2022年05月08日
皇居東御苑〜皇居外苑〜国会前庭 その3
初回に書いたように桜田門から皇居の外に出たら、
すぐそばに国会前庭があることを思いだしたので立ち寄ってきた。
国会前庭はその字の通り国会議事堂の前にある庭。「まえにわ」ではなく「ぜんてい」と読み、北庭と南庭に分かれている。国会議事堂の付属施設で管理しているのは衆議院。ずっと以前から知ってはいたものの、なかなか訪れる機会がなかった場所。
もろもろの位置関係。
皇居や日比谷公園と較べるとどうしても小さく感じてしまうが、南北併せて5ヘクタールほどあるからそこそこ大きな敷地である。
桜田門から出たところ。
左方向が日比谷。
上の写真にも少し写っているのが法務省の旧本館。通称は赤レンガ棟。
右隣のビルは東京高裁、地裁、簡裁が入る裁判所合同庁舎。
警視庁のビル沿いに少し進むと国会議事堂が見えてくる。
右側に木々がたくさん生えているのが北庭。南庭の木々も左側に少し見える。
まずは北庭から。
出入り口に国会前庭の名前を記したものはなかった。
しかし柱には住所表示。
国会議員は最重要だとの意味で「1丁目1番地」という表現を好んで使う。永田町でそれは国会議事堂じゃなかったのね。ちなみに議事堂の住所は永田町1丁目7−1。
敷地内にある憲政記念館はもう閉鎖していた。
しばらく進むと階段があり、それを上がると噴水と時計塔のある広場があった。写真はある程度レタッチ(補正)しているものの、強烈な逆光で太陽が爆発したみたいになっている。
方角を変えて再トライ。
この時計塔は三権分立の時計。写真ではよく分からないが三角柱で塔ができており、3つの面それぞれに時計が備え付けられている。高さは31.5メートル。
しばらく待ってみたが、噴水はずっとこのショボイ状態のまま(/o\)
噴水の隣にあるのが日本水準原点が収められた建物。この建物のことを標庫と呼ぶ。
この中に記された標高24.39メートルを原点として、全国1万7000ヶ所の水準点の標高が定められ、そこから個別の測量を開始する仕組み。水準とは高さのことね。緯度・経度・標高を表したのが三角点。
ここに水準原点があるのは地盤的に安定した場所だからでもあるが、かつてはここに陸軍省や参謀本部があり、参謀本部測量部が全国の地理を管轄していた歴史的背景による。
関東大震災で8.6センチ、東日本大震災で2.4センチも地盤沈下したんだ。
とりあえずもう変化しないでほしい。
憲政記念館は裏口しか見ることができなかった(正面を見るには庭の外に出る必要がある)。なお憲政記念館の住所が永田町1−1−1。
庭園としてあまり見るべきところもなく、そそくさと北庭を後にする。
ちなみに江戸時代に北庭は彦根藩井伊家の大名屋敷だった。最初の地図を見ればわかるように、幕末に起きた桜田門外の変は、井伊直弼が屋敷を出て桜田門に至るわずか400メートほどの区間で襲われたことになる。つまり先ほど私が歩いてきた道のどこか(>_<)
南庭に向かうには国会議事堂の前の道を渡ることになる。
だったらカブリツキで見てやれと。
門というかフェンスは衆議院と参議院で分かれている。
フェンスにレンズを突っ込んで国会議事堂を撮っては見たものの、
先ほどと同じく真逆光。
振り返って皇居方向。
国会議事堂を横切って南庭に。
いちおう北庭が洋風庭園、南庭が和風庭園とされている。
どう見ても庭園というより公園だが。
池もあるがこれも公園レベルに毛が生えた程度。
池の横を奥に進むと、
水が出ている場所があった。水源はどこなんだろう。
なお囲いがあって、これ以上は近づけず。
水がここを通って先ほどの池に注いでいる。
そこそこ幅はあるのに極めて浅い水深が珍しくもあり面白かった。
サクラでも咲いていれば印象は違ったかも知れないが、国会という国権の最高機関の名前を冠しているにしては期待外れの庭園(庭園とは名乗っていないが)。国会議員が暇つぶしに散歩するならいいとしても、国会を海外要人が訪れて「ニホンノ ニワヲ ミタイデス」とリクエストされたら迷わず皇居東御苑に連れて行きましょう(^^ゞ
しかし百聞は一見にしかずだからこれもいい経験。
国会前庭を見た後はゴールデンウィークで閑散とした官庁街を抜けて帰路に。
おしまい
