2022年05月03日
皇居東御苑〜皇居外苑〜国会前庭
本日は東京国立近代美術館で日本画の巨匠である鏑木清方(かぶらき・きよかた)の展覧会を見てきた。その話はいずれまた。
ところで今年もクラシックの音楽祭であるラ・フォル・ジュルネはコロナの影響を受けて中止。これで3年連続となる。来年こそはと期待したい。そのラ・フォル・ジュルネはゴールデンウィークに丸の内にある東京国際フォーラムで開催される。公演の合間によく皇居あたりをブラブラしていたので、まるでパブロフの犬のように、なぜかこの頃になると皇居に行きたくなる(^^ゞ
だからといってこの展覧会を選んだわけではないのだが、
東京国立近代美術館は都合のいいことにこんな立地。
堀に囲まれたエリア全体を一般に皇居と呼ぶが、天皇や宮内庁が使っている狭義の皇居敷地はその半分くらい。残りの半分は一般に開放された公園や広場になっている。それで本日のプランは皇居東御苑と皇居外苑をまず散策。ゴールデンウィークになると皇居東御苑に花はほとんど咲いていないし、皇居外苑はもともと松と芝生の広場が広がっているだけである。だからその後に皇居南側にある日比谷公園に向かうつもりだった。しかし桜田門から皇居を出たときに、そういえば国会の前庭というまだ行ったことのない公園があるのを思いだし、そちらに寄ることに。
東京国立近代美術館を出て右に進むと国立公文書館。
その少し先に北の丸公園の入口がある。
北の丸公園は日本武道館のあるところね。
そこを過ぎたところにある歩道橋を渡る。
歩道橋の上から。まさに五月晴れ。
写真中央わずかに左寄りに赤いものが見えるのが東京国立近代美術館。
皇居東御苑の出入り口である北桔橋門(きた・はねばし・もん)が見える。
皇居東御苑はだいたいこんなルートで歩いた。
ピンクのラインはパソコン上で描いたものだけれど、看板にスプレーで落書きしたようになってしまった(^^ゞ なおこの地図は上が西になっている。
北桔橋門に向かって進む。
平川壕という堀越しに東京国立近代美術館。
ここでは警官による荷物チェックがある。
これが実にヤッテル感をアピールするためだけのお役所仕事。警備の業務は2人一組が鉄則なのに警官は1人で雑にチェックするだけ。だいたい3つある出入り口のうち荷物チェックがあるのは一番人の少ないこの北桔橋門のみ。それでは意味ないヤロ。だからテロリストの皆さんはフリーパスで通れる他の出入り口からどうぞ(^^ゞ
門をくぐると、
新緑が眩しい!!
これを期待してやって来たようなもの。
門の正面にあるのは天守(天守閣のこと)の土台部分。
土台部分を回り込む。
この南北方向で石垣は約45メートル、高さは約11メートル。
左側にあったこの変わった形の建物は桃華楽堂(とうか・がくどう)。200名収容の音楽ホールらしい。ただし一般人向けの施設ではないようだ。
石垣をもう一度回り込んで、こちらが正面。
江戸城の天守は、まず家康が建て(1607年)、なぜか2代将軍秀忠がそれを壊して新しいのを建て(1623年)、3代将軍家光も2代目天守を壊して3代目を建てている(1638年)。無駄遣いにもほどがあるが、父親を超えたところをアピールしたかったのかな。
その3代目天守も明暦の大火(1657年)で焼け落ちる。天守台はすぐに再建されたが、天守そのものは江戸市街の復興を優先との理由で再建されなかった。そしてその後も再建の機会は巡ってこず。だから徳川260年の歴史のうち江戸城に天守が存在したのは最初のたったの50年だけ。もし再建されて現在も残っていたら東京の景色は少し違ったかも。
それにしても江戸城は広い堀で隔てられているのに、城の外から飛んできた火の粉で天守も御殿も全焼するのだから江戸の火事ってスゴイよね。
天守台の上。
巨大な天守の土台としては意外と狭く感じるが、それはこの広場が天守台の一部だから。
Googleマップで計測すると、
赤で囲ったエリアが約1500平米、水色が約400平米。
天守台から芝生広場を眺める。
そこは江戸城の本丸御殿があったところ。
城=天守のイメージがあるが、天守とはシンボルタワーのようなもので、将軍を始め人々が仕事や生活をしていた建物が御殿。
これは江戸東京博物館にある天守と御殿の復元模型。※同館ホームページから引用
天守を背にして、この芝生広場に建物が建ち並んでいた様子がよく分かる。
