2022年03月02日
性は本当に必要?
何となく意味ありげなタイトルになってしまったが心配ご無用。
今回のテーマはセックスやLGBTではなく日本語の言葉遣いについて。
逆にガッカリした?
前から少し気になってはいたのだが、
ブログに書くきっかけは数日前にTwitterで流れてきたこのトヨタの広告。
「街の視線と家族の気持ちを惹きつける」もコピーとしてデキが悪いが、
なんじゃこの「ノアのデザイン性」って?
デザイン性という言葉をそれほど多く聞いた記憶はないが、ネットで見出しを拾うと少なくとも2010年には使われていたことが分かった。ザッと調べただけだから、さらに古い事例もあるだろう。
ノアの場合は「デザイン性」を「デザイン」と置き換えてもまったくニュアンスは変わらない。だからナンジャコレと引っ掛かったのだと思う。見出しを例に挙げた「トイレ収納」も同じ。
「企業用ウェッブサイト」と「外国人に聞いた場所」の見出しについては、「デザイン」にしてしまうと「高い」という形容詞は使えないが、「デザインがよい、優れている」と言い換えることができる。
ただし「デザイン性が高い場所」という表現は曲者。このアンケートの回答は六本木ヒルズや表参道だから、本来は「景観がいい」「雰囲気がオシャレ」などという用語を使うべきところ。「デザインがいい」なんて街に対する形容表現としては的外れ。
ところが「デザイン性」と性を付け加えることで、何となくそういう言い方もありかなと思わせるところがある。つまり「性」には言葉の意味を曖昧にして拡大する作用がある。「デザインがいい場所」では通用しなくても、「デザイン性が高い場所」なら景観や雰囲気のことなんだろうなあと連想が働く。
さて、
デザイン性よりもずっと気になっているものがある。それは関係性という言葉。関係だけで事足りるのに、なぜか性をつけて関係性ということが多くなっている。昔から使う人はいたが、数年ほど前から急増したように思う。
WasshoさんはA社とどういう関係性ですか?
このデータと今回の提言には重要な関係性があります
なんてビジネスの場でもよく聞くようになっていた。
何となく意識高い系クンが、関係というより関係性といったほうが難しく聞こえる、つまりそっちの方がカッコイイと思って使っているように感じている。ただし、もうそれなりに広まっているので、先輩がそういうからと無意識に使う若手もいる。
もっとも、ネットで関係性を検索して使われ方を拾ってみると、
自己信頼が、人との関係性に与える影響とは?
親密な関係性における暴力性とジェンダー
働きがいと様々なアウトカムとの関係性について
Google に外部リンクの関係性を伝える
睡眠を中心とした生活習慣と子供の自立等との関係性に関する調査
ロボットやAIと人間の関係性を究める
日常の運転と認知機能の関係性について
限界利益とは?関係性が深い損益分岐点と併せて解説
IT新戦略とデジタル・ガバメント実行計画等の関係性
と様々な分野で使われていることが分かる。
例に挙げた関係性はすべて関係に置き換えられる。つまり性はつける必要がないし無駄な単語。それなのになぜ性をつけるのか?
先ほど、「性」には言葉の意味を曖昧にして拡大する作用があると書いた。言い換えれば抽象化でありまた婉曲表現にもなる。
WasshoさんはA社とどういう関係ですか?
より「どういう関係性ですか?」と尋ねたほうが柔らかく聞こえなくもない。
さて、もうとても一般的になって話題にすら上がらなくなった「ほう」や「よろしかったですか」という言葉遣いについて、以前にこんなことを書いた。
■■■■■■■■
日本は曖昧に表現したり婉曲にものをいう文化がある。それは美徳だとも思うが、
近年は過度に物事を直視しない、断定を避ける、面と向かってものをいわない傾向が
あると感じる。その根底にあるのはリスクを恐れる心理の強まりではないだろうか。
よくいわれる例えだが
「お荷物をお預かりします」
ではなく
「お荷物のほうお預かりします」
と、なんでも「ほう」をつける。これは断定を避ける心理かな。
「注文はコーヒーでよろしいですか」
ではなく
「注文はコーヒーでよろしかったですか」
という。これは相手に責任を転嫁して心理的に楽になるための方便。よろしいですか
と尋ねると、自分が聞き取れたどうかの問題だが、よろしかったですかと尋ねれば
相手がそういったかどうかの問題になる
■■■■■■■■
関係性という表現が使われるのも「ほう」や「よろしかったですか」と同じ意識が働いているように思う。引用した過去の投稿では、それを日本人の精神の軟弱化と関連付けている。自信のなさや喪失と言い換えてもいい。さてこちらはどうだろうか。
もっともそれほど真剣に考察したわけではないから、そういう考えもあるかも程度に聞き流して欲しい。それと数行前の文章を書いているときに気づいたが、関係と似たような意味の「関連」だと「関連性」という表現にはまったく違和感がない。関連性もほとんどの場合は関連に置き換えられるのにである。だから「関係性」という言葉に引っ掛かるのは、社会的心理の変化とかの大げさな話ではなく、単に聞き慣れているかどうかの問題かも知れない。
オマケとして
タイトルの「性」につられて、このブログを読んだ人に。
誰かとセックスしたことを
〇〇と肉体関係を持つ、あるいは単に〇〇と関係を持つ
と表現する。
そのうちそれが
肉体関係性を持つ、関係性を持つ
というようになるかもよ(^^ゞ
今回のテーマはセックスやLGBTではなく日本語の言葉遣いについて。
逆にガッカリした?