すぐそばに国会前庭があることを思いだしたので立ち寄ってきた。
国会前庭はその字の通り国会議事堂の前にある庭。「まえにわ」ではなく「ぜんてい」と読み、北庭と南庭に分かれている。国会議事堂の付属施設で管理しているのは衆議院。ずっと以前から知ってはいたものの、なかなか訪れる機会がなかった場所。
もろもろの位置関係。
皇居や日比谷公園と較べるとどうしても小さく感じてしまうが、南北併せて5ヘクタールほどあるからそこそこ大きな敷地である。
桜田門から出たところ。
左方向が日比谷。
上の写真にも少し写っているのが法務省の旧本館。通称は赤レンガ棟。
右隣のビルは東京高裁、地裁、簡裁が入る裁判所合同庁舎。
警視庁のビル沿いに少し進むと国会議事堂が見えてくる。
右側に木々がたくさん生えているのが北庭。南庭の木々も左側に少し見える。
まずは北庭から。
出入り口に国会前庭の名前を記したものはなかった。
しかし柱には住所表示。
国会議員は最重要だとの意味で「1丁目1番地」という表現を好んで使う。永田町でそれは国会議事堂じゃなかったのね。ちなみに議事堂の住所は永田町1丁目7−1。
敷地内にある憲政記念館はもう閉鎖していた。
しばらく進むと階段があり、それを上がると噴水と時計塔のある広場があった。写真はある程度レタッチ(補正)しているものの、強烈な逆光で太陽が爆発したみたいになっている。
方角を変えて再トライ。
この時計塔は三権分立の時計。写真ではよく分からないが三角柱で塔ができており、3つの面それぞれに時計が備え付けられている。高さは31.5メートル。
しばらく待ってみたが、噴水はずっとこのショボイ状態のまま(/o\)
噴水の隣にあるのが日本水準原点が収められた建物。この建物のことを標庫と呼ぶ。
この中に記された標高24.39メートルを原点として、全国1万7000ヶ所の水準点の標高が定められ、そこから個別の測量を開始する仕組み。水準とは高さのことね。緯度・経度・標高を表したのが三角点。
ここに水準原点があるのは地盤的に安定した場所だからでもあるが、かつてはここに陸軍省や参謀本部があり、参謀本部測量部が全国の地理を管轄していた歴史的背景による。
関東大震災で8.6センチ、東日本大震災で2.4センチも地盤沈下したんだ。
とりあえずもう変化しないでほしい。
憲政記念館は裏口しか見ることができなかった(正面を見るには庭の外に出る必要がある)。なお憲政記念館の住所が永田町1−1−1。
庭園としてあまり見るべきところもなく、そそくさと北庭を後にする。
ちなみに江戸時代に北庭は彦根藩井伊家の大名屋敷だった。最初の地図を見ればわかるように、幕末に起きた桜田門外の変は、井伊直弼が屋敷を出て桜田門に至るわずか400メートほどの区間で襲われたことになる。つまり先ほど私が歩いてきた道のどこか(>_<)
南庭に向かうには国会議事堂の前の道を渡ることになる。
だったらカブリツキで見てやれと。
門というかフェンスは衆議院と参議院で分かれている。
フェンスにレンズを突っ込んで国会議事堂を撮っては見たものの、
先ほどと同じく真逆光。
振り返って皇居方向。
国会議事堂を横切って南庭に。
いちおう北庭が洋風庭園、南庭が和風庭園とされている。
どう見ても庭園というより公園だが。
池もあるがこれも公園レベルに毛が生えた程度。
池の横を奥に進むと、
水が出ている場所があった。水源はどこなんだろう。
なお囲いがあって、これ以上は近づけず。
水がここを通って先ほどの池に注いでいる。
そこそこ幅はあるのに極めて浅い水深が珍しくもあり面白かった。
サクラでも咲いていれば印象は違ったかも知れないが、国会という国権の最高機関の名前を冠しているにしては期待外れの庭園(庭園とは名乗っていないが)。国会議員が暇つぶしに散歩するならいいとしても、国会を海外要人が訪れて「ニホンノ ニワヲ ミタイデス」とリクエストされたら迷わず皇居東御苑に連れて行きましょう(^^ゞ
しかし百聞は一見にしかずだからこれもいい経験。
国会前庭を見た後はゴールデンウィークで閑散とした官庁街を抜けて帰路に。
おしまい
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