芝生広場に入る。
ここは女性達が権謀術数を繰り広げた大奥のあったエリア。
少し進んでここは中奥あたりか。このように地面ではないにしろ家康も確実にここを歩いていたと思うと何となく感慨深い。
それにしてもこの開放感と新緑の美しさよ。
本丸芝生広場を離れ二の丸庭園へ向かう。
途中に堀がある。
つまり堀に囲まれた城の中にある堀。
本丸がそれだけ重要エリアだったことの表れかと思う。
こんな雑木林を歩くと、
庭園に出る。
隣にある諏訪の茶屋という建物。
ここに来るとどうしても江戸城、江戸時代の意識を持ってしまう。
それでこれは明治に建てられたものだし、中にも入れないから、
茶屋よりも新緑かな(^^ゞ
庭園に戻って。
この庭園は悪くはないけれど「皇居」「二の丸」などの格式高いキーワードに引きづられると少し肩すかしを食らう。雑木林的にゴチャゴチャしていて、庭園らしい研ぎ澄まされた造園美はあまり味わえない。
水面に咲いている黄色い花はヒメコウホネ。スイレンの仲間で絶滅危惧種。
やたらヒレが長くて神々しい感じの錦鯉。
ヒレナガ・ニシキゴイという品種。
少し小高くなっている場所があったので上がってみる。
ここから水が落ちているということはだーーー
下に降りると小さな滝になっていた。
こういうのを見るとシャッタースピードを速めて、
シブキを止めずにはいられない(^^ゞ
泡まで止めたけど意味なかった(>_<)
滝から池に水が泡となって流れるところに、ヒレナガ・ニシキゴイが集まって順番に泡を浴びている。泡風呂的に気持ちがいいのか、あるいは泡に酸素が豊富なのだろうか。
白いフジを久しぶりに見られてラッキー。
フジはピンク→紫→白→黄色の順番に咲く。
二の丸庭園を後にする。
これはハナショウブとのこと。
森林浴と竹林浴をして、
広場に出てこれは百人番所という江戸城時代の建物。
番所とは警備員詰め所みたいなもの。
皇居外苑広場に近い大手門の出入り口に向かう。
ここから眺める江戸時代から現代にタイムスリップしそうな雰囲気が好き。
ーーー続く
ところで今年もクラシックの音楽祭であるラ・フォル・ジュルネはコロナの影響を受けて中止。これで3年連続となる。来年こそはと期待したい。そのラ・フォル・ジュルネはゴールデンウィークに丸の内にある東京国際フォーラムで開催される。公演の合間によく皇居あたりをブラブラしていたので、まるでパブロフの犬のように、なぜかこの頃になると皇居に行きたくなる(^^ゞ
だからといってこの展覧会を選んだわけではないのだが、
東京国立近代美術館は都合のいいことにこんな立地。
堀に囲まれたエリア全体を一般に皇居と呼ぶが、天皇や宮内庁が使っている狭義の皇居敷地はその半分くらい。残りの半分は一般に開放された公園や広場になっている。それで本日のプランは皇居東御苑と皇居外苑をまず散策。ゴールデンウィークになると皇居東御苑に花はほとんど咲いていないし、皇居外苑はもともと松と芝生の広場が広がっているだけである。だからその後に皇居南側にある日比谷公園に向かうつもりだった。しかし桜田門から皇居を出たときに、そういえば国会の前庭というまだ行ったことのない公園があるのを思いだし、そちらに寄ることに。
東京国立近代美術館を出て右に進むと国立公文書館。
その少し先に北の丸公園の入口がある。
北の丸公園は日本武道館のあるところね。
そこを過ぎたところにある歩道橋を渡る。
歩道橋の上から。まさに五月晴れ。
写真中央わずかに左寄りに赤いものが見えるのが東京国立近代美術館。
皇居東御苑の出入り口である北桔橋門(きた・はねばし・もん)が見える。
皇居東御苑はだいたいこんなルートで歩いた。
ピンクのラインはパソコン上で描いたものだけれど、看板にスプレーで落書きしたようになってしまった(^^ゞ なおこの地図は上が西になっている。
北桔橋門に向かって進む。
平川壕という堀越しに東京国立近代美術館。
ここでは警官による荷物チェックがある。
これが実にヤッテル感をアピールするためだけのお役所仕事。警備の業務は2人一組が鉄則なのに警官は1人で雑にチェックするだけ。だいたい3つある出入り口のうち荷物チェックがあるのは一番人の少ないこの北桔橋門のみ。それでは意味ないヤロ。だからテロリストの皆さんはフリーパスで通れる他の出入り口からどうぞ(^^ゞ
門をくぐると、
新緑が眩しい!!