前から少し気になってはいたのだが、
ブログに書くきっかけは数日前にTwitterで流れてきたこのトヨタの広告。
「街の視線と家族の気持ちを惹きつける」もコピーとしてデキが悪いが、
なんじゃこの「ノアのデザイン性」って?
デザイン性という言葉をそれほど多く聞いた記憶はないが、ネットで見出しを拾うと少なくとも2010年には使われていたことが分かった。ザッと調べただけだから、さらに古い事例もあるだろう。
ノアの場合は「デザイン性」を「デザイン」と置き換えてもまったくニュアンスは変わらない。だからナンジャコレと引っ掛かったのだと思う。見出しを例に挙げた「トイレ収納」も同じ。
「企業用ウェッブサイト」と「外国人に聞いた場所」の見出しについては、「デザイン」にしてしまうと「高い」という形容詞は使えないが、「デザインがよい、優れている」と言い換えることができる。
ただし「デザイン性が高い場所」という表現は曲者。このアンケートの回答は六本木ヒルズや表参道だから、本来は「景観がいい」「雰囲気がオシャレ」などという用語を使うべきところ。「デザインがいい」なんて街に対する形容表現としては的外れ。
ところが「デザイン性」と性を付け加えることで、何となくそういう言い方もありかなと思わせるところがある。つまり「性」には言葉の意味を曖昧にして拡大する作用がある。「デザインがいい場所」では通用しなくても、「デザイン性が高い場所」なら景観や雰囲気のことなんだろうなあと連想が働く。
さて、
デザイン性よりもずっと気になっているものがある。それは関係性という言葉。関係だけで事足りるのに、なぜか性をつけて関係性ということが多くなっている。昔から使う人はいたが、数年ほど前から急増したように思う。
WasshoさんはA社とどういう関係性ですか?
このデータと今回の提言には重要な関係性があります
なんてビジネスの場でもよく聞くようになっていた。
何となく意識高い系クンが、関係というより関係性といったほうが難しく聞こえる、つまりそっちの方がカッコイイと思って使っているように感じている。ただし、もうそれなりに広まっているので、先輩がそういうからと無意識に使う若手もいる。
もっとも、ネットで関係性を検索して使われ方を拾ってみると、
自己信頼が、人との関係性に与える影響とは?
親密な関係性における暴力性とジェンダー
働きがいと様々なアウトカムとの関係性について
Google に外部リンクの関係性を伝える
睡眠を中心とした生活習慣と子供の自立等との関係性に関する調査
ロボットやAIと人間の関係性を究める
日常の運転と認知機能の関係性について
限界利益とは?関係性が深い損益分岐点と併せて解説
IT新戦略とデジタル・ガバメント実行計画等の関係性
と様々な分野で使われていることが分かる。
例に挙げた関係性はすべて関係に置き換えられる。つまり性はつける必要がないし無駄な単語。それなのになぜ性をつけるのか?
先ほど、「性」には言葉の意味を曖昧にして拡大する作用があると書いた。言い換えれば抽象化でありまた婉曲表現にもなる。
WasshoさんはA社とどういう関係ですか?
より「どういう関係性ですか?」と尋ねたほうが柔らかく聞こえなくもない。
さて、もうとても一般的になって話題にすら上がらなくなった「ほう」や「よろしかったですか」という言葉遣いについて、以前にこんなことを書いた。
■■■■■■■■
日本は曖昧に表現したり婉曲にものをいう文化がある。それは美徳だとも思うが、
近年は過度に物事を直視しない、断定を避ける、面と向かってものをいわない傾向が
あると感じる。その根底にあるのはリスクを恐れる心理の強まりではないだろうか。
よくいわれる例えだが
「お荷物をお預かりします」
ではなく
「お荷物のほうお預かりします」
と、なんでも「ほう」をつける。これは断定を避ける心理かな。
「注文はコーヒーでよろしいですか」
ではなく
「注文はコーヒーでよろしかったですか」
という。これは相手に責任を転嫁して心理的に楽になるための方便。よろしいですか
と尋ねると、自分が聞き取れたどうかの問題だが、よろしかったですかと尋ねれば
相手がそういったかどうかの問題になる
■■■■■■■■
関係性という表現が使われるのも「ほう」や「よろしかったですか」と同じ意識が働いているように思う。引用した過去の投稿では、それを日本人の精神の軟弱化と関連付けている。自信のなさや喪失と言い換えてもいい。さてこちらはどうだろうか。
もっともそれほど真剣に考察したわけではないから、そういう考えもあるかも程度に聞き流して欲しい。それと数行前の文章を書いているときに気づいたが、関係と似たような意味の「関連」だと「関連性」という表現にはまったく違和感がない。関連性もほとんどの場合は関連に置き換えられるのにである。だから「関係性」という言葉に引っ掛かるのは、社会的心理の変化とかの大げさな話ではなく、単に聞き慣れているかどうかの問題かも知れない。
オマケとして
タイトルの「性」につられて、このブログを読んだ人に。
誰かとセックスしたことを
〇〇と肉体関係を持つ、あるいは単に〇〇と関係を持つ
と表現する。
そのうちそれが
肉体関係性を持つ、関係性を持つ
というようになるかもよ(^^ゞ
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