもかかわらずである。
ミケル・バルセロの作品はサイズが大きいし、また絵画でも半立体的に仕上げられているものが多い。だから画像ではなく生で実物を見ないと、その魅力あるいは内容の1/10も伝わってこない。この展覧会の会期は3月25日まで。まだ見ていない人は、たとえ全国のどこに住んでいてもこの展覧会を見に行きましょう。それだけの価値は絶対にあるよ。
おしまい
wassho at 22:49│Comments(0)│
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