これを期待してやって来たようなもの。
門の正面にあるのは天守(天守閣のこと)の土台部分。
土台部分を回り込む。
この南北方向で石垣は約45メートル、高さは約11メートル。
左側にあったこの変わった形の建物は桃華楽堂(とうか・がくどう)。200名収容の音楽ホールらしい。ただし一般人向けの施設ではないようだ。
石垣をもう一度回り込んで、こちらが正面。
江戸城の天守は、まず家康が建て(1607年)、なぜか2代将軍秀忠がそれを壊して新しいのを建て(1623年)、3代将軍家光も2代目天守を壊して3代目を建てている(1638年)。無駄遣いにもほどがあるが、父親を超えたところをアピールしたかったのかな。
その3代目天守も明暦の大火(1657年)で焼け落ちる。天守台はすぐに再建されたが、天守そのものは江戸市街の復興を優先との理由で再建されなかった。そしてその後も再建の機会は巡ってこず。だから徳川260年の歴史のうち江戸城に天守が存在したのは最初のたったの50年だけ。もし再建されて現在も残っていたら東京の景色は少し違ったかも。
それにしても江戸城は広い堀で隔てられているのに、城の外から飛んできた火の粉で天守も御殿も全焼するのだから江戸の火事ってスゴイよね。
天守台の上。
巨大な天守の土台としては意外と狭く感じるが、それはこの広場が天守台の一部だから。
Googleマップで計測すると、
赤で囲ったエリアが約1500平米、水色が約400平米。
天守台から芝生広場を眺める。
そこは江戸城の本丸御殿があったところ。
城=天守のイメージがあるが、天守とはシンボルタワーのようなもので、将軍を始め人々が仕事や生活をしていた建物が御殿。
これは江戸東京博物館にある天守と御殿の復元模型。※同館ホームページから引用
天守を背にして、この芝生広場に建物が建ち並んでいた様子がよく分かる。
芝生広場に入る。
ここは女性達が権謀術数を繰り広げた大奥のあったエリア。
少し進んでここは中奥あたりか。このように地面ではないにしろ家康も確実にここを歩いていたと思うと何となく感慨深い。
それにしてもこの開放感と新緑の美しさよ。
本丸芝生広場を離れ二の丸庭園へ向かう。
途中に堀がある。
つまり堀に囲まれた城の中にある堀。
本丸がそれだけ重要エリアだったことの表れかと思う。
こんな雑木林を歩くと、
庭園に出る。
隣にある諏訪の茶屋という建物。
ここに来るとどうしても江戸城、江戸時代の意識を持ってしまう。
それでこれは明治に建てられたものだし、中にも入れないから、
茶屋よりも新緑かな(^^ゞ
庭園に戻って。
この庭園は悪くはないけれど「皇居」「二の丸」などの格式高いキーワードに引きづられると少し肩すかしを食らう。雑木林的にゴチャゴチャしていて、庭園らしい研ぎ澄まされた造園美はあまり味わえない。
水面に咲いている黄色い花はヒメコウホネ。スイレンの仲間で絶滅危惧種。
やたらヒレが長くて神々しい感じの錦鯉。
ヒレナガ・ニシキゴイという品種。
少し小高くなっている場所があったので上がってみる。
ここから水が落ちているということはだーーー
下に降りると小さな滝になっていた。
こういうのを見るとシャッタースピードを速めて、
シブキを止めずにはいられない(^^ゞ
泡まで止めたけど意味なかった(>_<)
滝から池に水が泡となって流れるところに、ヒレナガ・ニシキゴイが集まって順番に泡を浴びている。泡風呂的に気持ちがいいのか、あるいは泡に酸素が豊富なのだろうか。
白いフジを久しぶりに見られてラッキー。
フジはピンク→紫→白→黄色の順番に咲く。
二の丸庭園を後にする。
これはハナショウブとのこと。
森林浴と竹林浴をして、
広場に出てこれは百人番所という江戸城時代の建物。
番所とは警備員詰め所みたいなもの。
皇居外苑広場に近い大手門の出入り口に向かう。
ここから眺める江戸時代から現代にタイムスリップしそうな雰囲気が好き。
ーーー続く